05 コピーする彼女
昼休み、俺は次の数学の予習をしていた。
予習というか、ほとんど宿題だが……。
しかし宿題を持ち帰っているうちは、まだ素人だ。プロは学校で終わらせる。
昼休みはあと十分。もう、やらなくてもいいくらい進めていたが、根がまじめな俺である。予習を続けていると。
戸が開いて、女子が二人入ってきた。
三田と高橋だ。
三田はまっすぐカウンターにやってきた。
「コピー機ってある?」
「ああ、あるけど」
「どこ?」
「そこ」
俺はカウンターの内側にあるコピー機を指した。
「有料?」
「無料だけど」
「よかった。じゃあ、やっちゃおう」
「じゃあ私行くね」
「ありがと」
高橋は三田に右手を振って、図書室を出ていった。
左手にはノートがあった。
三田がカウンターの中に入ってこようとする。
「え、ちょっと」
俺は、勝手に入られては困る、という顔をした。
「え?」
三田がおどろいたように立ち止まる。
それからなにか思いついたように小さくうなずくと、ブレザーのポケットから、ブラックサンダーの小袋、いやミニバーをひとつ取り出して、カウンターに置いた。
「これで……」
「え?」
「ふふ」
三田が、にやりと笑った。
ブラックサンダーの力を信じているようだ。
「……いや、そういうことじゃなくて、故障してるから」
「え?」
俺を見た三田は、早歩きでコピー機に近づくと、いくつかのボタンを押していったり、フタを開け閉めしたりしていた。
無表情で、三田がゆっくり俺を見た。
「コピー、できないんだけど」
「うん」
「次の授業の宿題をコピーしないと、指名されたとき困るんだけど」
「うん」
「私、確実に指名されるんだけど」
「うん」
うちのクラスを担当している数学教師は、生徒の座席を順番に塗りつぶすように指名していく。
窓側一番うしろの俺の指名が終わってから、くるりとまわって女子の列に入り、三田も指名されるまでは、すぐだろう。
面倒なのは、やや問題の順番を飛ばして出題してくることもあるので、どの問題が割り当てられるのか、予測に幅があるということにある。
だから俺はいつも、一定範囲の予習をしなければならない。
のだが。
ふつうは、コピーさせてもらったりするのか。
そうか。半分ずつやったら、楽なんだろうな。
ふうん……。
へえ……。ほう……。
……。
「どうしたら……」
三田が口をすこしだけ開き、肩を落としていた。物理的にではなく、比喩である。
ゆっくり、俺を見る。
「戸中くんはもう、終わったの……?」
「え? ああ」
「そう……」
三田は小さく首を振った。
「ペン借りていい?」
「いいけど」
三田は俺のシャーペンを取ると、コピー機から用紙を持ってきて、カウンターの中に入ってきてとなりの椅子に座った。
そしてノートを写し始めた。
俺のペンが三田の手の中で動いているのが、ふしぎに見えた。女子にペンを貸すなんて、四字熟語でいえば前代未聞である。
「あと五分しかないけど」
「文明は、もう、終わったんだよ……」
三田はさらさらとペンを走らせる。これも比喩である。
シャンプーの香りのようなものがただよってきた気がして、はっとした。
この位置関係、なにかおかしいんじゃないだろうか。
冷静になった三田に、なんで離れないんだよ、と思われてないだろうか。
すこし椅子を離そうとしたら三田が顔を上げてこっちを見た。
「お願いがあるんだけど」
「なに」
「半分、いい?」
すこし近づいてくる。
「はい」
俺は返事をしていた。
「ありがとう」
三田はにっこり笑うと、もう一枚用紙を持ってきて、俺にわたした。
なんの紙だろうと見ていると、三田はすこしいらいらいしたように俺を見た。
「写して」
「あ、はい」
契約書を読まずに判を押した気分である。
俺はペンを取り、三田が持ってきたノートを、用紙に写していった。
さらさらさらさらと、芯が用紙をこする音だけが聞こえている。
「……よし、終わった」
三田が顔を上げた。
「戸中くん、がんばって」
「はい」
終わったんならやれよ! と思ったけど、口にはしなかった。
「……あれ、戸中くん、まだ終わってないんじゃない?」
見ると、三田が持ってきた高橋のものらしいノートは、俺がやったところよりもやや先までやってあった。
「本当だ」
「手を止めない」
「はい」
「じゃあ、私が書いておいてあげるよ」
「えっ」
「借りるね」
三田は、俺のノートに続きを書き始めた。
おかしなことになってきた。
俺は用紙に写しながら、自分のノートをちらちらと見た。
そこには、三田の字が、どんどんと範囲を広げていくのが見えた。
女子の字がノートに刻まれていく。
いったいなにが起きているのだろうか。
前代未聞なんて言葉では、この心境を示せない気がした。
「なにやってんの」
携帯を出して、ふさわしい四字熟語を検索しようとしたらおこられた。