来訪
つくりかけの夕飯のスープの匂いがキッチンから漂ってくる中、パチリと暖炉で火花が小さくはねた。
どこから説明したらいいかな。
うちの仕立て屋では作業台が散らかっているし手狭なので、お隣のブラウン診療所の来客室をお借りしている。来客室と呼んでいるけれど普段はマックスやお父さんたちもここでお茶をしているのを知っている。二階建ての一階にあり、暖炉があって、少し背の低いコーヒーテーブルと布張りのソファ、壁一面の本棚。こういったソファや本がある程にはブラウン家はゆとりがある。ダイニングテーブルとベッドしかない家だっていくらでもあるのだから。家具の配置も部屋の隅々まで詰め込まれているわけではなく、繊細な模様の描かれた赤い絨毯も品よく存在感を主張している。
「杖、ありがとうございました。使わずにすんで何よりです」
先ほど私とルカを捕まえに超高速で走ってきた少年が跪いて、ステッキを差し出している先の一人掛けソファには、一人の男性が座っている。その向かいのソファにマックスのお父さん、私のママとパパの三人が座り、マックスと私は適当にその長いほうのソファにもたれながら今何が起こっているか真剣に理解しようとしていた。
向かい側で跪いていた少年が立ち上がり、すっと主人の後ろに背筋を伸ばし位置どる。私にとっては二人とも知らない人だけれど、どちらから説明しようか。
従者と思しき跪いていた方からにしよう。
暗くなった外で見たときは大人かと思ったけれど、顔はあどけなくまだ十代半ば、前世の定規でいえば中学三年生くらいじゃないかと思う。なぜ前世の言い回しが使いやすいかというと、彼の見た目はどうみても日本人だから。日本人いるの!?と内心騒いでいたのは数分前まで。彼から好意や敬意は全く感じられなくて、むしろじっと睨まれているみたいなんだもの。
今世の私よりもいくらかオークルの強い肌、黒髪黒目に一重瞼に薄い唇。ソースか醤油でいったら醤油、犬か猫でいったら猫、というアジア顔。そして童顔。
さっき走ったせいで少し頬がまだ赤っぽいところも彼を幼くみせているかもしれないけれど、服装によるところも大きいかもしれない。上は深いグレーの白シャツにベスト、ジャケットを着ているものの下は膝丈のハーフパンツ。スラックスタイプで上品なデザインではある。足元は黒っぽいタイツにローファーを合わせている。あとで知ることになるのだけれど、これは彼の職特有の服装である。
その上司と思われる男性もまた若い。
十代後半か二十歳前後くらいだろうか。
ろうそくとランタンしか明かりのないこの部屋でも煌々と浮かび上がる柔らかそうな金糸の髪は少し前下がりで耳を半分隠し、後ろは短かくスラリとした項がジャケットからのぞいている。藍色のジャケットには肩章がつき、ベスト、白っぽいひざ下までのボトムスに、このうす暗さでもよく照った革靴を履いている。こんな街中ではみることのない貴族の正装だと思う。こちらは猫というよりゴールデンレトリバーみたいな感じ、といえば伝わるだろうか。シュッと細く通った鼻筋に誰よりも白く明るい肌、瞳は赤茶だろうか。金糸の睫毛が長く、お人形さんみたいに綺麗。長い脚からみて背は高そうだけれど、いつでも女装できそうな美しさの男だ。
ルカが紅茶を持ってきたところで、それまでにこやかに様子を伺っていた金髪佳人は本題に徐々に切り込み始めた。
「あらためて、こうしてもう一度会えて嬉しいよダーニャ。うちの仕立屋がまさかこんなはずれの街まで来ているなんて思わなかった」
口調は穏やかでゆったりとしている。少し高めの声で、ますます女装して男の娘になっているところをみてみたい感じだった。話がそれそうだから今は自粛する。
「わたくしもまさかお坊ちゃまご本人にお越しいただけるとは思っておりませんでしたわ。我が家をもっと整えておくべきでございました、まさかのこんなときのためにね」
ママは長い金髪を耳にかけ茶目っ気たっぷりにっこり笑った。声はいつも接客しているときの陽気な調子で、明るく堂々としている。「大きくなられましたね」と続けている。嬉しさ半分悲しさ半分の笑顔を張り付けて。ダーニャはママの名だ。
「それで、その子が妹なんだろう?」
金髪の方だけでなく、後ろの日本人らしき少年も私のほうをジロリと見た。
え?
妹?
ちょっとまって、妹?
頭の中で十年前を必死で思い出す。転生案内所でのやりとりだ。
あれ?私なんてリクエストしたっけ?妹ってのは余計な設定じゃない?てっきり妙齢のおじさま伯爵が迎えに来てちゃっかり娘になり、そのあと超お金持ちで超イケメンのスーパーダーリンに偶然出会って甘やかされる典型的な少女小説になると思ったのだけど、違うの?
でもとにかくこれは、きっとあれだ、やっぱり、今日は超重要な日ですよね!?
頭の中が火がふくみたいにグルグルぐちゃぐちゃになる。
それが全部顔に出たんだと思う。金髪の男性もママもくすりと笑った。一方パパとマックスのお父さんは神妙な面持ちで、眉が少し八の字に寄ってしまっている。
何? 何なの?
ママは「この子は私の娘ですよ」とにっこり作り笑いを張り付けている。
貴族らしき男性はふわりとほほ笑んで私の方をみて、少し困ったような顔をした。
「何も知らないまま育ったんだね。そうだな、まずは自己紹介をしよう」
私はおずおずとうなずく。隣のマックスがいつのまにか手をつないでくれていて、ぎゅっと力がこもるのがわかった。そっと握り返す。ああ、いい人生だったなここまで。モブかもしれなかったけど、良い隣人と過ごせたもの。
貴族は親指で後ろの少年を指す。
「これは僕の従僕のキヨナガ。見ての通り異国の出だが、父が留学していた頃の友人の子でね。行儀見習いもかねてうちで働いてもらっている。もう一年になるかな」
キヨナガと呼ばれた日本人のような少年は小さく頷いて、私たちに浅く一礼した。行儀見習いも何も礼儀はキッチリ叩き込まれている感じだ。無表情だけど。
「それから僕はセレスティン・レッドフォード。レミリア国中部を領とするレッドフォード伯爵家の長男で、まもなく爵位を叙爵することになっている。
弟も妹もいないと思っていたのだけど、父が先月亡くなる前にとんでもないことを言い出してね」
来た。キーワード、伯爵!!
これはもう間違いないぞ、私はこの家に引き取られる設定なんでしょ?
「まぁ、旦那様はお亡くなりに?まだ不惑の頃でしょうに」
「うん。そこのルカもようく知っている医者にいわせると、ガンだった。壮絶な最期だった」
ママが「それは、」と言葉を詰まらせ、なんとか「ご愁傷様でございました」と震えた声を絞り出す。
あれ?ちょっとまって?ルカはこの美人と知り合いなの?
ルカの方をちらりと見るけれど、彼は俯いている。
「で、そのとんでもないことなんだけど。その。この話このまま続けていいのかな」
セレスティンという人はちらちらと目配せをする。たぶんマックスのお父さんやうちのパパを気にしている。パパははっきりと、「ええ、存じ上げておりました」と膝の拳を強く握った。
ん?
ええ? 知ってたの??
今度は私が驚く番だった。さっきから私の首はあっちにこっちにグルグル回っている。パパはすごく優しかった。ママはときどき厳しくて、学校の成績が悪かったり机に脚をのせたりすると怒ったけど、パパはいつも「しょうがないなぁ」なんて言ってにこにこして、毎晩髪をなでておやすみのキスをくれる。そういうパパだった。知ってたの? だって、たぶんセレスティンさんがこれからいうことはどう考えても、
「ええ、この娘がレッドフォード伯爵家の血を引くものだと分かったうえです。血筋など関係なく、ユリアは私の娘です」
パパがぴしゃりと言い切る。パパのテノールをこんなにうれしく思った日はない。どうしよう、なんだかちょっと泣きそうだ。
だって、伯爵家に引き取られる設定をつくったのは他でもない、あなたのその血のつながらない娘の私なんだよパパ・・・!!
セレスティンさんは一瞬ぽかんとしたあとで、「そうか」と小さく俯いた。パッと顔をあげるとソファを立ち、私の前にやってきて少し身体をかがめた。背が高そうで、そしてひとつひとつの所作が美しい。
「ユリア」
頭にぽんと手をおいて、じっと私の瞳を彼の赤茶の相貌がのぞき込んでくる。背中でじっと汗がわきでそうなくらい。きれいな人だ。
「僕は君の七歳上の兄だ。君の父はヘンリー・レッドフォード。母はうちの元仕立屋でそこにいるダーニャだね。先月不運にも亡くなってしまったけれど、父は僕には妹がいると教えてくれた。僕はそれを聞いてすごく嬉しくなったんだ、僕は天涯孤独になってしまったわけではないんだって」
隣でマックスが睨んでいるのがわかる。ルカはマックスの肩に手を置いている。たぶん、そっと静止している。セレスティンさんは頭においていた手をすべらせて私の頬にふれ、続ける。
「君さえよければレッドフォード家で一緒に暮らそう。こんなにそっくりなんだ、君は絶対僕の妹だよ」
そっと両手でツインテールの髪にふれてくる。たしかに、髪質はそっくり。この明るさの金髪はそうそう街中では見かけない色だ。二重瞼の目元も少し似ているかもしれない。目の色と顔かたちは全然違うけど、私の瞳はママゆずりだもの。
「そうはいっても、君はここで幸せに育ってきたみたいだからこのまま連れ去るのもちょっとね。
これから一晩ゆっくり考えてくれる?今夜はここの領主の屋敷にお邪魔させていただくことになっているんだ。アルエにどうしても残りたいのか、僕の妹になってくれるか。よーく考えて。明日の午後迎えにくる。いいね?」
もう一度ぽんと頭に手をおかれる。私は頷いて、「お招きありがとうございます。でも、まだ、頭が混乱して」と絞り出した。はらはらした表情でパパがみている。ママは、もう、きゅっと唇を結んでいる。ママからしたらとっくのとうに覚悟はできていたんだろう。
御者のいるメインストリートまでセレスティンとキヨナガの二人組を見送り、私たちはそれぞれ部屋戻ろうとした。
ぎゅっと横から手をひっぱられる。
「ユリア、お前貴族の子になるのか?」
マックスだ。ママが「しっ声が大きい」と指をたてる。マックスは小さな声でごめんなさいといい、すぐに私に向き直る。
「いやだ。いくな」
両肩をつかまれる、まっすぐにマックスの青い瞳が私をみる。
私は息が詰まる思いがした。
そのマックスをルカが抱き留めて、「ごめん」といった。
「ごめん、あいつ、セレスティン、俺の寄宿学校の同級生なんだ。二つ下だけど飛び級していて。俺が自慢げにかわいい幼馴染がいるんだってあいつに話した。知らなかったんだ、こんなこと。どんな確率だよ。たぶん向こうもまさかと思っただろうけど、アルエの街の仕立て屋を調べて、それで」
「終わったことは仕方がないわ。この街に旦那様をおいてやってきたのは私なのだし。ルカくんのせいじゃないのよ」
ママがルカを見上げて、涙目になったルカのまぶたに手をあてる。
「さ、今日はささっと夕食をすませてもう眠りましょう。そして明日のお昼ごはんは一緒に食べない?うちだけで食べるには大きすぎるカボチャが手に入ったの。パンプキンパイにしてもっていくわ」
私たちは全員ママの提案に頷いた。