お隣さん
「ユーリャ」
「ゆーーーりあ!」
眩しい。なぁに…?
重たいまぶたをやわらかい手の甲でこする。
視界に入った自分の手指の小ささにびっくりする。
「あ! えー、あー、れ?」
うまくしゃべれないし。
私本当に転生した?私いま何歳?
顔だけ起こそうとしてみる。大きめのクッションの上でお昼寝していたらしい。木枠の窓から日差しが強く降り注いでいる。
テーブルや椅子が異常に大きい。不思議の国のアリスの世界に入ってきてしまったように、テーブルの裏が天井のように見える。いや、家具が大きくなったんじゃなく、私が小さく子供になっているのだ。寝転がっているとはいえ、何もかもが大きく見えた。
クッションの刺繍や家具のデザインからすると西洋風のどこかにたどりついたのは間違いないようだ。
「ユーリャ!」
ぺとりと子供の高い体温を頬に直接感じて寝返りをうつ。
同じ背格好の幼児がにっこりと微笑んだ。綺麗な黒髪にブルーグレーの大きな瞳、長い睫毛。うん、将来有望の予感。
その子がふわりと宙に浮かぶ。
「こら、マックス。ユリアちゃんは寝てたんだろ?起こしちゃダメだろ」
もうひとり黒髪に青い目の少年がやってきた。見た目は大きいけど、頭身や顔形からすると十歳から十二歳くらいだろうか。さっきまで板張りの床に転がっていたマックスと呼ばれた男の子を抱き上げている。マックスは三等身の全身を見るに二歳か三歳くらいらしい。まだ丸っこく、一人で外を歩き回るような歳ではない。
黒髪の二人は綿の服を着て、特別豪華ではないものの清潔な雰囲気がある。丁寧な縫製の衣服でほつれもない。中の上くらいの家庭に飛び込めたのかもしれない。
「おにーちゃ?」
お兄ちゃん、と背の高い方を呼ぼうとして、でもうまくいえなかった。
彼は笑って頭をなでてくれる。それからおもいっきりくすぐられた。
「きゃ、きゃきゃきゃ」
信じられないくらい高い声が自分の喉から響き渡る。これが、今の私の声か。前世とは全然違う。けど中身は二十代なの、久々のくすぐりはつらい!勘弁して!といいたいけど言えない。言葉にならない声で笑う。
「お兄ちゃんじゃなくてルカな。パパより早く俺の名前覚えるんだぞー?」
覚えた。覚えたよ、二十代なめんなよ。こっちのしっかりした感じの大きい方がルカ、小さいほうがマックス。よし。
「るー、か!」
両手を広げて抱きついてみる。綿のシャツからはあったかい、お日様の香りがする。さっきまでお出かけしていたのかもしれないな。ほんのり潮風も香ってきた気がした。いいな、平和な街に転生できたみたいだ。
そう思ったら安心して、また眠気がやってきた。言葉もおぼろなこの年齢からすると寝るのが仕事だろうけれど、眠る直前のまどろみは気持ちの良いものではない。
それに争うよう、ぎゅっとルカという少年に抱きついたまま、私はまた眠ってしまったのだった。
数日たつと状況が見えてきた。
ここが異世界なのは間違い無いし、私が今三才なのも間違いない。
文明の程度は二十一世紀の日本には遠く及ばない。
スマホもパソコンもないし、電気も見かけない。肌寒い日は木をくべて暖炉であたたまる。夜になると蝋燭か油をさしたお皿に火を灯し、基本的に暗くなったらすぐに眠ってしまう。ママが寝室で顔を洗うときは桶に水を注いでいる。ということは少なくとも二階には水道はきていない。紙の新聞はあって、朝ごはんにはりんごとパンとチーズを食べる。紅茶やコーヒーの香りはする。まだ私は飲ませてもらえていないけどさ。
うちは洋服の仕立て屋で、パパとママと私ユリアの三人暮らしらしい。先の黒髪の兄弟は、血の繋がった兄弟ではなかったのだった。
この仕立て屋の隣に、白衣をきたおじさんが住んでいる。そこの息子がマックスとルカで、マックスは同い年の三歳でルカは十二歳だそう。ルカは昼間は学校へ行って夕方は私とマックスと一緒に遊んでくれる。うちの二階で遊ぶこともあれば、マックスの部屋にいることもある。そういう生活リズムも、なんとなく見えてきた。
パパとママは忙しく、顔を見るのは朝と夕方くらい。この両親はきっと本当の両親ではない。
転生するときに伯爵家の令嬢にしてほしいといったからだ。血が繋がっていたとしても片方だけだと思うと、ちょっと申し訳ない設定にしてしまったなと思う。両親に抱っこされてベッドに入る時、特にそう思う。
そもそもいずれ引き取られる設定の伯爵家の家族とは、うまくやっていけるんだろうか。この仕立て屋のママもパパも優しくて良い夫婦だと思う。ここでなら平穏無事に過ごせそうなのに、モブになったら長生きできないとなるとこのまま町人でいるわけにもいかない。
隣人にも恵まれた。ルカはすでに美少年だし、マックスも期待できそうだし!
たとえばだけど、いまのうちに仲良くなっておけば伯爵家と町人で身分差かつ年の差の恋愛小説がかけるかもしれないでしょ?
そうなれば!!
脱モブ!!!
主人公としておばあちゃんになるまで長生きしてやるんだから!!!
「ふひひ、ひひひひ」
しまった、つい不気味な笑みがこぼれでちゃった。
マックスがつられてケラケラ笑っている。なんていうかボールみたいな子だな、コロコロ転がるみたいに
笑う。
でもこっち指さして笑われるとたとえ3歳児でもなんだかちょっといらいらして、ほっぺたをつんつんつついてやる。
ぽかんとした顔でこっち見てくる。う、攻撃がきいてない。
「うりゃー」
一生懸命くすぐってみる。みるけど、まだ指が短いから撫でてるだけみたいになっちゃう。マックスはまたケラケラ笑って、私もなんだかまたどうでもよくなって、一緒に重なって今日もお昼寝することにする。
あとから振り返ると、こんなふうに長閑な子供時代を過ごせたのは、人生の途中で伯爵家へ引き取られる設定にしたおかげでもあった。
ルカの部屋に鏡がなかったのも、このときの私にとっては幸運なことだった。
もちろん、それはモブにならないよう四苦八苦し始めたあとからわかったことなのだけど。