王子の遊び場2
広い王宮のどこに位置するのか、客間の一つに通された。ランドルフが使いをやって着替えを用意してくれたおかげで特に困っていることはない。隣室にポリーナが下がった後もなんだか眠れずに、慣れないベッドでゴロゴロしている。
夜でも外には人の気配がする。衛兵だろうけれどなんだか落ち着かないのだ。
ベッドの横の窓枠の中に納まっていた月がやがて見えなくなり、もう真夜中を過ぎただろうかという頃、ふと部屋の中に飾られた四角や六角形の小さな額縁の一つが鏡になっていることに気づいた。
正確には、それが妖しく光り始めてから気づいたのだけど。
・・・今日は八月十日だ!!
毎月十日はヒントの日!!!
勢いよく起き上がり、スリッパを履いて鏡のところへ飛びつく。少し見上げる格好だけど、なんとか見える、見えるぞ。鏡のある部屋にしてくれてありがとう王宮の人!
「鏡よ鏡、私の消滅確率は?」
そんな呪文はいらないのだけど、怪しく紫に光るだけの鏡にじれて小声で話しかけてみる。
するとふわりと、ゆらりと、鏡の中に桃色の炎のようなものが浮かび、そして鮮明な赤い文字に形を変えていく。
《12歳までの消滅確率 ・・・》
また十二歳時点なんだ。あと二年はある。
さぁ、先月と今月でどれくらい変わった?
早く、この炎早く文字になって!!
《12歳までの消滅確率 75%》
!?!
下がった!!!
よしっ!!! と叫びたい気持ちを押さえてグッと両手でガッツポーズを引く。真夜中かつ王宮にいるのだ、ここで騒ぐわけにはいかないぞ。
ベッドに勢いよくダイブして両手足をバタバタする。よしっよっしゃぁああ!何かが理由で消滅率が下がったんだ!
いや、待てよ?何が理由なのかの方が重要なんじゃないか。
この1ヶ月に起こったことを振り返ってみよう。
レッドフォード家に引き取られた時点ではまだ消滅確率は91%もあった。伯爵令嬢になっただけではダメだってことだ。
そのあとやったことはというと・・・
礼儀作法を習ったり、
お昼寝したり、
服を仕立ててもらったり、
ピアノを習ったり、
お兄さまとお庭をお散歩したり、
お茶をしたり、
お兄さまの鉄道事業構想の話を聞いたり、
キヨナガとチョコレートケーキを食べたり、
王都に来たり、
兄が正式に爵位をいただいたり、
ルカと再会したり、
王子ともめたり、
事件解決に向けて調査をし始めたり・・・
・・・・・・。
どれだ?
どれが消滅確率を下げてくれたの?
これもしや、一カ月につき一つのアクションだけをするように段取りしないと、まったくこの数字の意味を理解できないのでは???
・・・・・・。
ダメだ、このシステムあんまり便利じゃないぞ。
とりあえず出来ることは、この一カ月の間に新しく始めたことを継続するくらいしかないか。
十歳には似つかわしくない長い長いサラリーマンのようなため息をつきながら部屋の中をうろうろし、もう一度ベッドにのそのそと上がる。先は長いなぁ。
あれ?
窓の向こうに人が見えた。ここは二階なので見下ろす格好になる。
開けて首を出してみると、下のベンチに子供がいた。たぶん、あの王子だ。まわりに衛兵と例の騎士(仮)もいる中で、本人はベンチに寝転がって夜空を見ているようだった。
「あ」
「え」
見下ろす私と見上げる彼で目が合った。彼はしーっと人差し指を立てて、こちらの窓をついついと指さし、どこかへいなくなってしまった。
窓を開けたままにしていると、そう時間をおかずに扉をノックする音がした。
この扉を開けたらお兄さまに怒られそうだ。でも開けないのもどうなのだろう? 窓を閉じ、二秒位考え、結局護身用のナイフをベッド脇から取り出して、そっとドアを少しだけ開ける。あぁ、やっぱり。
「遅いのにまだ起きてるの?悪い子」
ちょっとムっとする。君もでしょ?とはいわない。
「なんだか眠れなくて」
「僕も」
ドアの前には白い寝間着姿のアーサー王子がいて、私も静かに部屋を出た。隣のポリーナはきっともう眠っているだろう。
ところどころ蝋燭の灯っただけの薄暗い廊下を、アーサーの持つランタンの光をたよりに歩く。
「こっちの方なら今日は他のゲストもいないはず。静かにね」
小走りする彼に続いて、絨毯の敷かれた階段を努めて静かに駆け上がる。三角屋根の塔がいくつも立つ王宮の真ん中に一部、バルコニーがあるのだった。
「ここ、僕のお気に入り」
王子はバルコニーの柵に上半身を預けて座りこみ、夜空を見上げる。窓から見えなくなった月がまだ空の端に大きく白く光っていて、一面には細かく幾千の星が浮かんでいる。東京では絶対見えない星の数だった。それにアルエの街より空気が綺麗なのかもしれない。天の川までうっすらと見える。
「わぁあ」
自分の喉から小さく声がもれる。こんな空が見えるなら、転生するのも悪くないかもしれない。
「気に入った?」
「うん。ありがとう」
そのまま二人ともしばらく夜空を見上げていた。
「ベッドに戻らなくていいの?王子なんでしょ?周りの人心配しない?」
どちらかというと実年齢目線で話しかけてしまったかもしれない。一応例の騎士(仮)は階段のところにいるが、こちらのひそひそ声までは聞こえないだろう。
「だって、調べてもらってる事件、僕を狙ったかもしれないんだろう? 落ち着かなくてさ」
ごくりとつばを飲み込む。そうだった。命を狙われたら、いくら王子といえど神経質にもなるよね。
世の中の貴族や王族がみんな暗殺慣れしているのはマンガの中だけなのかもしれないな。でも、まだ小学生くらいに見えるのに。
「・・・狙われるような理由、あるの?ほかの兄弟とか?」
「兄弟は・・・まぁ、そうだな。あまり考えたくはないけど。パパがいうには可能性があるなら親戚筋だろうね」
「・・・そっか」
大変な人生だ。彼はこの見た目と血筋からするに絶対モブじゃないだろうけど、モブじゃないがゆえに長生きできないかもしれないなんて。
感慨深くじっと彼を見ていると、アーサーはパチパチと大きく瞬きをした。瞬きをゆっくりする人だ。
「なぁ、ちょっと気になっていることがあるんだけど」
王子は胡坐をかいて座りなおし、こちらに向き直った。
「なぁに?」
私も少しだけ姿勢を正してみる。といっても二人とも床に座っているのだけど。
「お前、あの兄とやらにだまされていないか?本当に血はつながっているのか?」
これには息を呑んだ。
え? どういうこと?
「なぜ、そんなことを?」
心から、本音だ。
声を押さえつつ、ほとんど息のような声で顔を近づける。王子の青い瞳の中に沈んでいる私の顔も動揺している。
「だって、都合が良すぎるだろう? 鉄道事業をやるためには王の承認と協力が不可欠だ。そんなセレスティン・レッドフォードのところに突然十歳の妹がやってくるなんて。何しろ僕もいま十歳だからさ」
十歳だと何だというの? 彼の相貌の中の私の頭に「???」がいっぱい浮かんでいる。
彼は「はぁ」とわかりやすく、わざと、ため息をついて見せた。何なの、この小生意気なかんじは。
「僕は十歳だ。もうすぐ十一歳になる。父やその部下は早くも僕の花嫁探しをしているんだ」
私は昭和式にポンと手をたたいた。グーと平手を組み合わせるアレだ。時々前世の上司がやっていたのが何故か引継ぎされ染みついている。
「まぁ、僕は大人になってから自分で選ぶけどね」
アーサー・ヴァンハイムは立ち上がって、ぐーっと伸びをした。少しは眠気もやってきただろうか。
「選べる立場なの?」
「なんだそれ失礼なやつだな」
声音はそんなに怒っている様子でもない。やわらかい、子供の声だ。
「だって、今日授業サボってるみたいだったし?頭悪いのかもしれないし?」
「だって、中庭からお菓子の匂いがしてきたんだもん。仕方ないだろ」
「なにそれ、アーサーのガヴァネスは大変だね。王宮なんて毎日どこかでお茶会してそうだもん」
私はお腹から笑いそうになるのをがんばって我慢する。王子といっても十歳だもんなぁ、勉強よりお菓子だよね。
「ま、とにかく僕は父が選んだ姫君なんかと結婚はしないだろうさ。向こうの国も政情不安定らしいしね」
そういえばキヨナガがそんなことを言っていたっけ。王が目星をつけているらしいその姫が、キヨナガの国とは限らないけれど。
「いいの?めちゃくちゃ美人かもしれないじゃん」
前世で結婚相手が降って湧いてきてそれがイケメンだったらたぶん結婚していただろう、私の発言である。アーサーは「そりゃ、まぁ、そういうこともあるかもしれないけど」とちょっと頭をかいてから、そろそろベッドに戻りたいのか彼はまだ座りこんだままの私に手を差し出した。
「結婚相手くらい自分で選びたいだろう? 毎日毎晩顔を合わせる人だぞ」
あぁ、そうか。毎日一緒にいる人を誰かから押し付けられるのは、それは、苦痛かもしれない。日本での前世の記憶やモブだと消滅する運命の記憶がもしも無かったら、このユリアもルカやマックスと突然離され見たこともなかった兄やキヨナガ、ゾフィーらと過ごす人生を押し付けられたら憂いただろうか?
私はとりあえずその手をとって、立ち上がる。
「アーサーはなんだか大人だね」
見た目より声よりずっと。前世で大人だったはずの私よりも、もしかすると。
褒めたつもりもけなしたつもりもなかったけど、アーサー・ヴァンハイムはニヤリと笑った。そうして騎士(仮)や衛兵以外の他の大人に見つかる前に、私たちは静かにバルコニーを後にした。