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十五夜裏話


 風がさらりと頬を撫でる。昼と夜の境目、まだ空が青いのに、森の奥の影はもう黒々としていた。私──豆大福は、風の塊に乗っていた。名を鎌鼬(かまいたち)という室長(ボス)の式神のひとつ。姿はほとんど見えない。けれど、動けば空気が裂けるような音がする。

「チュー、あと三キロだってさ」

 道端の標識を見上げて呟く。青い看板には、白い文字でこうあった。


挿絵(By みてみん)

『月 Tsuki 3km』


 ボスから指定された地。この地名が鍵らしい。鎌鼬が風の渦を巻いて笑う。

「……遠いようで、近いな。お前、本当に行く気か?」

「行くよ。式神だもの。命令は絶対」


 そう言いながら、私は胸の奥にある淡い違和感を舐めるように味わった。今夜は中秋の名月。だが、ボスの指令はこうだった──月を、回収してこい。 意味が分からない、と思うだろう。でも特対室ではそれが普通だ。見えているものが本物とは限らないのだから。



 森を抜けるにつれ、夜が静かに降りてきた。虫の声が響く。木々の間から滲む光が、まるで月の欠片のように揺れている。鎌鼬が風を切って前を飛ぶ。私の体はほとんど重さを持たないから、風に乗るのは得意だ。

「鼠、あれを見ろ」

 鎌鼬が指し示した先、木々の隙間にまん丸の光が浮かんでいた。山の上に、まるで手の届きそうな距離に、月があった。


挿絵(By みてみん)


 だけど──近すぎた。まるで電灯のように、そこだけが明るい。 光は柔らかいのに、影を焼くほど強烈だった。

 空の高みにも、もうひとつの月が見える。

 ふたつ。月がふたつある。鎌鼬が低く唸る。

「上のは本物。下のは……」

「偽物だね」

「わかるのか?」

「匂いが違うんだ。あれは生き物の匂いがついてる」

 風が止んだ。森の空気が硬くなる。私たちは息を殺し、偽の月へと進んだ。



 近づくほどにそれは、まるで遠近法を無視するように、月ではなく物になっていった。直径およそ20cm。白く輝く球体。表面には月面のようなクレーター模様が刻まれているが、ところどころ人工的に滑らかだ。──まるで3Dプリントされたように。

「……光ってるぞ。熱もある」

 鎌鼬が風をまとって警戒する。

「チュー、間違いない。これは『贋月』だ」

 私はその名を口に出した。ボスの資料庫で一度だけ見た書物。


 『人の願いと業が融合した、偽の天体。人の眼を欺き、本物の月と重なる』


 だが、今回のこれは強すぎる。空の月がかすんで見えるほどに。

「誰が、こんな──」

 鎌鼬が訝しがりながら、周囲を飛ぶ。私はその月の裏側に、淡く光る呪文の円を見つけた。

「あ、あれ。照応の式だよ。地上と天を繋ぐ術式」

「……人が、ここまで現実を歪めるか」

 球体の表面に、微かに刻まれた文字があった。


『満ち欠けを忘れた月に、祝福を』


 私は短く息を吸い、両手を伸ばした。

「鎌鼬、風をお願い」

「任せろ」

 風が渦を巻く。私の小さな手の中で符がひらめく。

 眩い光が夜を切り裂いた。



 偽の月を包み込むように、私は護封の符を貼り付ける。空間が震える。『観測』が崩れたのだ。空に浮かぶ本物の月が、一瞬ふらりと揺らめいた。 鎌鼬が風の中で苦笑する。

「鼠、おまえ背中が少し焦げてるぞ」

「え、本当? 砂浴びで落ちるかなぁ」

 私と鎌鼬は偽の月を抱え、少しだけ見上げた。本物の月が静かに光っている。

「ねぇ、鎌鼬。人間って、どうして本物があるのに偽物を作ろうとするんだろうね」

「人間のことはよくわからん。だが、届かないからだろう」

「……」

「届かないものほど、欲しくなる。そんなものだろう」

 鎌鼬の言葉に、私は短く笑った。

「でも、偽物が本物を曇らせたら、本末転倒だよ」

「それでも、人は見上げるのをやめない」


 風が再び吹き抜けた。森の枝がざわめき、遠くでフクロウが鳴いた。私たちはボスの屋敷の方向へ、夜の空を滑るように戻っていった。



挿絵(By みてみん)


 ボスの机の上に、偽の月を置いた。光の玉はまだ、ほんのり温かい。鎌鼬が壁際に止まった。

「これで任務完了だな」

「チュー、うん」

 その時、ボスが部屋に入ってきて、偽の月を一瞥した。

「贋月、回収確認。報告完了とする」

 淡々とした声。私は思わず尋ねた。

「|チュチュッチュチュチュ、チュ、チュチュ?《ねえ、ボス。これ、誰が作ったの?》」

 ボスは一瞬だけこちらを見た。

「月を、近くで見たかった人間だ」

チュチュッ、チュー?(それだけで?)

「それだけで、世界は歪む」


 夜の帳が下りていき、満月が天上に輝く。私はそっと目を閉じ、胸の奥で呟いた。──チュー、これでみんなが見る月は、本物だ。

 突然ひゅうと風が吹き、鎌鼬がその隙間から顔を出す。

「なぁ鼠。あれ、少しばかり綺麗だったな」

「うん、偽物でもね」

 偽物の月も、本物の月も、どちらも人が心で感じる光だった。


 私は小さく伸びをして、独り言のように呟いた。

「チュチュッ……お月見団子、食べ損ねちゃったな」




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