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第2話 帰ってきた客

 ふとドアの開く気配にエイブリーが目を上げると、いつのまにやら二階に上がってきていたボニーが、呆れたように両手を腰に当てて大袈裟にため息をついた。


「エイブリー、また食事を忘れたわね?」


 ボニーはまだ二十五歳だが、時々こうやって、エイブリーの母親であるかのように振舞うのが可笑しい。そんなボニーの娘であるベラも、母親の真似をして腰に手を当てた。


「ブリーおばちゃん。ごはんはね、たーんと食べないといけないんですよ?」


 まだエイブリーと呼べないベラは、可愛らしいエプロンドレス姿で人差し指をたて、「だよね?」と、母親に同意を求めて首をかしげる。その愛らしいしぐさに、エイブリーは頬がゆるんだ。


「そうね、ベラ。あなたの言うとおりだわ。だめね、つい忘れてしまって」


 おいでとエイブリーが両手を差し出すと、ためらいなくベラが腕に飛び込んでくる。その温かくも確実な重さと甘い匂いに、エイブリーは満足げに息をついた。

 はじめて会った頃のボニーよりも少し幼いが、あの頃の彼女と同じ匂いだ。

 生きてる、優しく甘い、命の匂い。


「ベラ、おにいちゃんは? エヴァンは一緒じゃないの? 他の人たちは?」

 ベラの髪に顔をうずめながら尋ねると、上からボニーがくすくすと笑うのが聞こえた。


 エヴァンはボニーの六歳になる兄だ。たしかさっき、紙芝居を見ている後ろ姿が見えた気がしたけれど……。


「えっとね。もうお昼だからみんな帰ったよ。にいに(・・・)はお客様を連れてくるの」

「お客様を? そうなんだ」

「うん、そうなの」


 胸を張って答えたベラの頭を撫でてボニーを見ると、彼女が賛同するように頷いた。

 村には宿がない。そのため、ここに訪れる客人を泊めるのがエイブリーの仕事ともいえる。実際はこの館を使わせてもらうために、あえてつけてもらった条件だ。


 エイブリーが人になったとはいえ、小さいながらも守護の力が残っている。精霊には魔法のような力が備わっているのだが、エイブリーは高貴な身だったため、もともと備わっていた力が強い。その為ここにいれば客人は安全で、逆によからぬ客は近寄ることができないのだ。


 とはいえ、この村に来るような新しい客はまれで、年に数人いるかどうか。

 ボニーの様子から顔見知りだろうと見当をつけると、ちょうどエヴァンがひょっこりと顔を出した。


「こんにちは、エイブリー。お客様を連れてきたよ」

 エヴァンがはきはきと言って満面の笑みで振り返ると、大人の男性が後ろからゆっくりとした足取りで入ってきた。


 濃い茶色の髪を後ろで結んだ男性は背が高い偉丈夫で、少しだけいたずらっぽい表情(かお)で軽く頭を下げた。

「やあ、エイブリー。久しぶり」

「まあ、バール(ひげもじゃ)じゃない!」


 約一年ぶりに会う客人に、エイブリーの顔が輝く。

 バール(ひげもじゃ)はエイブリーが付けた仮の名前だ。


 十八年ほど前に、傷つき倒れていたところを村人に保護された男で、この館に運び込まれた。ここなら悪さはできないし、傷の治りも早いだろうというパーシーの配慮だった。

 村人の警戒と同情を一身に受けた男は、目が覚めると自分のことを何も覚えていなかった。名前も年も。

 そこで、当時彼の髪とひげが伸び放題だった彼に、エイブリーが便宜上仮の名を付けたのだ。


「バール、今度はゆっくりできるの?」

 ベラを抱き上げながらエイブリーが尋ねると、バールは「ああ」と頷いた。

「また世話になってもいいかい?」

 まるで肌を撫でるような滑らかな声にエイブリーが笑顔で頷くと、なぜかボニーが「ありがたいわぁ」と泣き真似をした。


「バール、エイブリーの食生活をお願いね」

「ああ、そのつもりだ」


 ほっとくと食事を忘れるエイブリーだ。客人がいても、ろくに食事の支度などできない。他の家事は一通りこなせるし、裁縫や掃除は大の得意だが、料理だけは壊滅的。なので客人がいる間は村人が多少手伝ってくれるのだが、バールは料理が得意で、エイブリーも彼の作る料理だけは食欲がわくし、大好きだ。

 彼がいれば欠かさず食事をとるので、ある意味バールはエイブリーの保護者役を押し付けられているともいえる。

 推定では、バールはエイブリーと同じ年ごろか、少し若いくらいではと考えられていた。なのに彼のそばにいると、みんなはエイブリーのほうが子供であるかのように扱うのだ。


(さすがに四十の女にそれはないと言いたいところだけど……)


 事実普段食に興味がないエイブリーが、バールがいるときだけまともな食生活をする、と言われては文句は言えない。


「バールの料理がまた食べられるなんて、とても楽しみだわ」


 そう言ったエイブリーにバールが大きく微笑んだ。

 その笑顔が、エイブリーの胸の奥にふわりと広がる。その不思議な感覚を覚えるようになったのがいつからかは覚えていない。

 ただ一つ言えることは、彼がそばにいるときエイブリーは、自分も生きているのだと、新発見のような思いをいつも味わうのだ。


(ああ。本当に彼が帰ってきた)


 いつもより長い旅だったから、もう二度と会えないかもと覚悟をし始めていた。

 でも会えた。また彼の笑顔を見られた。

 ただそれだけのことが、エイブリーの心を少女のように弾ませる。

 でも表にはそんなそぶりは出さず、ただ親しい友人の訪問に柔らかく微笑むのだ。


「今度はどれくらい滞在できるの?」

 はじめの療養期間をのぞけば、自身の手がかりを探しつつ旅をするバールの滞在期間は、長くても数か月だ。

 数か月旅をして、またここに滞在するを繰り返してきた彼が、今回は一年近くもいなかった。もしかしたらこれが最後かもしれない。そんな不安を隠して尋ねると、バールはベラの頭を撫でて、意味深な笑顔になる。


「たぶん、けっこう長いと思う」

「そう、なのね?」

「うん。やっと落ち着けそうだから」


 その言葉にエイブリーがハッとすると、ボニーがいたずらっぽく微笑んだ。


「あら。ついに永住する気になった?」

「かもね」


 バールの短い返事に、エイブリーの心臓が跳ねる。

 ずっと彼が近くにいるのは嬉しい。

 ただそうなれば、ずっとここに滞在とはいかないから、新しく家を用意することになるだろう。


 一瞬、エイブリーに向けられた彼の甘やかな視線に気づかないふりをして、かわりに友人へ向ける温かな笑顔を作った。


「それは、いいことね。何か思い出せたの?」


 少しだけ手が冷たくなったエイブリーに気づかず、バールはにっこりと頷いた。

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