道場の声
一
カタカタとキーボードの音が響く特異事案対策室のオフィス。私は、美優くんの机の下に転がっていたクッキーの欠片を見つけ、それをちびちびと齧っていた。甘い粉が舌にまとわりつき、ほのかに香ばしい匂いが鼻先をくすぐる。
私が堪能していたその時、唐突に鳴り響いた着信音──「夕日にほえろ」のテーマ。雷蔵おじさんのスマートフォンだ。
「……親父か」
微かに曇る雷蔵おじさんの声。電話口から漏れ聞こえたのは、かすれた老人の声。私は耳をぴんと立てる。
『夜な、道場から掛け声がするんだ。稽古の声だ。門下生の間でも噂になってる』
電話越しの声は、妙に床に沈む冷気を震わせるように思えた。雷蔵おじさんは短く「わかった、今夜行く」と答える。その拳に一瞬だけ、ぎゅっと力がこもったのを私は見逃さなかった。
二
その夜。雷蔵おじさんの車は、郊外の闇を切り裂いて実家の道場へと走っていた。助手席には乱雑に荷を詰め込んだバッグ。革の匂い、油の匂い、鉄の匂い。その中には──当然、私が隠れていた。鼠は荷に隠れ、世界を拡げてきた。蔵に隠れ、増えてきた。鼠の領分ってやつさ、私は揺れる暗闇に身を沈める。
やがて車が止まる。ドアが開き夜気が流れ込む。私はバッグの口からひょいと飛び出し伸びをした。
「チュチュッ」
「なんだぁ? ……ネズ公、どっから涌いてきた?」
驚き半分、苦笑半分の声。私は胸を張って鼻先をくんくん鳴らす。
道場の中はひんやりと湿り、足裏から板張りの冷たさが伝わってくる。古い木の匂い。柱に塗られた柿渋の匂い。染み込んだ汗と油の澱んだ気配がまだ漂っていた。静寂を裂くように──確かに、微かな掛け声。誰の姿もないのに、空気が揺れ、壁に掛けられた木刀がかすかに震えた気がした。「……これか」雷蔵おじさんが低く呟き、床板をあちこち叩きながら私に視線を落とす。
「ネズ公。お前、床下探ってこい」
三
私はすぐに潜り込む。束石と木組みの間をすり抜ける。木の軋み、湿った土のにおい、埃とカビがひげに絡む。暗がりの奥で、かすかに紙の匂い。それを辿ると──あった、古い新聞紙に包まれた固い塊を見つけた。
「チュチュッ」道場に戻った私が床板を引っ掻き位置を知らせると、雷蔵おじさんがそこを叩きながら、問う。
「狐か?」
しばらくの間──返事が返ってきた。『否』。
「狸か?」──『否』。
雷蔵おじさんは胡座で腕を組み、何かを考え込む。しばしの沈黙の後。
「……曾爺か?」『──成程、然り』
雷蔵おじさんが板を剥がしていくと出てきたのは、新聞紙に幾重にも包まれた桐の箱だった。蓋を外すと、ふわりと鉄と油の匂いが立ち上る。中には油紙にくるまれた数振りの刀が横たわっていた。「なるほどな。あのジジイ、道楽者だったとは聞いていたが……こんなところに隠してやがったか」 雷蔵おじさんの声に、どこか苦みが混じる。
刃文に沿って灯りが波打つように揺れ、ひげの先に細かい電流がぴりぴり走る。まるで刀そのものが息をしているかのようだった。数振りの中に一振りだけ、長い歳月を眠り続けていたにもかかわらず、気配が滲み出していた。それは静かに、何かがその身に凝り固まっているかのように。「チュ……チュッ」、私は身振りで示す。雷蔵おじさんは目を細め、低く呟いた。
「振られずに歳だけくったか」
刃を構え、空に一振り。鋭い刃鳴りが道場を裂き、型がひとつ、またひとつ空気に刻まれる。やがて声は、ふっと止んだ。
四
あとで知った話。 雷蔵おじさんの曾祖父さんは、道場を傾けるほどの金を趣味に費やす人だったらしい。曾祖母さんに隠れて買い、床下に隠した刀の中に曰く付きの一振りが混ざっていたのか。それとも、曾祖父さんその人の残渣が残っていたのか。
ただ、残っていた声は刃鳴りの中に吸い込まれ、二度と戻ってはこなかった。
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