暗がりの港町4
三日が過ぎると、先にママの調子が良くなってきた。会話ができるようになり、短時間ならベッドの上で体を起こせるようになった。眠ったままのママの口にスープを流しむのではなく、リゾットなどが食べられるようになってきた。
六日目の朝、ブラウン医師から「もう大丈夫。安心していい」と良い告知があった。ブラウン診療所を手伝いながら治療を手伝ってくれたルカにもおじさんにも感謝しかない。看病に関してはマックスはただの賑やかしだけど、近くにいてくれて心強かった。と一応言っておこう。
「もう、ほんっっっっとに心配したんだからね」
濡れた布でママの首を拭いてあげながらほぼ平熱になったことを実感し、つい文句が口をつく。
「ブラウンさんちのおじさんから手紙もらってびっくりしたんだから!二人とも元気が取り柄の仕立て屋でいてよ、もう」
パパはにこにこしながら私の顔をじっと見ている。痩せたけれど顔色は良くなった。
「でも熱のおかげでユリアが帰って来てくれて良かったよ」
「命がけですることじゃないでしょ」
ぴしっと指を立ててパパを叱る。命は大事にって習字を書いて壁に貼って帰りたいくらいだ。
ここ数日、御者にはこの町で少し羽を伸ばすよう休暇をとらせた一方、キヨナガは朝早くから夜遅くまで殆どうちにいた。食事もうちで一緒にとり、昨日などは宿をとらず同じ家に泊まって、一階で椅子を並べて猫のように丸まって眠っていた。
そうまでされると、見張られている感じが強く正直落ち着かない。
「ねぇキヨナガ、長雨も上がったし港へ行ってみたら?大きなロブスターが見えるよ」
「見ても巨大なザリガニと思うだけでしょう」
「じゃあビーチは?水着のお姉さん達もいるよ!」
「そ、いえ。お見舞いに来たのに日焼けして帰るわけにはいきませんので」
喉元で言葉が一瞬詰まった。詰まったぞ。いつも通りの涼やかな象牙よりも固い表情をしているけど。行きたいなら行けばいいんだよガンコもの。
そのキヨナガはしっかり我が家のキッチンの使い勝手も覚え、お茶を淹れて持ってきてくれたところだった。東から届いた緑茶だという。これもキヨナガが自分で市場へ行って買ってきて、砂糖などをたしてくれている。アルエにも慣れた様子だ。
「ユリア、私たちはもう大丈夫だから、あなたはレッドフォードのお屋敷に戻りなさい。セレスティン坊ちゃんがお待ちなんだろう?キヨナガ君だっていつまでも待ちぼうけじゃかわいそうだよ」
ママは一体だれの見方なのやら。隣でパパがずっとうちにいればいいのにとふてくされている。血はつながっていなくてもパパはパパだ。
「時々は帰ってくるからね? これからは手紙も書くからね」
皆がモブになって消されないように、巻き込み続けるからね!と心の中で誓う。その意気込みでグッと拳を握ると、ママはそっと抱きしめてくれた。
一階へ降りてガーゼのフェイスカバーを外すと、一足先に戻ったブラウン医師から容体を聞いたマックスがやってきていた。鍵を持っているから気軽に入ってくる。鍵をくるくる指にひっかけて振っている。
「おじさんもおばさんも良くなったんだって?」
「うん。今日はすごく顔色もいいし熱も下がってくれた」
「よかったな」
二カッと歯をだして笑う。
「でもママにはもう帰れっていわれちゃった」
「ええー。帰るのかよ。ずっとここにいればいいのに」
後ろからキヨナガも足音をほとんど立てずに階段を下りてくる。
「ユリアさまがここに残るなら、私もその間ずっと同じ家に寝泊まりさせていただきますが?」
「あぁ?お前は帰っていいんだよ。今すぐ帰れ!」
キヨナガとマックスが睨み合う。静と動、冷たい視線で見下ろす黒豹と小さいが興奮して獰猛なビーバーという感じ。
私がお風呂を使っている間に昨夜ひと悶着あったそうで、この二人は今ものすごく仲が悪い。
数秒間にらみ合ったあと、御者に帰り支度をするよう云いに行くといってキヨナガは出かけた。それを見送るのとほぼ入れ違いに、白衣を羽織ったままのルカがやってきた。梨をもらったからおすそわけだそう。私もマックスも飛びついた。新鮮な果物は夏のごちそうだ。
早速梨を洗おうとする十歳二人と対照的に、そっと窓から外を伺ったルカは、「今がチャンスだ」と声を潜めた。チャンス?
あぁ、あの件!
「マックス、この絵。どこでいつ手にいれたの」
梨をダイニングテーブルの上の籠に転がし、首紐をひっぱった。服の内側に隠していたビロードの袋から古い、ススのついた写真をとりだしてテーブルに置く。三人それぞれガタガタと椅子につく。ルカは玄関に鍵をかけるのを忘れない。約一週間前に開封した袋から出てきた、赤ん坊と女性と男性が描かれた色鉛筆画だ。背景の階段はレッドフォード伯爵家のそれによく似ている。
マックス・ブラウンは片膝をたてて椅子に座り、くるくるとうちの鍵を人差し指にひっかけて回している。じっと私の顔と、私の隣に座ったルカの顔を見比べて、逆に質問で返してきた。
「どこで見つけたと思う?」
「私の家」
「わかってんじゃん」
どんっ と控えめにダイニングテーブルをたたいて抗議する。時間がないのに会話で遊ぶな。
上にいるママに聞かれないように話し声は抑える。
「私の家のどこで? いつ? これは何の、誰の絵で、どこで描かれたものなの?」
マックスは俺もわかんないけど、と前置きをしてくしゃくしゃにその黒髪をかきむしった。乱れた前髪から強く淡い蒼の瞳がじっと私を見る。
「一昨年か去年の年末に大掃除していた日に見つけて持ち帰った。俺も暇なときは大掃除手伝ってただろ? 冬はほとんどユリアんちの二階で遊んでいたし。とにかくその掃除してた日だよ。暖炉におばさんが投げたこの絵を、俺がとっさに取ったんだ。本かなんかに挟まっていた。日記とかポエムとか面白いもんかと思ってさ。本の方は日記でもなかったし興味なくて燃やしちゃったけど」
「そんな話してくれなかったじゃん!」
シッとルカが私の口に指を立てる。大きくなりそうな声を努めて下げて、続けてきく。
「なんで隠して持っていたの?」
「左のその赤ちゃんを抱っこしている人、ユリアんちのおばさんみたいじゃん」
「だから?」
「でも右の男はおじさんじゃないだろ。捨てちゃダメだと思ったけど、おばさんに返したりお前に見せたりするのも違うと思ったんだよ」
マックスは椅子の上で足を組みなおして胡坐になる。
「それで、先月さ。お前の誕生日。貴族がやってきてお前を引き取るっていうからこれのこと思い出して、渡したんだ。階段がいかにも貴族の家だろ? でもなんて言って渡したらいいかわかんなくて、ていうか先月はユリアが遠くに行っちゃうのすげぇ嫌で、ムカついていて、それで」
話しているうちにだんだんきゅっと唇を尖らせて、スネたみたいな声色になっていく。彼本人も自分の行動が合っていたか自信がないのかもしれないし、ほかの理由があるのかもしれない。
私は深く深呼吸をした。合っている。この絵を大事にとっておいてくれたことは、これから先きっと役にたつよ。
「ありがとうマックス。この絵をずっと持っていてくれて。いつかお兄さまかママに見せて確かめてみる。ちょっと、なんだか怖いし、病み上がりのママにはまだ見せたくないけど」
右の髭の男性が万が一、万が一先代レッドフォード伯爵ではなかった場合、ややこしいことになる。セレスティンお兄さまに見せるのはもっと仲良くなってからだ。
今はマックスから聞き出せることを確認しよう。もう一度小さく息を吸ってはく。
「じゃあ、この絵がどこで描かれたかは、マックスは知らないのね?」
「うん。知らない。レッドフォードの家と比べてどうだ?」
「実はそっくり。この階段の手すりの模様まで」
「じゃあレッドフォードの家だろう。で、その横のチョビ髭がお前の血のつながった親父じゃねぇの」
たぶんそうだよね。似てるかなぁ? 私は絵と自分の顔を横に並べて二人の方に向く。マックスもルカも、ユリアは母親似だろうから、と言葉を濁した。
右の髭の男性は十中八九、先代だろう。でも使用人である仕立屋とその赤ちゃんと一緒に伯爵が絵を描かせるものなのかな? 仮に描かせたとして、色鉛筆で描かせるのかな?
王子の遊び場には油絵の具も水彩絵の具もあった。この異世界にしっかりした画材がないわけじゃないのに。そうやって紋々と考えていくとどこか腑に落ちない感じが残るのだ。
とん とん
玄関をノックする音がする。はーい、と返事をしながら急いで絵を折りたたみ首の袋に戻す。鍵を開けに行くと、キヨナガが戻ってきたところだった。
「あぁよかったキヨナガ!待ってたの」
半分嘘で、半分本当だ。私ユリア・レッドフォードの嘘つき能力が試される。
ドアに鍵をかけていたことを問われ、癖で鍵をかけちゃっていたの、と謝る。あぁ、背中にささるキヨナガの細い視線が痛い。
彼も別に好き好んで遠いアルエまでついて来たわけじゃないだろうし、申し訳ない気持ちはある。
何か、喜ばせてあげたいなぁ。ダイニングテーブルにいるブラウン兄弟は梨を今剥くか後にするかと話している。ちょっと白々しい気がするけど気にしないことにする。
キヨナガが好きなもの。好きなものといえば、甘いもの。甘いものといえば!
「ねぇ皆、パパとママが回復したお祝いにケーキを食べよう!私がごちそうするからさ」
怪訝な顔をしたのは意外にも最年少のマックスだった。
「ユリアのオゴリぃ~? 明日雨が降るぜ」
「もう雨雲は遠くに行っちゃったから大丈夫だよ」
窓の外を指さす。カラリと晴れているのは瞭然だった。
「看病に付き合ってくれてありがとう。お礼にケーキをごちそうさせて。少しだけおこづかいをもらってきたの。そこのケーキ屋さん絶品なんだよ」
ダイニングテーブルを向いたり後ろのキヨナガを向いたり、くるくる体を回すとスカートがふわりと広がる。アルエで着ているものはレッドフォードのお屋敷で着ているドレスより薄手で、慌ててスカートを押さえる。
でも、とキヨナガが少し視線をそらした。窓を見ている。
「でも、ゆっくりしていたら日が暮れてしまいますよ」
じゃあもう一泊する?と首を傾げてみる。そうしろよ!とマックスが明るい声を張り上げるが、キヨナガはうつむいている。
「ご母堂様が良くなられたのに、ケーキのために延泊するというのは、その」
キヨナガは悩んでいる。
彼は無類の甘党なのだ。もう一押し!
と思っていたところで、ブラウン兄弟が動くのが早かった。
「ほら外国人、ユリアの気が変わらないうちに早くいくぞ!」
玄関まで回り込んだマックスとルカがドアを開けて手招きする。
「気が変わったらマックスのオゴリね!」
私はキヨナガの体をくるりと玄関の方に回転させ、背中を押しながら外へでた。