計算
とりあえず落ちつこう。落ちつけ沙優。いやユリア、落ちつくんだ。
すー はー
着慣れない長いドレスに足首まで覆われてなんだか落ち着かない。
豪華な装飾の施された鏡台の椅子に座ったまま両手を広げて深呼吸をする。
そしてもう一度、鏡に映った私の頭の上に表示された赤い文字を見直す。
《12歳までの消滅確率 91%》
ど、う、し、て!!!
十二歳ってあと二年後でしょ二年しかないんだよ?
レッドフォード伯爵家令嬢になったのに順調そうなのに、このルートの何がダメなの!?
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こういうときこそパニックになっちゃダメだ。どこで間違えたのか、どんなルートがあり得るのか、冷静に考えよう。
遡ること六十時間。
私はレミリア国アルエの街角にある仕立屋の二階、暗くこじんまりした自室のベッドの横に体育座りで座り込み、床においたランタンの火を見つめていた。予想より早く十歳の誕生日にやってきた伯爵家からのお迎えに、正直全然全く、何の心の準備もできていない。ママの方が余程しっかりしていた。
まず設定のこと。十七歳の伯爵の十歳の妹になる。
伯爵の妹でいいんだっけ?実は色恋相手が伯爵で私はメイドとかの方が良かったんじゃないの?あんなに綺麗なお兄さまがモブキャラのわけがないと思う、それが怖い。
お父さんは一緒でお母さんが違う?
転生するとき、私は恋愛小説の世界にいくときいた。恋愛小説。この設定は何路線だ?
可能性のある案その一。
『兄妹モノで禁断の恋』。
レッドフォード家のお屋敷を舞台に若い伯爵と金髪ツインテール妹の恋模様を描く。
うん、客観的にみればまぁアリだ。
その二、『執事との恋愛』。
キヨナガ・クジョーはセレスティンさんより年が近くて、私ユリアとお似合いかもしれない。でも、彼はまだ執事じゃない。従僕ってことはフットマン。たぶんお屋敷の使用人の序列の中では一番下のはず。そもそも西洋風異世界モノを探している読者がキヨナガみたいな黒髪黒目の典型的な日本人タイプにキュンキュンするのか微妙な線だ。
その三、『結婚したくない令嬢』の話。
お兄さまが予想外の結婚相手を用意してくれてその人のところに嫁ぎたくなくてあらがう奔放な令嬢の物語とか?この線はまだゼロだ、なんのフラグもない。
たぶん今は案1が濃厚、かなぁ?
セレスティンさんの前では可愛い妹でいなくっちゃ。今世では絶対老後までのんびり長生きするんだから!
あれ、そういえば。ここアルエで知り合った人たちはどうなるんだろう。振り返ってみる。
パパ。三十歳。仕立て屋。私とは血はつながっていないけれどいつだって優しかった。全然血がつながっていないなんて思わなかった。娘だって言ってくれた。私のことが好き。
ママ。三十歳。同じく仕立て屋。私と血のつながったほんとうのママで、私を引き取りたいといっている伯爵家お抱えの仕立て屋だった。たぶんそこで伯爵とイケナイ関係になって私を身籠り、この街にやってきたんだろう。私のことが好き、親だもん。
ルカ。十九歳。隣のブラウン診療所の長男で子供のころはよく一緒に遊んでくれたっけ。これが恋愛小説なら、たぶん私のことが好き。
マックス。十歳。ブラウン診療所の次男でいつも一緒にいる。友達というか家族みたいな距離。これがもしも彼との恋愛小説なら、私のことが好きで将来会いにくる。
私はみんな大好きだけど、こうやってつらつら連ねると我ながら痛い。世の中の恋愛小説の主人公ってだいたいこういう設定だった気がする。今は痛さに目をつむって、首をふって、考えを続ける。
パパとママは必要な脇役。きっと結婚式の場面で泣いている役回りがあるから、この先もまだきっと生きていける。私が消滅しない限り。でもルカとマックスは?
ルカは、医者の見習いだ。おじさんの診療所を将来継ぐだろうし。しかもセレスティンお兄さまと寄宿学校で同級生だったなんていう。ルカはこの先もこの物語に出てくるのかもしれないね。
案4、『医者恋』、あり得るかもしれない。
伯爵家に引取られていった元幼馴染と医者の恋愛物語。おや?恋愛小説というよりティーンズ向けの電子コミックのような。
問題はマックスだ。もしもマックスと彼氏彼女になったら、それはもう町人との物語になってしまう。彼はこの先どんな人生を歩むんだろう?マックスといると居心地がいいし大好きだけど、マックスと深く関わった先に恋愛小説の主役になれるイメージがわいてこない。伯爵家に大人になった町人がやってきたとして、彼との恋愛物語になるだろうか?
ここまで考えているうちに、目に涙がじわりと溜まっているのに気づいた。
寂しい。
寂しい。
寂しい寂しい寂しい。ここを離れたくない。ママがいてパパがいて面倒身のいいご近所さんたちがいて、学校でも海でもいつもマックスと一緒にいて、時々ルカが帰ってきて甘やかしてくれる。私は本当はこういう平凡でのどかな生活が好きなのだ。本当は離れたくない。十年前自分で決めた伯爵家に引取られる設定が今は悔しくてしょうがない。最初から伯爵家に生まれていれば、こんな気持ちにならなかったのに。なんて気軽に、残酷な設定をとってつけてしまったんだろう。
「・・・泣いてちゃダメだ。朝はすぐに来てしまう」
手紙を残そう。私のことを覚えていてもらえるように。
それから、
「・・・マックス、ルカ、まだ起きている?」
箒で窓をノックする。
ろうそくの灯がゆらいで、向こうの窓が開いた。