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モブになると消滅する世界に転生しました  作者: アオガスキー
レッドフォード伯爵家
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夏の終わり、王子の訪問

 

 壁と天井に彫られた花や植物、獅子、その彫刻のひとつひとつに金箔が施された、一番豪華な客間の両扉をメイド長ポリーナとゾフィーが開く。

 部屋の一番奥、品の良い一人掛けソファには、青みがかった銀髪の少年がまだ細い脚を組んで座っており、その横には正装した兄が、後ろには燕尾服姿のフットマンのキヨナガと、会ったことがあるようなないような護衛が二名立っていた。言うまでもなく少年は先日王都で知り合ったばかりのアーサー・ヴァンハイム王子である。この年頃の王族らしく、膝の見えるシルクのスーツを着ている。


「あぁユリア!無事でよかった……肝が冷えたぞ」


 室内に入るとアーサー王子は背もたれから上半身を前のめりにし、そして嘆息しながら目に見えて肩を撫でおろした。私はガヴァネスから習った通りにドレスのスカートをつまみ、正式な挨拶をする。


「おかげさまで怪我もありません。王都の兵を派遣してくださったと聞きました。心からお礼を申し上げます」

「硬くならなくていい、別人みたいだぞ」


 手を振る王子の様子に、兄の視線が痛い。ええ、王都ではタメ語で話してしまっていましたとも。


 奥の窓際に立った護衛の一人は閉じ切ったカーテンをつまみ、窓の外をじっと睨んでいる。日は暮れたとはいえ閉め切るには蒸し暑く、ガラス窓は少し開けたままにしているようだ。カーテンの裾が定期的に揺れ、涼やかな夏の夜風が流れ込んでくる。

「まだ賊が何者なのか吐かせておらず、厳戒態勢下で申し訳ございません。ナイフでも飛んできては危ないのでカーテンは閉め切っているのです」

 兄セレスティン・レッドフォードは胸に手を当て、七歳年下の王子へ頭を下げた。

「賊は今どこに?シャンガーラの女二人組だったと聞いたけど」

 まだ幼い澄んだ声に似あわない偉そうな口調で王子が聞く。


「当家の衛兵小屋の牢の中に。獣二匹は別々の牢に入れて話を聞きだそうとしていますが、誰かから委託されたのか、どこかから妹の存在を聞いて自ら思いついたのか、何も口を割らないのです」


 お兄さまにしては珍しく、苦々しい感情を隠そうともしないのだった。シャンデリアに照らされた金色の髪から覗く赤い瞳は、身内でも寒気がするほど冷たい。王子は落ち着いた様子で応じている。機嫌の悪い年上と話すのも慣れているのかもしれない。


「前者だと厄介だな。レッドフォード家に娘が突然現れて困る家なんて、近しい貴族ばかりだろ」

「おっしゃる通り。いっそ自ら金目当てでやったのだと吐いてくれれば楽に殺せるのですが」


 兄は今日何杯目かわからない紅茶に口をつける。後ろからキヨナガが私にもお茶を用意してくれて、静かに受け取る。ファーストフラッシュで色味が薄く、若く青い茶葉の香りがした。


 赤髪長身のザジと、フードを被った小柄なシャロ。二人が拘束され牢に入れられている姿を想像する。鍛え抜かれた筋肉に大きな猫のような耳、少し長い八重歯。そのへんのロープなんか噛みちぎってしまうのではないか。手錠や金属の拘束具はこの世界にあるのだろうか。


 そのとき、扉が叩かれた。

「ご歓談中のところ大変失礼いたします。獣についてご報告してもよろしいでしょうか」

 閉ざされたままの白い扉の向こうは、家令のランドルフの低い声だった。セレスティンお兄さまが続きを促すと、一礼してランドルフが入室する。


「お伝えいたします。例の二匹が脱走いたしました。見張りの兵ら五名が重傷を負っています。連絡係が倒れている彼らと空いた牢を見つけました」


 お兄さまも王子も顔を見合わせる。早口に兄はランドルフに問う。

「それで、行方はわかりそうか」

「犬に追わせましたが、幸いこちらのお屋敷には向かっていないようです。丘の麓の村の方へ血痕と奴らの匂いが続いているようで」

「血痕? 獣の方も怪我をしているのか」

 兄の問いにランドルフが答える。

「おそらく二匹のうち一匹が。返り血では説明のつかない滴った血の跡が長く続いているそうです」


 兄は苦虫をかみつぶしたような顔で背もたれに深く体を預け、天井を仰いだ。シャンデリアと壁の蝋燭が兄の白い肌を照らす。「僕の護衛としていつもより十人多く連れてきている。必要なら使ってくれ」という王子の申し出には謝意を示し、兄はその目を左手で覆った。そして「あぁこんなことなら二匹ともさっさと殺しておけばよかった」と絞り出す。強い嫌悪が声に滲んでいる。


「あの、お兄さま」


 昨日焚火を囲んでいたときのザジとシャロを思い浮かべながら、私はたまらず声を上げてしまった。あとから後悔するのだが、そんなことこのとき予測して黙っておくなんてできなかった。そもそも後から悔やむから後悔なのだ。


「二匹とか獣とかって仰るけど、本人はシャンガーラのこと人間だっていっていたよ。言葉が通じる以上同じヒトじゃないの?」


 私は唇を尖らせながら隣に座ったお兄さまに申し出てしまった。

 シャンガーラの二人組は怖かった。キヨナガの仕込み杖が弾かれたあと、もうダメだと思った。怖かった。拘束され誘拐された後も、あのまま洞窟にいたら殺されていただろうけど。

 けれど、ザジのあの人懐っこい、真っ白な歯をみせて笑う表情は惹かれるものがあった。火が通るまで焼いてからウサギに噛みつく姿も、羽を剥いで鶏肉を焼こうとしていたシャロの姿も、遠く別の生き物のそれではなかった。彼女たちは生肉を食べない。言葉は通じる。ただ耳の形と肌の色が違う。

 領地をもたない日陰ものさ、と憂いたザジの横顔を思い出す。領地がないから盗賊をするしかない一族なのではないの?


「随分とほだされてしまったようですね」

 ランドルフの声はいつもに増して低い。明らかに軽蔑の目が私に注がれる。


「これはこれは、ガヴァネスには生物学の講義もお願いしたほうが良さそうだ。奴らは俺たちとは全く違う生きモノだってね」


 冷えた、無機質な、お兄さまの声。お兄さまはビールでも飲むように一気に紅茶を飲み干す。そして、私は二の腕にひやりと鳥肌がたつのを感じた。鋭く細い、赤い視線は私を蔑んでいるのかそれともシャンガーラをなのか、お兄さまが私に向ける表情を初めてこわいと思った。 

 いつもは人当たりの良い柔和な笑顔を向けてくれるのに。頬や頭を優しい顔で撫でてくれるのに。

 自分の目に涙がたまっていくのがわかる。零れ落ちるほどではない、けれど、体が哀しさに反応する。

 王子はまだ小柄な十歳の体で脚を組み変え、何か面白い奇怪なものを眺めるように好奇心の滲む顔で私たち兄妹の様子をみていた。

 誰からの視線もけして心地よいものではなかった。ちらりとキヨナガを盗みみる。いつも通りの能面のような感情のない顔で、お兄さまのカップに紅茶を注いでゆく。

 沈黙が苦しい。

 あぁ失敗した、大失敗だ。お兄さまの機嫌を損ねてしまった。

 口を開いたのは王子だった。


「逃げてしまった以上、当面屋敷の警備を手厚くするくらいしかないだろう。怪我までしているなら、もうここには来ないで遠く海の向こうまで逃げてくれればありがたいが」

 兄はため息交じりに頷いた。

「実際、奴らとの交戦は避けたいところです。メスとはいえ身体能力はうちの衛兵とはくらべものにならないでしょう。引き続き動向を探ることにします」


 細かい指示を出すといって兄とランドルフが部屋を出ると、私はぱたりとソファの横の席へ倒れこんだ。

「ははっ やんわり怒られたな」

「やんわりじゃないです、シャンガーラくらいお兄さまも怖かったぁ」

 笑う王子に異を唱える。本当に兄の赤い冷たい目はゾッとするものがあった。

 応接室に残ったキヨナガは宜しければ夕食の会場へ移動しませんかと王子に促している。

 王子が了承すると、テーブルの上の空いたカップやケーキ皿を片付け始めた。夕食の前なので小さめサイズのプディングがお茶うけに出されていて、王子も兄も綺麗にいつのまにか食べきっている。私は急いでおいしく全部お腹に収める。スープも食べたし夕食が入る余地はほとんどなさそうだ。


「セレスティンさまはシャンガーラをお嫌いですから」

 キヨナガは淡々とした声で私に言う。白い陶器のような顔をしているけれど、傷心の私に気を使ってくれているのかもしれない。

「……何かあったの?」


 キヨナガは手を止めて数秒私の顔を見た。いつも通りのキヨナガの顔からはなんの感情も考えも透けてこない。

 ふぅと小さく息を吐いたのはわかる。控えめだけれど、思うところはあるようだ。

「そうですね、ワイナリーから最高級ワインを樽ごと盗られたり納品直前の小麦をワゴンごと盗られたり、領地でもいろいろと被害がありますからね」

 ドレスの膝にかけていた布ナプキンをとられ、それでふいに口元をぬぐわれる。プディングの上に載っていたクリームが口の端についていたのだという。あぁこれか!顔のこの汚れをじっと数秒見ていたんですね!もう、キヨナガが食器を片付け始めるから急いで食べたからじゃん。私は抗議の意味でじとっとキヨナガを睨んだが、そんなこと彼は意に介していない様子だった。王子の前だし恥ずかしいし悔しい。案の定王子は笑っている。


「ただ、なにより」キヨナガはそこで言葉を区切った。なにより? 私は首を傾げる。

「セレスティンさまの母君は強盗に殺されたのだそうです。亡骸の御手に握られていた黒い獣の毛から、シャンガーラによる犯行と推察されています」






夏らしいことを書きたくなってしまったので、次も王子訪問編です。


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