暗がりの港町3
雨音に強弱の波はあるものの、夜中になっても雨はやみそうになかった。カーテンを閉めて、上裸のルカとマックスが横になった布団の真ん中にダイブする。濡れた髪も二人がガシガシ拭いてくれてすっかり乾いた。屋敷に帰ったら、メイドのゾフィーに髪が痛んだと怒られるかもしれないけど、そしたらこの二人のせいだって言っちゃおう。
ルカにもマックスにも、屋敷に戻ったらそのあとは一体いつまた会えるのかわからないけれど。
本当に、途中で伯爵家に引き取られる設定は失敗だった気がする。
そうはいってもモブになって消えたくはないし、町娘が正解だったとも思えない。
もし転生したのが私ではなく賢いルカだったら、真っすぐなマックスだったら、あのとき、十年前、どんな風に答えたんだろうな。
私はうつぶせになって、はぁああ、と深くため息をついた。
横から「あんまり思いつめんなよ」とマックスの声。
思いつめたくもなるよ、と私の心の声。
「ねぇ、例えばの話なんだけどさ」
ゴロリと寝返りをうって天井をむく。
左右からゴロリと十九歳と十歳の蒼い瞳がこちらに向く。月も見えない真っ暗な夜。
「もしも、もしもね? もしも今、小説の中に生きているって想像してみて」
変な顔をした気配がするのは右隣のマックスの方だ。
「小説? 俺そんな難しいの読まねぇよ」
「じゃあマンガ! マンガでいいから想像して。教会で貸し出ししてるじゃん」
「OK」
二人とも頷いている。ルカはちょっと楽しそうだ。
「もしも作者が『このキャラ進行上もういらないな』って思ったら、そのキャラはどうなると思う?」
例えばっていうか、私がまさにそのキャラになりかねないんですけどね。
モブになったら消滅するからね。
「例えばさ、作者がもうユリアいらない!って思ったら、私はどうなると思う? マックスもういらない!って思ったら、マックスはどうなると思う?」
ルカは年の離れた弟の回答を待つつもりのようだ。マックスはちょっと天井を見上げて、すぐに切り返した。
「そりゃ、どうでもいいキャラならもう二度と出てこないだろうし」
「じゃあもし主人公がルカで、弟役にマックスがいるとするでしょ? こういう、急に消えたら変な役だったら?」
「そりゃ、事故か戦争か病気で死なすんじゃね?」
「・・・・・・えええ?」
・・・・えええええ?
なんですと?
そういう答えがほしかったわけではない。モブだったらどうやって生きていくのか、どうやって生き残る道があるのか、ワラにもすがる思いでヒントを聞きたかったのだ。もしお兄さまが主人公の物語があって私がモブだったら、どうやって生きていくかヒントを聞きたかった。聞きたかったけど、聞きたかったけど。
昔読んだ本の中でもこの異世界で読んだ本でも、いらなくなったキャラって小説の中ではサクッと死んでいたような?
妹とか両親とか真っ先にお涙頂戴シーンとともに序盤で死んでいたような?
ストーリーが盛り上がるしキャラ数のインフレ調整できるし作家目線では一石二鳥?
「・・・・・」
私が黙っているのを不審に思って、ルカの手がおでこに当たる。
「ユリア? 大丈夫?」
「だ、だ大丈夫。まだ寝てないし、熱も無いよ」
よかった、とルカが微笑む気配がする。ルカは港町のお兄ちゃんって感じだなぁ。セレスティンお兄様もお兄さまだけれど、なんだか神々しい感じがするから。
ルカの視点の多様さは私をしばしば驚かせるけれど。
「おいマックス。戦争はともかく今『病気』なんて例え話でもいっちゃダメだぞ。おばさんもおじさんも体調悪いんだ」
ん? それは、どういう発想ですかルカ先生。
私は瞬きを繰り返す。ルカはぎゅっと私の両手をとる。
「ユリア、君は小説やマンガの中に生きているわけじゃない。
お母さんもお父さんもきっと病気は良くなるからね。信じて看病を続けよう」
ん?
んんん?
ルカの発想は一足飛びなのだ。なのだけど、嫌な予感もしてくる。彼の想定が当たっている気がしてくる。
「ルカ、もしかして、もし私たちが小説の中に生きていて、作者がパパとママはもう登場しないことにしようとしたら、二人は病気で亡くなっちゃうかもって、いってる?」
「マックスの理屈だとそういうことになるね」
即答か。
隣でそのマックスはゴロゴロ右へ左へ転がっている。
「だって家族だと急に全く出てこないのも変だろ?モブじゃあるまいし。事故か戦争か病気で死ぬしかなくね?」
ちょっと、ちょっと待て。
頭の中がぐるぐるのグチャグチャだ。
もしかして、もしかして。
今まさに、
作家の都合上、
物語を進める都合上、
私がレッドフォード家にひきとられたことにより
とくに必要なくなった前の家のママとパパが病気で消されようとしている可能性があるの?
私はバッとルカの方に向き直る。ルカは落ち着いた顔で、小さくあくびをしている。昨日はレッドフォードのお屋敷でカードゲームをしていたから、あまり眠っていないのかもしれない。いやいやいや、そんなことより。
「ねぇルカ、もしも私が本当に小説の中に生きていたらどうしたらいい? どうしたらママとパパを助けられる?」
ルカは笑う。反対側でマックスも。「絵本の読みすぎじゃねぇ?」暗闇の中でも白い歯が見える。
ルカの手がおでこのところまでのびてくる。とん、とん、とん、 ゆっくりゆっくり、私をおちつけさせるために手のひらで撫でてくれる。
「そうだなぁ、登場する意味をつくってあげればいいんじゃないかな。どう思う?マックスは」
ルカの声は穏やかで、子供じみた悩みにもちゃんと答えをくれるのだった。
「登場させたほうが物語が面白くなれば良いんじゃねぇの?便利な役なら殺さないだろ」
最近読んだマンガの敵役は絶対死ななくて図太くて何回も決闘を申し込みにくるんだ、そのほうが面白いからだろ?と事例まで上げてくれる。
そうか。パパとママが登場したほうが面白ければ良いよね。一理ある。時々登場したほうが話が進みやすければ、作家も安易にキャラを消さないはずか。
「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても僕らは小説の中じゃなくて現実に生きているし。こうやって触れられるし、あったかいだろう?」
おでこにそっと、子供にするようにキスをしてくれる。正しく、まだ十歳の子供なのだけど。
隣でマックスが「兄貴何かしただろ!?」と騒ぎ出す中、私の頭の中はグルグルのぐちゃぐちゃである。
残念ながら私は小説の中に生きている。
モブになったら消滅すると転生時に宣告を受けている。
毎月消滅確率が見えるオプション付きでだ。
でも何か、両親がいたほうが面白くなる要素があれば、病気は治るかもしれない。
「あの、あのね!」
私はつい大きな声を出した。薄いかけ布団をギュッとつかむ。ルカもマックスもきょとんとする。
「私、これからもこのアルエの街に時々かえって来るからね。一年に一回以上は帰ってきて、ルカにもマックスにもパパにもママにもブラウンおじさんにもソニアおばあちゃんにも会いにきて人生相談とかするからね。皆、私の人生にとって、とってもとっても大事な人なんだからね!!」
一息に言い切ってしまった。
作家さん、聞こえたかしら? 私の心の叫び。だれ一人消滅させたらダメなんだからね!
はぁ、はぁ、と呼吸が荒くなる。
隣でくすりと笑う気配がした。
「それは嬉しいな。な、マックス?」
「お、おぅ。いつでも、帰ってきやがれ。いつでも話はきいてやる」
ルカからはそっと、マックスからは慣れないぎこちないキスを、左と右の両頬にもらう。
両隣のぬくもりに安心して、私は眠りについた。