力のない者のつぶやき。
苦々しい顔をして、私はスマートフォンの画面を閉じた。
小説投稿サイト『小説家になろう』。その中に投稿されている作品を、また一つ読み終えたのである。
今回読み終えたのは、いわゆるチーレムもの。
異世界に転生した主人公がチートスキルを超自然的存在から授かり、現代知識と超能力で無双して、出会った美少女とキャッキャウフフするやつだ。
テンプレ的な物語だが、その分読んでいてあまりストレスがない。
サクサク読み進め、半日をかけて全114話を読破したのであった。
「…ま、こんなもんか」
呟いて、今度は目を閉じる。
わずかな楽しみを得るための、使い捨ての物語。主人公の名前もヒロインの名前も、最終決戦のラスボスの名前も、もう思い出せない。
二度と読み返すことがないであろうその物語に抱いた感想は、「この程度か」というものだった。
文体は平坦、展開は疎か、舞台の設定から登場人物の造形に至るまで、ゲームや漫画、それこそ『小説家になろう』で見たことがあるような物語のツギハギだった。
人気作を真似して人の耳目を集め、悦に浸る。
そんな作者の顔が透けて見える、欲にまみれた作品であった。
「俺なら、こうするか…。」
忘れつつある物語を前にして、頭の中で妄想が捲る。
自分なら、読者から予想される展開ではなく、物語を一捻り二捻りし、もっと人気が出るようにするだろう。
登場人物もきちんと把握し、作中で忘れ去られることはないよう、適材適所の見せ場を作る。
徒にチートを使うのではなく、戦略と仲間との連携で強敵を倒す。
妄想の中の私は、ネット小説から名を挙げた小説家となっており、自分の生み出した作品は多角的な展開を見せ、アニメやゲームとなり、キャラクターグッズが巷に溢れていた。
しかし、現実の私は小説を投稿しようにも、どう書けば良いのか、どう魅せれば良いのかに悩んで、投稿する勇気を持てないでいる。
何でも良いから投稿すれば良いのだという意見があるのもわかる。
愚作でも、作品を編み出せば小説家の仲間入りではないかという肯定的な考えがあるのもわかる。
だが、だが、無理なのだ。
物語を愛し、物語を書き、物語を編み出そうとするからこそ分かるのだ。自分の実力が。
読み手を満足させるだけの力を持たない、自称小説家の実力が。
良い作品を造らねばならないという芸術家崩れの自尊心が、私から作品を編み出す力を失わせるのだ。
だからこそ、私は長い物語を編み出すことができる人を羨み、尊ぶ。
そして妬ましく思ってしまう。
その人達には、私が求めて止まない、編み出す力があるからだ。
たとえ、その物語の出来がどんなに悪くても、どんなに醜悪で、作者の欲望が透けて見えたとしても、物語を造り出すことの出来る力を、私は望んでやまない。
力を持つ者と持たざる者。
その差はほんの少しなのであろうが、その少しの差が私にとってはあまりにも大きい。
「書けない。」
そうだ、書けないのだ。
私には、物語を編み出す力がないのだ。
その事実を知った私は、深い絶望に包まれた。
愛してやまない物語というものから、私はそれを造る資格がないと、拒絶されているのだ。
悲しいかな、その私の絶望を和らげるのも、また物語であった。
私にはない、物語を編み出す力を持つ誰かが造った物語が、私の無聊を慰める。
結局、私は物語という名の牢獄から、抜け出すことはできないのだ。
そうして、私はまた『小説家になろう』に投稿された作品を読む。
自身が持つことのできない力を持った者たちを愛し、羨み、憎みつつ。