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「有名、と申されますと…日本史の教科書に取り上げられるような偉人、という事でしょうか?」
「え、あ、はい。そんな感じで」
「そういうことでしたら、私は「いいえ」とお答えしておきましょう」
つまり、有名人ではないということなのか。
「「遠藤孝明」様は、現在東京都で製薬会社に、社員の一人として勤めていらっしゃいます」
「ええっ?!」
いわゆるサラリーマン?しかも、現在ということは、故人でも何でもない普通の人?
「「佐藤かおり」様は、専業主婦としてご家庭の家計を切り盛りなさっております。現在結婚七年目、六歳の娘さんと二歳の息子さんをお持ちです」
今度は主婦…。
「ここの展示品って、みんなそういう、普通の人のものなんですか?」
「どうでしょうねえ。あなたにとっては普通の人かも知れませんが、他の人にとっては普通の人ではないかもしれない。
しかし、まあ、ここには、様々な人生を歩んでいる人々の様々な品が展示されています、としかお答えしようがございません。
中には、立派な会社をうちたてて社長となられた方の展示品もございます」
それきり、男の人は黙ってしまった。
仕方なく、さっきも見た展示品たちをもう一度眺めてみる。たくさんあるけれど、一体どれだけの人のものが展示されているんだろう。
「…今日もいらっしゃいましたね」
燕尾の男が、展示コーナーの入り口を見やって呟いた。俺も、それに倣って振り返る。
やってきたのは、中年の男の人だった。まるで、他のものなど見えないかのように一心に歩いて来て、さっきの汽車の展示の前で立ち止まる。
そのままその人は、銅像のような生気のない表情で動かなくなった。眼だけが、走り続ける小さな汽車を追っている。後ろ姿は着ている背広と同じくらい、くたびれて見えた。
まぎれもなく人間なのに、壊れたからくり人形を見ている気分になって、俺はぞっとして顔を逸らした。
「彼が、遠藤孝明様でございます」
淡々と、中年男の姿を眺めながら燕尾服が告げる。顔は、何の表情も映していなかった。
「時間さえあればここにいらっしゃって、あのおもちゃの汽車を眺め続けておられます」
そんなに大事なものだったんだろうか。あの、どこのおもちゃ屋でも売っていそうな汽車が。
むしろ、いい年した大人が、小学生でも見向きもしないおもちゃを熱心に眺めているのが滑稽で、俺は顔をしかめてしまった。
「ああ、みなさん次々やってきますね。
今日も、ここは賑やかになるでしょう」
彼の言う通り、次々に客と思しき人たちが博物館に入って来ては、他のものに見向きもせずに思い思いの展示品の前で立ち止り、飽きずにそれを眺めている。
みんな、眠った貝のように口をつぐんでいた。時折、ぼけた音を紡いでいるオルゴールを見つめている人が、曲に合わせて口ずさむのが聞こえてくるだけ。
たくさんの人がひしめき合っている様子こそ賑やかではあったが、人と人との生きた会話は一切なく、沈黙が重苦しかった。
この展示コーナーの空間が、美術館に展示してあるような、一枚の絵画のようでもあった。
そんなに大切なものなら、どうしてみんな、返してもらおうとしないんだろう。
ショーケースのガラスを、爪でもどかしそうに引っ掻いている人を見て、俺は思った。
自分のものなんだから、ここの館長に言って返してもらえばいいのに。
そもそも、どうしてそんな大事なものを、こんなところに展示する羽目になったんだろう。
「彼らと展示品とを隔てているのは、ショーケースのガラスなどではないのです」
俺の心でも読んだのか、燕尾の案内人が疑問に答えた。
「展示品を展示しようと望んだのは、他でもない、彼らなのです。
あの頃のままの形で、届かない所に置いておこうと決めたのは、彼らなのです」
俺には、全然意味がわからなかった。わざわざ手の届かない所に置いて、ただ黙って眺めるためだけに時間を使って。一体それに、何の意味があるのだろう。
「足しげく通ってくるお客様はたくさんいらっしゃいますが、中には、この博物館から出られなくなってしまう方もいます。展示品から、離れられなくなってしまうのです」