07 プリントと彼女
「戸中くんも呼ぶ?」
そんな声が聞こえた。
おだやかな陽気で、すこし窓を開けているだけでとても快適な日だ。
昼休みの図書室では、机で三田と高橋が向かい合って座っていた。
他に生徒はいない。
ということは、戸中とは俺のことだ。
と思いつつも本から視線は動かさない。聞きちがいの可能性があるからだ。
こんなとき、なになにー? なにしてんのー? などと言える人間もいるだろう。人生を切り開いていける人にちがいない。
来世の俺ならすこし可能性があるだろう。よろしく。
「戸中くん」
と三田がやってきて、顔を上げる。
「なに」
「宿題やってる?」
「やってる」
今日は宿題を提出する。授業の開始前に、前回わたされていたプリントを回収される。
忘れてきたけれど授業中に急いでなんとかする、という方法が許されない無慈悲な形式だ。
俺はプロなので昨日と今日の昼休みで仕上げてある。
「いま、プリントある?」
「あるけど」
「借りていい?」
「いいけど」
横にあったプリントをわたすと、ありがとう、と三田は席にもどっていった。
「……あ、ほら、戸中くんはAだって」
「ほんとだ。じゃあこっちにしよう」
「うん」
「ちょっと待った!」
俺が立ち上がると、二人は手を止めた。
「あ、あの……。答え合わせに使ってない?」
「使ってるけど」
三田はなんでもないように言った。
「俺の答えを参考にされても困るんだけど」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
三田はなんでもないように言う。
「だいじょうぶじゃなくて。俺、そんな学力じゃないから」
「どうかした?」
三田がふしぎそうに言う。
「俺のを参考にしてもしょうがないし」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
「だからなんで」
「だって、戸中くん、ちゃんと宿題やってるし、まじめでしょ?」
「え?」
「いつも図書室でやってるでしょ?」
いつも、というほどお前は知らないだろという気持ちと、多少でも記憶にある! という気持ちが同時に起きて、頭がちょっとふらついた。
「たしかに、俺は宿題をやっている」
「ほら」
三田が高橋に言う。
「でも、やっているだけで、成績がいいとはかぎらない」
「え?」
「このプリントがどれくらい正解してるかなんてわからない。そんなものを参考にされても困る」
俺は堂々と言ってから、はっとした。
なにを宣言させられているんだ俺は。
「これは、とりあえず、回収するから」
と俺は自分のプリントを持って図書室を出た。
戸を閉めて思う。
しまった。
廊下に出てどうする。
この時間、図書室唯一の貸し出し係だ。
職場放棄だ。
しかし。
言い捨てて出ていって、のこのこもどっていけるか?
コツコツ宿題をやっておいて、成績は大したことはない、なんて言っておいて、もどれるか?
……。
俺は静かに戸を開けた。
三田たちのほうを見ず、カウンターにもどって本を開いた。
文字が全然読み取れない。字を教わったばかりの子供もこれほど読めなくはないだろう。
でも読まなければならない。
本の先には別の世界があるからだ。現実から逃げるにはこれ以上の場所はない。
足音が近づいてきて、びくっとした。
それはカウンターの前で止まる。
おそるおそる見上げると、三田がいた。
す……と三田がカウンターに手を置いた。
手がどかされると、ブラックサンダーミニバーが残されていた。
「ごめんね」
三田は言った。
「え、いや……。このたびは……。こちらこそ……。むきになって……」
俺は、ブラックサンダーをすこし、三田の方に押した。
「え?」
「こちらからも、謝罪ということで……」
俺が言うと、三田は俺をじっと見てから、ちょっと笑った。
え、なんで?
「じゃあ、これは、プリントのお礼ということならいい?」
三田がすこしブラックサンダーを押した。
「あ、はい。じゃあ」
「うん」
「はい」
よくわからない返事をした。
「ねえ」
高橋のほうへもどりかけた三田が言った。
「なに?」
「どうしてもどってきたの?」
「どうしてって……。受付係だから」
俺が言うと、三田は大きくうなずいた。
それから、俺が横に置いておいたプリントを手にとった。
「え?」
俺は反射的におさえる。
二人でプリントの端を持つ形になった。
「なにしてんの」
「やっぱり参考にしようと思って。絶対信じるわけじゃなければいいんでしょ?」
「それは、まあ」
「じゃあ。ありがとう」
そう言われると、俺は手を離してしまった。
三田と高橋が、勉強を再開した。
「ほら、戸中君はこうだよ」
とたまに聞こえるけれど、許可してしまったので、止められない。
うぐぐ。