体験入学2
いっそ男装して偽名で来たほうが良かったかもしれない。せめて一番後ろの席に座れば良かった。
授業中はずっと周りの生徒の視線が痛く、品定めをされているような感覚になった。そういえばレッドフォード伯爵に妹がいたこと自体も、誘拐事件のときの顛末も社交界で話題になっているとお兄さまが言っていたっけ。
幾何学の授業自体は面白かった。日本でいうところの中学入試レベルだけど、折り紙などを使って先生がうまくわかりやすく教えてくれる。教えることを楽しんでいるタイプの教師なんだと思う、きっと彼にとっては天職だ。
授業が終わると、十人ずつのグループに分かれて学内ツアーが行われた。フラスコの並んだ理科室、生徒の描いた絵が乾かしたままになっている美術室、ステンドグラスに飾られた食堂、運動場、芝生が丁寧に駆り揃えられた中庭、噴水。制服姿の在校生が芝生に寝転んでおしゃべりしている。
「ねぇ、教会は無いの?朝晩のお祈りはどこでしたらいいのかしら」
引率の先生に質問しているのは、子どもたちの中では背の高い女の子だった。栗色の綺麗にうねった髪を腰まで伸ばしていて、それをときどきかき上げながら歩いている。
「シュタイナーパブリックスクールは特定の宗教を推進しているわけではないので、教会はないのですよ。でもお祈りが必要な学生さんもいらっしゃるので、学校と宿舎にそれぞれ1カ所ずつ礼拝室があります。ご案内しますね」
引率の先生の説明に、女の子は不満そうだった。「それってお祈りしない生徒もいるってことでしょう?低俗だわ!」と。その言い回しが面白かったのか、同じツアーグループの男の子たちがその女の子のドレスを茶化して「草みたいな色の服着てる、テーゾクだわ!」「髪も結んでない、テーゾクだわ!」と笑い始めた。私とマックスは顔を見合わせて、グループの一番後ろで見守ることにした。その女の子の着ているドレスが最高級の絹でできていることは、仕立屋に馴染みのある私たちからしたら一目瞭然だった。
礼拝室の見学を終えて音楽室へ向かおうとなったときに、ついに背の高い女の子の方がキレた。
パチンッ パチンッ!! とよく響く音をたてて、彼女の大きめの平手で茶化していた男の子二人の頬を派手に叩いたのだ。近くの別の女の子が悲鳴を上げ、叩かれた男の子の一人はぺたりと尻餅をつき呆然と女の子を見上げ、もう一人の方は殴りかかろうとしたので咄嗟に先生が男の子の方を押さえつける。
「守衛!」
先生が叫ぶと、サッと階段の方から警備員らしき男性が駆けてきた。廊下の奥に見える音楽室からは、そこで待機していた付き添いの使用人らが「なんだ、何だ?」とわらわらと顔を出す。巻き添えを食わないようにマックスに手を引かれる形で、私たちは少し騒動から距離をとった。「お嬢様!」音楽室から一人の執事が駆けてきて、叩いたほうの女の子を守るように立ちはだかった。守衛も間に入り、騒動の三人の間に丁度大人が入る格好になる。
執事は頬にくっきりと赤く平手の跡がついた男の子二人の顔を見比べ、ほっとしたように息を吐いた。執事の後ろでは女の子が「その二人が悪いのよ」と口を尖らせて、また髪をかき上げている。
尻餅をついていた方の男の子がうわぁあんと大声で泣きだすと、音楽室からはメイドらしき女性が駆けてきた。そして状況を見定めると、「も、申し訳ありません!坊ちゃんが何かありましたでしょうか。。」と深く腰を折って、女の子の方に謝った。これには私とマックスもまた目を見合わせて、同時に首を傾げた。ほっぺに手の跡がついているのは男の子の方なのに。
ぱん、ぱん、と先生が手を叩いた。
「アグネスさん、暴力はいけません。それからカルロ君アモディオ君、あなたたちの言動も大変失礼でした。それから、アグネスさん」
女の子がアグネス、男の子がカルロとアモディオというらしい。先生は十人分の名前をもう憶えているということだ。先生は再度アグネスという女の子に向き直り、続けた。
「お祈りをしない生徒が低俗だということはありません。いろいろな人がいます。信じることも信じないことも自由です。そのことはこの学園ではぜひ、お忘れなきよう」
先生は女の子と執事の方にも会釈をしたが、執事は声を荒らげた。
「この方はミロ―公爵家のご令嬢アグネス様ですぞ、なんという態度ですか!」
叩かれたほうの男の子とメイドは「ヒッ」と怯えた声を上げた。頭を下げ、駆け足に音楽室へ走っていく。中から出てきたフットマンらしき男性が荷物をもっており、一緒に外へ出ていった。逃げるべきと判断したらしい。先生は執事に対し、「私はここでは教育者ですので」と凛とした声で腰を折り、謝っている。そして先生は再度手をぱん、ぱん、と手を叩いた。
「さぁ、みなさん音楽室へどうぞ。在校生がピアノコンツェルトでおもてなしいたします。付き添いのみなさんもお待たせいたしました」
演奏!! ピアノがあるなら嬉しい。急いで音楽室に入ろうとしたところで、後ろからアグネス・ミロ―嬢に呼び止められた。
「ユリア・レッドフォード!」
彼女は腕を組んで仁王立ちしている。背が高いのでちょっと怖い。モデルさんみたいともいえるのだけど、近づきたくはない感じだ。
私の頭の上から下までをジローリと、彼女の大きな灰色の目が眺めてくる。たれ目がちで本来なら優しそうな顔立ちなのだが、なんだろうこの威圧感は。
「あなた、まさかこのパブリックスクールに入学するつもりなの?」
なぜ突然絡まれたのかわからないが、無視するわけにもいかない。
音楽室からは弦楽器や管楽器の音合わせが始まっていて、優雅なメロディが流れ始めていた。早く向こうにいきたい。
「ピアノを聴いてから決めるつもりです。ほら、行きましょう」
にっこりとほほ笑んで、音楽室を指さす。
叩かれないといいけど、彼女がどうでるか・・・
ふんっ と比較的上品に鼻を鳴らすと、アグネス・ミロ―はまた髪をかき上げた。
「・・・・・ピアノがお好きなの?」
腕を組んだまま、首を傾げている。
「はい、聴くのも弾くのも好きで。兄はヴァイオリンが得意なので一緒に合わせたりもしますよ」
普通の雑談に持ち込めたようで、内心安堵しながら答える。
「そう。そうなの」
彼女は1つ頷いて、さっそうと音楽室の方へ歩いていってしまった。慣れた様子で執事はこちらに会釈をし、アグネスへ続く。
音楽室の入口のところにはキヨナガとゾフィーも出てきて、じっとこちらを見ていた。