1.夢見る少女
しがない街の薬屋の娘、ミラ。16歳。ミラには秘密がある。ちょうど日付が変わる頃に、ミラは猫に変身してしまう秘密があるのだ。この事を知っているのは、ミラと父親だけ。
猫になって外に出るのは危険だと、父親からは夜の外出を禁止されている。時々眠れないまま猫になる時があると、ミラはいつも暗い部屋の天井を睨みながら思うのだ。
(つまんないなぁ。誰かが私を外に連れ出してくれないかしら。例えば・・・白馬の王子様が来て、どこか遠い所に連れて行ってくれないかしら。)
退屈な毎日を過ごしていたある日。
その日はミラにとって特別な日だった。
昼間、母親の形見のネックレスを何処かでなくしてしまったミラは、夜、外に出てネックレスが落ちていないか探しに行こうと決めていた。連日大量に薬を買うお客がいて、薬を調合するので忙しく昼間は探しにいく時間がなかったのだ。
深夜0時。月明かりの下、ミラは開け放った出窓の前に立っていた。するとミラの体が光りだし、服がパサリと落ちた。落ちた服の中には、赤毛のほっそりとした猫がいた。ミラだ。そのままふらりと窓から飛び降りると、ひっそりとした夜の街を歩き始めた。
しばらく歩いていると、3匹の猫が細い路地に居た。横を通り過ぎようとしたら、真ん中に居る猫がミラのネックレスを口に咥えているのが目に入った。
(こいつらが盗んだのね!)
毛を逆立てて威嚇するミラ! しかし、3対1の決闘だ。勢いで威嚇したものの、自分に勝ち目が無い事にすぐに気がついた。だがもう遅い。灰色の猫が毛を逆立てている。そのまま走ってきて、鋭い爪を出した猫パンチが飛んできた。ミラは咄嗟に固く目を閉じた。
「ノワァァァ!!!」
聞こえたのはミラの悲鳴ではなかった。目を開けると、目の前では茶トラの猫が灰色の猫と戦っていた。なぜだかミラに加勢してくれている。
引っ掻いたり噛みついたりした2匹は、お互い後ろに飛び退いた。茶トラの猫はペンダントを咥えた猫にタックルすると、地面に落ちたペンダントを咥えてミラの横を駆け抜け、細い路地に入っていった。呆然と様子を見ていたミラだったが、慌てて後を追いかけた。
後ろから3匹の猫が追ってきていたが、無我夢中で幾つかの細い路地を走る内に、うまく撒けたようだ。
気がつくと街の広場に出ていた。広場中央にある噴水の前に行くと、茶トラの猫はペンダントを地面に置いた。後を追いかけていたミラの存在に気がつくと、体を擦り寄せて来た。どうやらオス猫に好かれた様だ。
(ごめんね。私、本当は猫じゃないの。でもありがとう。なかなか格好良かったわよ。)
ミラはお礼を兼ねて茶トラ猫に頭を擦り付けると、ペンダントを口に咥えて自分の家に向かって走った。家に着くと、開けたままになっている出窓から部屋に入り、ベッドに潜った。
(まさか猫に助けられるとはね。でも、見つかって良かった。)
翌日は朝寝坊してしまった。でも手元にはちゃんと形見の品があり、胸を撫で下ろした。
夜。深夜になり猫に変身した。出窓の内側から月明かりを眺めていると、外から「ニャー」と猫の鳴き声がした。昨日の茶トラ猫が地面に座ってこちらを見ていた。
(会いに来てくれたんだ。)
嬉しくなったミラは、猫の手でなんとか鍵を開錠して窓を開けた。外に飛び降りると、茶トラは「ミャア」と一声鳴いて街の中を歩いていく。ミラもその後を追いかけた。
(猫なのに、デートにでも誘っているのかしら。)
それから茶トラ猫は毎晩家に来て、ミラを外に連れ出してくれた。父親との約束を破っているが、この茶トラ猫と一緒に街中や街の外を散歩しているとミラの胸は高鳴った。今まで見たことのない美しい星空や、噴水の水面にうつる満月を2匹で眺めていると、ロマンチックな気分になった。
ミラはしがない薬屋の平凡な娘。だけど、茶トラ猫のお陰でつまらない日常にときめきが加わった。
ミラにとって茶トラ猫は、白馬の王子ならぬ茶トラの王子ともいえる存在になっていた。
(私だけの茶トラの王子様。もしも茶トラが私と同じ人間だったら、素敵な恋をして結婚して、幸せな家庭を築けるのになぁ。)
ミラは夢に夢見る可憐な16歳。そんな妄想をしながら茶トラとデートを続けたある夜。ミラは自分の部屋のベッドに戻ると、出窓で座っている茶トラをじっと見つめた。
いつもこのまま帰ってしまうが、今日は一緒にベッドで寝て、このまま家で飼う事は出来ないだろうかと考えた。
茶トラの傍まで行き、体を擦り付けた。そしてベッドに戻ると、茶トラもベッドに飛び乗ってきた。2匹で身を寄せ合って横になると、ふわふわの毛と、温かいぬくもりが心地良い。
そのままシーツの中で、ミラは眠りに落ちてしまった。
翌朝。目が覚めたミラは、眠い目を瞑ったまま隣で寝ているであろう茶トラを探して手を伸ばした。すぐ隣に温もりがあった。が、想像とは違う。ふわふわの毛じゃなくて、ツルツルの肌だ。それになんか、筋肉質・・・
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!猫じゃない!にににににに人間だわっっ!!」
ベッドから飛び出ると隣で寝ていた筈の茶トラの姿を探した。が、どこにもおらず、代わりにシーツを被っている裸の見知らぬ男が眠っていた。そしてミラも裸だった。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ミラは急いで服を着た。
(落ち着け、落ち着くのよ、私。猫に戻るといつも裸だから、私が裸でいるのはいつものこと! そして朝になるまで猫でいたはずだから、私とこの男とは何も無かったはず!)
パニックになりながら昨夜の事を思い出そうとしていたら、男が目を覚ました。
「ちょっと!! あんた私の部屋で何で寝てるのよ!? っていうか何で裸!? あんた誰!?」
「げっ! 俺とした事が、あのまま眠ったのか!」
「私の部屋から出て行きなさい、泥棒!!」
近くにあった箒を振り上げて、男に振りかぶった。
「ま、待てっ!! 俺は泥棒じゃない! お前の飼ってる猫と一緒に居たんだ!」
ミラは振り下ろす手を止めた。
「い、今、なんて・・・?」
「だから、お前の家で飼ってる猫と一緒に居たんだよ。信じられないかもしれないけど、俺は夜中だけ猫になるんだ。それで」
「あんたがあの茶トラなの?」
「俺の事を知ってるのか?」
ミラは秘密を打ち明けるか悩んだが、自分と同じように夜中に猫になってしまう人間と初めて会った。もしかしたら同じ悩みを分かち合う事が出来るかもしれない。
「私も、夜中に猫に変身しちゃうの。毎晩私の所に来ていたのは、あなただったの?」
「・・・」
男は目を見開いてミラを見つめた。かなり驚いた顔をしている。
「猫に変身するのは、魔女の呪いだ。俺はこの呪いを解くために旅をしてる。お前も同じ呪いにかかってるみたいだし、一緒に来るか?」
思いがけない誘いに、ミラは耳を疑った。