準備
次回が叙釈式の予定です。兄のターン。
兄の叙爵式に付き添うということが決まった後、昼間のレッスンではマナー講座の時間を多くとられるようになった。ピアノと座学の時間がどちらも半分に減って、その分マナーに時間が割かれる。
さらにお兄様がいるいないに関係なくランチとお茶にはガヴァネスがつくようになり、事細かに作法を教えられる、という事態がユリア本人からのリクエストなしに発生しているからには、セレスティン・レッドフォードという人は十七歳にてしっかり抜け目がない。仕事ぶりを見ていても伯爵という爵位にすでに十分ふさわしいと思う。
「オルガはなかなか手厳しいね」
1階の広間を王宮に見立てて、初めて会う人へ挨拶をするというシチュエーションで十回目のやり直しさせられているところへ、通りがかかったらしい兄が入口のところでニコニコ腕を組んで見守っている。
「ごきげんようセレスティンさま。ユリア様は数学等はのみこみが早いのですけれど、礼儀作法はまだもう一歩でして。なんとか明後日に間に合わせます」
家庭教師のオルガは腰に手を当ててじっくり私の挨拶を観察し、角度が悪いとかちゃんと発声できていないだとか本当に細かいところまで指摘してくる。
現代のヨーロッパの貴族の方がもっとそのへんのルールやらマナーやらはゆるいんじゃないかと思うくらい手厳しく、さらに兄が「とびきりかわいい妹ができたってアピールしたいからね」なんていって去っていってしまったせいで、今日のマナー講座の時間はさらに30分長くなってしまったのだった。
せめて社交ダンスくら前世でやっていたら今楽だったのに、と思ったけどまさか転生して伯爵令嬢になる未来を想定していたわけじゃないから仕方ない。
夕方やっと礼儀作法から解放されたと思ったら、今度は衣装の確認。白地の絹のドレスの胸元や袖口に淡いブルーと金の糸で刺しゅうがたっぷりと施され、色は控えめながら煌びやかに仕上がってきた。袖を通すだけでテンションが上がる。白地を希望してよかった!
なお前に新しいドレスが仕立てあがってきたときには部屋で試着したけれど、今回は衣装部屋から近い2階の客間を使うことになった。
正面に審判がいるからだ。
ビロードの一人掛けソファにその淡麗な脚を組み、ひじ掛けに身体を少し預けながら真剣にこちらを見ているのは、兄のセレスティン・レッドフォードである。
本人の今日の分の仕事と明後日のための衣装合わせは済ませたそうで、今は屋敷の中用のゆったりとした黒のシャツを着ている。肌が白く髪もプラチナブロンドなので、こういう服を着るとよりコントラストが強くパッキリした印象があり、なんというか、少し怖い。
その彼に向って、挨拶の練習をする。ドレスのスカートをつまんで、
「ユリア・レッドフォードと申します。この度レッドフォード伯爵の位を継ぐことになりましたセレスティン・レッドフォードの妹にございます」
お辞儀をして、顔をあげ、にっこり微笑む。
彼はしばらくじっと私を見たあと、小さくため息をついた。
隣に立った家令のランドルフの方に向かって、
「ちょっと固すぎないか?まだ十歳だろう?」と聞く。隣でランドルフは首を控えめに振った。
「いいえ。もしかすると町人育ちのボロがどこかで出るかもしれません。挨拶くらいは完璧でなければ」
オルガによる教育の方針にはランドルフも口出しをしているのかもしれない。
私はというと、慣れない王宮にいくとあって、靴やドレスが窮屈でないかを腕を伸ばしたり軽めにスキップしたりしてみながら確認してみる。
うん、大丈夫そうだ。
服に心配があるとそれだけで緊張してしまうもの。
「ユリア」
スカートをつかんでくるくる回っていたところへ兄に声をかけられる。
「は、はい」
「リボンはこっちの方がいいんじゃないかな」
兄は自ら衣装箱を見比べて、淡い水色のリボンを手にとって私の髪にあてはじめた。金の糸で縁取られているものとそうでないものがあり、隣でポリーナとランドルフも真剣な顔であっちがいいこっちがいいと話している。
ちなみに現在十歳の私の視線の高さは彼の胸元より下のあたりだけれど、それでもシャツから兄の白い肌がのぞいているのがみえる。つまり私のリボンについてああでもないこうでもないと話している本人は今かなり気崩していて、動くたびに腹筋まで時々ちらりと覗いている。
正直なところ、あまりに近く少しどぎまぎしてしまう。鍛えている人の整った肌なんて前世では縁がなかったんだもの!
結局最初に身に着けていた白のリボンではなく兄の選んだ青のリボンをつけることになり、さらに真珠の髪飾りをツインテールの付け根にあしらうことになった。
「ネックレスはこれがいいと思う」
自ら青と透明な宝石のついたネックレスを手に取って、正面から私の首に回してくれる。
「ユリア、少し下を向いて」
いわれるままに下を向くと、首の後ろで留め具をとめてくれる。あぁなるほど、後ろを向かなくても兄のほうがずっと背が高いから、こんなふうに留められるのか。と思うと同時に、やっぱりシャツのあいた胸元が気になって目をぎゅっと閉じた。
「何してるの、ほら目を開けて鏡を見て」
肩を持たれてくるっと回転させられ、兄と並んで鏡の前に立つ。なるほど、前世とは似ても似つかないお人形みたいな女の子が鏡の中にいるぞ。
「うん。妹にしておくのがもったいないくらい可愛い。最高だよユリア」
私の肩に手をあてたまま、兄は少しかがんで鏡越しに私に言った。
「ありがとうございます。お兄様が選んでくれたおかげです」
私も鏡越しの彼に言う。この人のファッションセンスは本当すごい。兄のチェックを受ける前と後で鏡の中のユリア・レッドフォードは見違えたと思うもの。
「あれ? 言われ慣れちゃった?」
?
兄は心底残念そうに眉を寄せているし、後ろでポリーナとゾフィーがそれぞれ片手で口元を隠している。笑いそうなのを堪えているかんじだ。何? 何なの?
「この前キヨナガにかわいいって言われて真っ赤になったって聞いたんだけど?」
な、な、な !!!!!!!
声にならない超高音で喉の奥から叫んだと思う。なんで、なんで。頬が赤くなるのがわかる。耳まで血がのぼっていくのがわかる。
「残念だなぁ。俺じゃダメかぁ」
ちょっと首をかしげながら、私の熱くなった両頬を兄は包んで、そのあと控え目に引っ張った。
「ここは俺の屋敷だからさ。俺の知らないことって基本的に無いんだよ?」
兄の背中の向こうでポリーナが両手を合わせて「ごめんなさい」のジェスチャーを送っている。あぁもう、これからはあんなことくらいで赤くなんてならないんだから!!