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第1話 精霊のお姫様

 精霊は人と恋をしてはいけません。

 もし人と心通わせ、結ばれることができれば幸せでしょう。けれどもそれでは互いの命が散ってしまいます。

 私がそうなるのはいい。でもあなたがそうなるのは嫌。幸せそうな笑顔のあなたが愛しいのだから。


(だから私は永遠に、この想いを隠し通すのです――)


   ◆


 エイブリーが作業の手を休めて春の日差しに誘われ窓を大きく開けると、下のほうから物語を語る声や、少し舌足らずな可愛らしい声が聞こえてきた。


 今日は十日に一度の休養日。

 どうやら中庭でボニーが、村の子どもたちに物語を語って聞かせているらしい。

 彼女は物語を語るのも上手だが、数年前から始めた紙芝居は村の子どもだけではなく、大人にも好評だ。

 見下ろしてみると、ちょうど木陰に集まっている母子らしき人々と、ボニーが台に置いた紙芝居の絵が見えた。


(今日の物語は「精霊のお姫様」みたいね)


 背中に蝶のような大きな羽を持つのが精霊だ。ボニーの描いた美しい絵と澄んだ声に、エイブリーは小さく微笑んだ。あの精霊のモデルは若いころのエイブリーだとボニーは言うが、さすがに美化しすぎだろう。



「……アプラントルには人の国と精霊の国があり、昔は交流も盛んでした。

 精霊と言っても見た目は人とほぼ同じ。違いと言えば、――そう、精霊の背中には蝶のような羽があって、小さな魔法を使えることです。人には羽はありませんが、さまざまな道具を生み出します。

 昔はそんな両種族が互いの文化を尊重し、たまに争いながらも平和に暮らしてきたました。


 でも今はちがいます。二つの国の間には門ができました。人が作ったものでも、精霊が作ったものでもない、不思議な門です。

 その門は七十四年に一度だけ開きます。精霊と人は、その間だけ交流すると決められているのです。

 ただし門は気まぐれで、期間は一年だったり二年だったり、場合によっては数日なんてこともあるとか。


 何故こんなことになったかと言えば、人間と精霊、それぞれが持つ時間が問題だと考えられていました。精霊に比べ、人の時間は早く進みます。

 両国の間にこの不思議な門が表れたのは、お互いの時間の流れが原因で問題が起こっていたころのことでした。


『これは大地(アプラントル)の意思だ』


 皆はそう考えました。

 海と大地は生命の源。大地が二つの種族を分けたほうがいいと考えたなら、その意志に背いてはいけないと思ったのです。

 そこで両国の代表者たちが話し合い、門の周りに低いながらも塀を設けました。そして互いの交流はこの門が開いた時、――すなわち大地が許した期間のみと決め、それ以外の期間は行き来することを禁止したのです。


 そうして長い時が過ぎたある日のことです。


 ある人間の男が精霊の国に忍び込みました。――――うん、そう。門も開いてないのに、勝手に行ってしまったの。

 もちろん男は、これがやってはいけないことだと分かっていました。


 当時、人の国である病気が流行っていたのです。男の妻も、幼い子供もその病気にかかり、何日も生死をさまよっていました。

 とうとうお医者さんもさじを投げたとき、男は精霊に助けを求めたのです。門が開くのは何十年も先で、待っていることなんてできませんでした。


 そうしてこっそり忍び込んだお屋敷で、男は精霊のお姫様に会いました。

 捕まってしまうかもしれない。もしかしたら殺されてしまってもおかしくはありません。

 でもお姫様は男の話を聞くと、内緒で自分の力を分けてくれたのです。そして男を無事、人の国に帰してくれたのでした。


 お姫様に分けてもらった力によって、男の家族も国の人々も救われました。


 ――ええ、そうね。精霊のお姫様がいなかったら、たくさんの人が死んでしまったわね。


 でもね、精霊のお姫様はこの罪を咎められ、男の代わりに死刑になってしまいまったのです。誰かが罰を受けなければならないのなら、自分が受けると言って。


 それを知った人々は悲しみ、お姫様を偲んで、蝶のような花の咲くクレロデンドルムを庭に植えるようになりました。――おしまい」


 紙芝居をおいたボニーが優雅に一礼すると、観客から拍手が起こった。


「ねえねえ、おかあさん。門はいつ開くの? あたしも精霊さんに会える?」

「そうねえ。次はたしか、四十四年後くらいかな」

「よんじゅうよねーん?」


 素っ頓狂な少女の声に、エイブリーは小さく吹き出した。こちらからは小さな背中しか見えないが、幼い少女はきっと自分の指を折りながら、四十四を数えようと頭を悩ませていることだろう。それにつられて、他の子どもたちもわいわい騒いだり、自分がそのころいくつかを、そばにいる母親に聞いたりしているのが分かった。


(そっか。あと四十四年したら門が開くのね。あと四十四年。でもその頃にはもう、私は生きてないでしょうけど――)


 この春に四十歳になったばかりのエイブリーは、そんなことをなんの感傷もなしに考えた。


(私が故郷の誰かと会う日は、もう二度と来ないのだわ)


 改めてそれを認識し、そっと息をつく。

 エイブリーがこのアティーネに来て、今年でちょうど二十年だ。二十年はあっという間に過ぎたようにも思うし、とても長かったようにも思える。


 でもあちらの世界では、たぶん十年弱といったところか。

 一歳年下だった妹は、まだ三十にもなっていないだろう。


「きっと子供もいるわよね」

 エイブリーの二人目の婚約者だったノエルは、エイブリーの妹フィービーと結婚したはず。きっと幸せに暮らしているに違いない。


 エイブリーは相棒にも等しい機織り機をそっと撫でた。

 この館で掛布(タペストリー)を織りながら、一人静かに過ごす。

 名目上は、エイブリーの最初の婚約者で、早くに亡くなったアシェルの魂を慰めるためだ。


 ボニーが語った物語は真実で、ここでそれを知っているのはエイブリーとボニーの父親だけ。精霊の国に忍び込んだ男――それがボニーの父親パーシーだった。


(でも私がパーシーを助けたのは、ただの身勝手な理由だった)


 エイブリーが精霊と呼ばれていた日は遠い昔で、背中の羽を失った今はただの人として、人の国であるここで一人生きている。だがもとは、人の世界でいう貴族の娘だった。

 アプラントルの門に接する領地、ロアナ。そのロアナを守るエルマー・ロードの一の姫――それがエイブリーだ。


 精霊の頂点を王とすると、エイブリーの最初の婚約者アシェルは第一王子だった。幼い日に少しだけ会った三つ年上の少年は、金色に輝く髪と目が美しかったことをよく覚えている。彼が十三歳で亡くなったりしなければ、エイブリーはここにはいなかっただろう。

 しかしアシェルが亡くなり、エイブリーが第二王子のノエルとの婚約が正式に決まったとき、彼がフィービーと相思相愛であることにエイブリーは気づいていた。


 王族との婚姻は力の均衡が重要で、王子の相手はエイブリーの妹フィービーでも構わないはずだった。なのにそうならなかったのはエイブリーがいたからだ。明らかに自分は邪魔者で、消えてしまいたいほど苦しんだ。妹のことが大好きで、婚約者の弟だったノエルのことも、弟のように愛してたから。


 悩み苦しみ続けていたある晩に、エイブリーはパーシーを見つけた。


 エイブリーは子供のころから、なぜか人間が好きだった。物語でしか知らなかった人間に会い、嬉しさと好奇心で心が震えた。その人間が苦しんでいることを知り、自分の力を分けたのは、それが禁忌であることを知っていたから。


 そして罰として、エイブリーは人の世界に追放された。もう二度と大切な家族に会えない、あっという間に命尽きる人になることは、精霊にとって死に等しい。

 だがエイブリーが消えれば、自動的にフィービーはノエルと結ばれる。

 ノエルは妹を幸せにすると約束をしてくれた。それだけで満足だ。


 人の世界に来たエイブリーは、今度はパーシーに助けられた。

 知り合いもいない、勝手も違う世界。ただ一人、死ぬまで掛布を織り続ける。


 だからといって、淋しいわけではない。


(精霊には会えなくても、ここを訪れる客人は後を絶たないし)


 今は一人でこの館に住むエイブリーのもとには、三日と開けずに人が訪れる。

 美しい中庭でくつろいだり、部屋の奥の図書室で過ごしたりといった、村人の憩いの場として使われているようなのだ。


 もともとこの館はパーシーの持ち物である古い別邸だ。彼の曽祖父が今の館を建てる前に住んでいたとかで、町のほうに引っ越してからは、視察の時などに使う別荘だったという。だからこんな風に人が集まるなんてことはなかったはずなのだが、気づいたらそうなっていた。

 それはたぶんボニーのせいだろうと気づいていたけれど、この居心地のいい空気に不満などない。


 エイブリーは朝から織っていた掛布に目をやり、少し考えてから修正のために糸を解き始めた。今日も一日何事もなく過ぎていくと思っていたのだけれど――

今日中に2話目までは投稿しようと思います

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