表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/16

01 3の倍数の彼女

「あ、ごめん」


 昇降口で背中がぶつかって、振り返ると女子が言った。

 同じクラスの三田だった。

 メガネをかけていて、髪は肩くらいの長さ。席は近いが会話をした記憶はない。

 まじめで、成績はよい、という話を聞いたことがある。


「え、あ」

 俺がモゴモゴ言っていると、三田はさっさと靴をはきかえて行ってしまう。

 こっちこそごめん、と言いたかったけど思ったより顔が近くてうろたえてしまったのである。


 と。

 三田が肩にかけているカバンの口が開いて、なにか落ちた。黒いものだ。


「あ、ちょっと」

 俺の声が自分でもびっくりするほど小さかったせいか、気づかず彼女は行ってしまった。


 急いで靴をはきかえて、その黒いものを拾う。


「ブラックサンダー」

 ざくざく食感チョコレート菓子のブラックサンダー。

 大袋に入っているタイプの、小さなブラックサンダーがたくさん入っているうちの小袋のひとつだった。

 三田は、通常の教室棟ではなく特別教室棟のほうへと歩いていった。


 すぐもどってくるのかと後ろ姿を見ていたら、廊下の角を曲がって視界から消えたので追いかける。


 角を曲がる。

 いない。

 いや、階段の方から響くような足音が聞こえたのでそちらへ。


 足音が消えた。階段から出たみたいだ。

 追ってニ階に出るとき、戸が閉まる音が聞こえた。


 どこだろう。


 ひとつずつ特別教室をのぞいていくと、図書室の戸のガラスから、窓際にいる三田が見えた。

 よし、と戸の取っ手に、手をかけて。

 いや待て。

 ブラックサンダーと、彼女を見比べた。


 ちょっと冷静になろう。


 俺と彼女は別に友達でもなんでもないどころか、会話をした記憶もない。

 そもそも三田があまり男子と仲良く話している様子も思い浮かばない。まじめ女子、に分類される印象しかない。

 すると、だ。

 手の中ブラックサンダーを見る。

 中に入って、これを届けたとする。


『三田さん、こ、これ、お、落としたよ、はは……』


 おそらく俺はそんな言い方をしてしまうだろう。

 彼女から見れば、ブラックサンダーを拾った(自称)の男子が図書室へと追いかけてきた。

 そんな、教室で会話をしたこともない男子に、女子はどう思うだろう。そもそも、同じクラスという意識もないかもしれない。

 とすると、よくて、キモ。

 悪くて、キモキモサンダーである。


 ……やめておこう。

 戸の前にブラックサンダーを置いておけば、ここで落としたと思ってくれるかもしれない。

 ブラックサンダーによろしく。

 希望をたくし、置こうと、しゃがみかけたときだった。


「さーん!」

 なにか変な声が聞こえ、思わずガラスの中を見た。

 さっきまでと変わらず三田がいて、他に人の姿も見えない。朝は、貸し出しもなく、返却カウンターに置くだけだから、受付にも誰もいないはずだ。


「4、5」

 三田が数をかぞえている声が小さく聞こえてくる。

 なんだったんだろう。


「ろーく!」

「えっ?」

 視線を外しかけたとき、また変な声が聞こえた。

 変に高い声だ。


「7、8」

 でもやはり特に変な様子はない。

 しいていえば、なぜ三田はカウントダウンを、いやカウントアップを始めたのかというくらいか。


「きゅー!」

 そこで見てしまった。

 9と言う三田の姿を。


 9、と言う寸前、三田は腰を落として、やや上を向き、目がうつろな姿を。


 ただ、それが嘘だったかのように、すぐまた普通に立つと、10、11、と数え始める。

 いったい俺はなにを見ているのだろうか。

「じゅーに!」

 まただ。いままでが嘘のように、3の倍数になると。


「じゅーさん!」

「えっ」

 思わず小さな声が出てしまった。

 気づかず三田は続ける。


「14、じゅーご! 16、17」

 なんだったんだろう。

 3、6、9、12、と法則に従って、3の倍数だったはずだ。


「じゅーはち! 19、20、にーじゅいち!」

 やっぱりそうだ。

 変なポーズで、うつろな目で、数をかぞえている。

 3の倍数だ。

 なぜそんなことを。


「22、にーじゅさん!」

 えっ。

 今度は声をこらえた。

 だが。


「にーじゅし! 25、26」

 これはいったい……。


 ……いや待てよ。

 3の倍数だけではない……?

 そうか。

 3の倍数と、3の……。

「にーじゅしち! 28、29」

 わずかに、三田が息を吸ったような気がした。

 そして。


 三田は腰を落とし、ぶらりと腕の力を抜いて、頭をゆらしながら。

「さんじゅー! さーんじゅいち、さーんじゅに、さーんじゅさん!」

「3の倍数と、3のつく数字だったんだ!」

 俺がつい言うと、三田が止まった。


 おどろいた目で、こっちを見ている。

 腰を落としたままこっちを見ている。


「……」

「……」


 俺は戸を開けて、近くの長机の端にブラックサンダーを置いた。 


「あ、さっき、昇降口で落としたみたいですので……」

「……」

「では……」

 俺はそっと戸を閉めて、早足でその場を離れた。



 ちょっと遠回りして2年B組に入っていくと、まだ三田の姿はなかった。

 

「でさあ、変な動画がおすすめにあがってきててさあ」

 窓側一番うしろの席の、机に座っている男子の声が聞こえてくる。

 大きな声で話をして他の人の会話をじゃましても問題ないと考えるタイプの男子だ。

 自分の席でもないのになんの気がねもなく、平気で座っていられるようなタイプの男子だ。

 たしか、佐藤と鈴木だ。


「3がつく数字でアホになる、とかやってんの」

「なにそれ」

「昔の芸人の動画。超くだらねえの。くだらなすぎて、誰でも考えられるっつーの」


 三田も、それを見たのか?

 見たからといって、ふつうはやらないだろうけど。


 俺が近づいていっても、彼らはなにも気にしていないようだ。

 予鈴が鳴った。

「すげえくだらねえの。あんなの見て喜んでるやつバカだって!」

「見たのをネタにするしかない系の?」

「そうそう!」

 やめろよ。

 楽しんでる人もいるんだよ。

 お前らは神か。


「……え? なに?」

 佐藤が俺に気づいた。

「あの、席」

 そこは佐藤の席ではない。俺の席である。

「え? ああ」

 佐藤は机を降りた。


「あ、戸中君もくだらないって思うよね?」

 佐藤は言った。

 クラスメイト以上の距離を感じるひとことである。


「いや……」

「え?」

「3の倍数だけだったら、単調になるところを、3がつく数字とも加えることで、不規則にアホになったり、30から39まで、アホになり続けるという予想外のクライマックスに向かうのは、なかなか、くだらないだけじゃない、と思う」


 言い終わると、なんだか教室が、しん、としていた。


 佐藤は、鈴木と一緒に席を離れていった。

「なにあれ」

「つーか戸中君の声初めて聞いた気するわ」

「たしかに」

 そんな言葉とともに、笑い声が聞こえた。


 ……まあいい。

 それは事実だ。

 だけど、誰かが好きなものを雑に否定するのはよくない。

 そう思っただけだ。


 俺は、カバンの中に入っているジャージを、いったん廊下のロッカーに移そうと席を立った。

 教室の中で浮きまくりのウキウキウォッチングだから、いたたまれなくなったわけではない。


「あ」

 うつむいて廊下に出ようとしたところで、三田が出入り口に立っていた。


 俺はゆっくり避けて、ロッカーの前に行く。

 ジャージを入れて教室に入ろうと体の向きを変えようとしたとき、三田がやってきた。


「ありがとう」

「へっ?」

「さっきは、ちょっと、その……。ストレスたまってて!」

「ああ、うん。そういうこともあるよ」

「そうだよね!」

 三田が目を見開いて言う。

 ストレスの解消法は、人それぞれだ。


「ナベアツ、いいよね!」

 三田はうれしそうに言って、ポケットからなにか出した。

 ブラックサンダーだ。三つ。

 ナベアツ?


「はいお礼」

「どうも?」

 俺はブラックサンダーを受け取った。

「3」

 三田はにっこり笑って指を三本立ててみせると、教室に入っていった。

 そんな顔するんだ、と思いつつ。


 俺は、担任にさっさと教室に入れ、と言われるまで、三田にもらったブラックサンダーを見つめていた。

 女子にお菓子をもらった事実も見つめていた。


 ……これは、賞味用、保存用、鑑賞用だな?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ