神々の軋轢譚 ある年の九月事情
九月に入ったというのに、空はまだ八月の熱気を手放そうとしなかった。猛暑──と呼ぶのも生ぬるい、酷暑。任務から帰還した白鼠の式神・豆大福は、机の上でぐでりと伸びながら、ついに耐えかねて小さな掌を合わせる。
『チュチュッ、掛けまくも畏き神々の御前。白鼠式神豆大福、主の命受けて白す。炎天止まず。暑気焦風の穢、祓へ給ひ清め給へ。志那都比古よ風起こし、高龗よ露置かしめよ。言霊走り、今より鎮まれ。かしこみ』
ツブヤイタッターより
それは愚痴半分、冗談半分のつもりで吐いた祝詞だった。だが、発したのはただの鼠ではない。かの大己貴を地下の炎から救った「鼠」の末裔。僅かばかり宿す神話への縁故──故にその声は、遠き神座の彼方へ思いがけず届いた。届いてしまったのだ。
──高天原。
「……聞こえたか、高龗。大己貴の裔の声が、遥かに響いてきておる」
風の神・志那都比古と、水の神・高龗は、面倒そうに耳を傾ける。ちっぽけな鼠の嘆願。それがよりによって素戔嗚・大己貴ゆかり、らしい。腫れ物──しかし、系譜が系譜である以上、無視は体裁が悪い。
「確かに届いた。願うは風か、雨か。ならば応えよう。だが、その力は制御を知らぬ。嵐として降り注ぐのみぞ」
伺うようなその視線の奥に座すのは、地より二柱を高天原へ招集した天照。岩戸の記憶を未だ胸に抱く、光の女神。二柱の言葉に頷く。
「聞いたぞ……これは、かの愚弟の裔が放つ祈り。しかも我が光を穢れと呼ぶか」
淡く囁く声は忌々しさと、氷のような冷たさを孕んでいた。
「ならば天津神の威を示そう。ただし、与える形は我らが選ぶ。願いは天に届いたが、その応答を定めるのは天座の理なり」
二柱は詔された『天の任』に就き、顔を見合わせ、口の端に冷ややかな笑みを浮かべた。
かくして天空の帳が揺らぎ、南海の海面に熱が孕む。渦巻く黒雲が胎を成し、風雨が獣のように唸り始めた。それはやがて台風へと姿を変え、日本列島へと迫った。また、線状降水帯が各地に伸び、気象庁の予報は次々と赤に染まる。
気象庁 台風情報より
NHKニュースサイトより
人の世ではニュース速報。だが神の座では、それはただの応答でしかなかった。
──その頃。
「ふはははは!」
遠き根の国から響くのは、海を荒らす暴風のような哄笑。素戔嗚である。
「ふははは……見たかや。大己貴の裔、小鼠坊が放った声が、ついに天をも揺らしたぞ。天津の連中は相も変わらず、傲辞と共に力を振るう……それこそが奴らの性よ」
酒に酔ったような笑い声が天地を震わせ、稲妻さながらに尾を引いた。一方、祈り主の豆大福は──
「冗談だったのに!」
机の端で震え上がる。自分の小さな呟きが神々の派閥を刺激し、天候をも揺り動かしてしまったのだ。
「主の顔は立ったかもしれんけど……和御魂モードで鎮まってよぉ……」
神々の軋轢が空を覆い、台風進路図の線がじりじりと列島をなぞっていく。人間はそれをただ「自然現象」と呼ぶ。だが、ひとりの鼠だけは知っていた。
──この風雨は、神々の笑い声と溜息の交じり合いである、と。
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画像引用元
気象庁 https://www.jma.go.jp/jma/index.html
NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/