Prologue:序幕、2024年寒冷
いつからこういう気持ちを抱いていたのかなんて、はっきりわからないんだよね。
毎晩、いつ眠ってしまったのかだって、はっきりとはわからないし。
夜明け前のベッドの中は、まどろみとけだるさに満ちている。昨夜、このベッドに潜り込んだときには知らなかった匂いが、自分から立ちのぼっているのを感じる。
わたしにも、わからないです。
うんそうだよね、でも、君はかわいい。かわいくてたまらないとは、ずっと前から思っていた。
掠れた声が、ひんやりと澱んだ空気を震わせる。胸の中が甘酸っぱさに満ちる。
こういう気持ちをあなたに抱いてしまったこと自体が、悪いことだというのは、わかっています。
香水でもタバコでもない、あなたの身体の匂いを知ってしまった。それが悪いことだというのも、わかっている。
思えば、わたしとこの人との関係は、悪いこと、だらけだった。きっと誰にも祝福されないし、幸せだともみなされない。けれどもそれは、かわいそうなことじゃない。
悪いことかな。俺が君を、こんなに心底、いままで感じたことのないくらい激しく、かわいいと思っていることが。
背中をまるごと包まれて、大きな手が、わたしの口元とお腹のあたりを覆う。かわいい、と確かめるように吹き込まれて、涙が出そうになる。身体を知っても、内心は見えない。わたしの知らないこの人が、まだどこかにいる。
そんなに、かわいい、ですか。
うん。かわいい、以外で、君を形容できない。
いままで、そんな素振りはなかったじゃないですか。
抑えていたからね。ずっと。
もう抑えるのはやめたんですか。
やめたというか、振り切ってしまったんだよね。道を踏み外すときって、そういうものなんだと思うよ。
そうか、わたしとあなたは道を踏み外してしまったのか。そもそも、往くべき道の到達点は正しかったのだろうか。いまとなってはわからない。
他にはなにもいらないって、こういう感情なんだろうな。はじめて知った。
また腕が伸びてくる。カーテンの向こうがうっすらと、鈍く明るいように感じる。長い夜が、ようやく影をひそめる。
わたしが知らないこと、きっとまだ、いっぱいありますよね。
答えてくれない代わりに、わたしを腕の中に収める。そして、有無を言わせぬ声で囁く。
知らなくていいよ。知らなくていいから、いまはこうしていたい。
いつか、俺が知っていることと知りたいことをすべて話すから、いまだけは、俺のかわいい人でいて。