2.泥棒猫
「一緒に来るか?」
その誘いは、変わり映えのない日常に飽きていたミラにとって願ってもない誘いだった。それに得体の知れない男だと思ったが、毎晩外の世界に連れ出してくれた茶トラ猫なのだ。憧れの茶トラ王子の誘い、断る訳がなかった。
「行きます!」
男はシーツの中で、にぃっと笑った。
「俺はロビン。よろしくな。」
「私はミラ。よろしくね、ロビン。」
ミラはロビンに父親の服を貸してやり、着替えている間に居間で父親への手紙を書いた。
『お父さんへ
ミラは猫になる呪いを解くために旅に出ます。体には気をつけてね。 ミラより』
2人は外へ出て早朝の街中を歩いていた。
街の広場の噴水の前を通った時、ミラは立ち止まった。毎晩茶トラとここに来て、水面に映った月を眺めていた事を思い出していた。
ミラは人間になった茶トラ・・・ロビンの横顔をそっと見つめた。金髪に緑色の瞳。なかなか整った顔をしている。ロビンの金色のまつ毛は長く、緑の瞳は翡翠の宝石を思わせ、まくりあげたシャツから伸びる逞しい腕は噴水の水の中に浸かっていた。
(・・・って、あれ? 何してるんだろう。)
「見ろ、銀貨が6枚あった。」
ロビンは噴水から腕を出すと、掌の中の銀貨を見せてくれた。
ミラは目をこすった。
見間違いだと思った。
広場の噴水は、恋人同士で銀貨を投げ入れると結ばれるという伝説があった。だがまさか、ミラの憧れの茶トラ王子が恋人達の銀貨をネコババする筈がない。
「行こうぜ。」
「う、うん!」
ミラはロビンの後をついて行った。
街の外の平原に出た2人は、そのまま歩き続けた。ミラが行き先を尋ねると「俺の育ての親に会ってくれ」と言われた。ミラはいきなり家族を紹介されると聞き戸惑ったが、喜びの方が大きかった。
(家族に紹介してくれるなんて、私の事が好きってこと? 毎晩外に連れ出してくれてたし、そりゃそうよね。ミラ、覚悟を決めるのよ!)
20分ほど歩くと林が広がっており、その前にはテントがあった。ロビンがテントの中に入っていくと、ミラはどきどきする胸に手を当て、後に続いた。
「じぃ、ただいま。」
「ロビン様、お帰りなさいませ。おや、そのお嬢さんは?」
「ミラだ。俺と同じ呪いにかかってる。」
「な、何と・・・!?」
ミラはおずおずとじぃに挨拶をした。
「初めまして、ミラです。」
じぃは暫くミラを見つめていた。
「貴女も夜から朝になるまでの間、猫になってしまわれるのですか?」
「はい・・・赤ん坊の頃からそうだと聞いています。」
「・・・そうですか。」
じぃはミラに座るように促した。
「どうぞ楽にしてください。」
ミラは既に座っていたロビンの隣に腰を下ろすと、じぃから水の入ったコップを受け取った。
「ロビン様も幼少の頃から同じ様に猫になります。人間が猫に変わる・・・これは北の魔女の呪いでございます。古い人間なら、みんな知っております。ロビン様が大きくなったので、私達は呪いを解く為に北を目指して旅をしようとしたのですが・・・老体に鞭を打つのにも限界が来てしまいました。1人で旅をする様に勧めていたのですが、じぃの事を心配してロビン様は苦渋しておられました。しかし、ミラ様を連れて来たという事は、旅に出る決心がついたのでしょう。」
(なぁ〜んだ。結婚を前提にしたお付き合いをする為に紹介した訳じゃなかったのね。)
ミラは少しがっかりした。
「ミラ様、貝殻の形の宝石がついたペンダントをお持ちではないですか?」
「え? ・・・母の形見です。今は家に置いてあります。でも、なぜそれをご存知で?」
ミラは驚いたが、じぃはニッコリ笑った。
「肌身離さず持っていた方が宜しいでしょう。非常に価値のある品物です。」
「じぃがよく話してくれた宝物だろ。確かに売ったら相当な値がつきそうだよな、ほら。」
(うんっ!? 今なんて・・・)
ミラはロビンの発言に驚き、ロビンの掌の中を見て更に驚いた!
なくさないようにと大切に自分の部屋に置いてきたはずのペンダントを、なぜかロビンが持っていた。
「ちょっと! 何で私のペンダントを持ってるのよ!?」
「お前の部屋の引き出しに入ってた。」
「勝手に引き出しを開けて持ち出したって事!? それって泥棒よ! 信じられない!」
「よく知らない男を部屋に1人にした方が悪いだろ。」
「そんな事するなんて思ってなかったのよ!」
ミラはひどく混乱していた。そして「外の空気を吸わせてください」と言い残し、テントの外に出た。
(どういう事!? いきなり何で泥棒してんの!? でもそういえば、噴水のお金も拾ってたわよね!?)
胸に手を当て何度も深呼吸していると、テントの中からロビンを注意するじぃの声が聞こえた。
声が静まると、ロビンが出てきた。
「ペンダントの事、悪かったな。」
「本当に悪いわよ。」
ロビンがペンダントを差し出しミラに返した。受け取りながら、ミラは思った。
(付き合う事にならなくて良かった。この男、顔がいいだけで中身はヤバいわね。猫の時は優しかったのに・・・)
ミラは少し涙ぐんだ。憧れの茶トラ王子は、ミラの想像とは程遠い人物だったからだ。
テントに戻ると、じぃが先ほどの話の続きを始めた。
「北の魔女は北の最果てにある『ルビーの城』に住んでいると聞きます。険しい旅になるかもしれませんが、このコンパスがあれば道に迷わないでしょう。」
じぃはカゴの中から何かを取り出した。それは青色のコンパスだった。じぃがミラに手渡した途端、コンパスからもくもくと煙が出てきてミラは目を閉じた。それからゆっくりと目を開けると、薄い水色の毛の子どもの豹が目の前に現れた。驚いたミラは手を引っ込めた。
「「コンパスが豹に!!?」」
ミラとロビンが同時に叫ぶと、じぃが笑った。
「魔法のコンパスです。2人の行くべき道を示してくれるでしょう。」
子豹はバネの様に体を弾ませながらテントの中を2周すると、外に飛び出した。
「待って!」
ミラが外に出るとロビンも後を追おうとしたが、じぃに呼び止められた。
「ロビン様、その服はどうされたのですか?」
「ミラの父親の。」
「そうですか。昨夜はテントに服を残したまま帰って来ないから、心配しましたぞ。さぁさぁ、着替えてください。その服はミラ様のお父上にじぃが返しておきましょう。東にある街の薬屋ですな?」
「うん。」
ロビンは手早く着替えた。じぃはそれを見守ると、ゆっくりと立ち上がって大きな荷物をロビンに渡した。
「いつかこんな日が来るだろうと思い、荷造りしておきました。ロビン様、ミラ様をしっかり守ってあげてください。」
ロビンは真面目な顔をして頷いた。
「分かってる。じぃ、元気でな。行ってくる。」
じぃが微笑むのを見ると、ロビンはテントから飛び出した。