機会
二週間も経つとだんだんレッドフォード家での生活にも慣れてきた。
キヨナガが無表情でもってきてくれる紅茶とスコーンで朝は始まる。
「本日はアッサムティーをご用意いたしました。茶器は先日買いいれたニューベリー社のもので…」
それからガヴァネス(家庭教師)を呼んで勉強。読み書き、詩歌、歴史、地理、算数、など。ガヴァネスのオルガは見た目三十代らしき女性で茶髪をおだんごひとつにまとめて片眼鏡をつけている。紺色無地で足首までのドレスを着た絵に書いたような家庭教師だ。
「ユリアお嬢様は算数はお得意ですが歴史はもう少し努力が必要ですよ」
算数は前世でやりましたからね。とはいわないけれど、前世で苦手な方だった算数が今世で得意科目になっているのは変な感じ。
昼ごはんも二階の応接室で彼女ととる。
「ユリア様、食器を持ち上げてはなりません!あぁ、肘もついてはダメです!」
ランチのあとは一階におりてピアノのレッスン。これも今はオルガが先生役。
「そうそう、お上手ですよ。すべてスタッカートでもう一回!」
まだ指の筋トレみたいなレッスンだけどピアノが一番楽しいかもしれない。
そして次は同じホールでダンスレッスン。ダンスは細身の若い講師で、演奏はピアノの講師兼家庭教師のオルガが手伝う。
「少しずつ覚えてください。はい、背筋は伸ばして肩はこちらへ、そう、前に進んでワンツーワンツー、後ろへワンツースリー…」
それから午後のお茶。お兄様と一緒の時と違って、ガヴァネスと二人の時は茶園を当てなければならない。
「本日はウバとアールグレイをご用意いたしました。どちらかわかりますか?」
よし!アールグレイの日は簡単だ!
「左がアールグレイですね。右はウバ。香りの強さが違います」
「ご名答。それではおやつもいただきましょう」
「本日のおやつはフルーツパフェでございます」
例によってキヨナガがもってきてくれる。
キヨナガはもちろんセレスティンお兄様の給仕もしなければならないし、私がこのお屋敷に来たことでこのひとの仕事は2倍になってしまったはずだ。あまりにタイミングよくあらわれてくれると若干申し訳ない気持ちになる。
おやつのあとはやっと自由時間。庭を歩いたり、ピアノの練習をしたり、書斎に寄ってからサンルームで本を読んだり。今日はワインの本をつかんでサンルームに向かうことにする。少し雲のかかった晴れ模様でサンルームで過ごすには最高の天気だと思う。冷たい飲み物を用意してもらおう。
と意気揚々と入っていくと、中に先客がいるのに気づく。
「やぁユリア。読書かい?」
噴水横の奥のソファに先客は二人。セレスティンお兄様と家令だ。
地図と書類を大机に広げている。仕事中ならば邪魔しないほうが良いかもしれない。
「はい。お兄さまがお仕事中でしたら私は二階に…」
「構わないよ。何の本をもっているの?」
グーっと伸びをしてから立ち上がりこちらに近づいてくると、ひょいと本を取り上げられてしまう。
あ、しまった、この本は、
「・・・。
ワイン大全?君にはまだ早いだろう?」
いえ、ユリア・レッドフォードの中身は前世では成人済みだったので!
とはいえない。こっちの世界のワインにどんな種類があるのか気楽に眺めながらゴロゴロしようと思っていたのに。ええ、もちろんお味の想像はしつつ、そのうちチャンスがあればテイスティングさせていただこうと思いつつ。前世では毎週金曜に自宅で空けるワインが至福のときだった・・・。
「いえ、ええ、お酒はまだ嗜みません。この本はイラスト入りで読みやすそうだったから」
返してもらった本を開き、ラベルの一覧が載ったページをみせる。その本で顔を隠しながら。
十歳って絵本を読むような歳でもないし苦しい言い訳かもしれない。
うん、とセレスティン・レッドフォードは顎に手をあてて、小さく何度かうなずいた。
「そうか。そういえばユリアが読みやすそうな本は少なかったな。ランドルフ、俺が昔読んでいた書を下の段に移しておいてくれ。ユリアが梯子を使わなくて良いように」
「かしこまりました」
セレスティンお兄様はワイン大全をあっさり家令のランドルフに手渡してしまった。ああ、私のワイン・・・
いや、今はこの人のことをもっと知ることにしよう。せっかくサンルームにいていいと言ってくださったのだもの。
「お兄様は地図を広げて何をしていらっしゃったの?」
「あぁ、いずれ鉄道事業というものを始めようかと思っていてね。先の長い話だが」
言いながら、脇を抱えられて軽々持ち上げられる。そのままストンとお兄様が座っていたソファに下ろされる。机上に広がっているのは地図だ。
「いずれは王都と港町をつなぐんだ。まずは鉱山と王都になるだろうな。ここの麓の街を交差するように通して、ワインも流通しやすくなるだろう」
ここが今いる場所、ここが首都、このあたりがワイン畑…と指差して教えてくれる。男性にこの表現を使っていいのかわからないが、白魚のような細く長い、きめ細かな肌の綺麗な指。
見惚れそうになるのを、意識して地図に目を向ける。等高線の書き方など前世と似たような図になっている。どの程度の精度のものかはわからないけれど。
「どこからどこまでがお兄さまの領地なのです? 全ての鉄道を領地内にひけるのでしょうか」
良い質問だね、と頭をなでられる。ランドルフはそれまで直立不動に立っていたが、彼も控えめに白い顎鬚を揺らしてうなずいた。
「ここからここまでだ。ここから先は国有地。鉱物の需要がありそうなのはこのあたりで、港町からの交易品がよく売れているのはこっちの商業地だ」
白魚の指で丸を書いてくれる。それぞれがある程度離れているように見える。この地図の距離がどれくらい正確に縮図になっているかわからないが。
「お兄様の領地の境界からこの王都の商業地まではどのくらいかかるのですか?」
「そうだなぁ、馬車で1時間くらいかな」
「絶妙な距離ですね。王都まで直通で鉄道を引いたほうが便利だけど、もし王様がダメといったら、馬車で運べないこともない?」
「あぁ。俺もそう考えている。需要は確実にある。あとは発明されたばかりの蒸気機関とやらへの追加投資額、レールの敷設・・・考えることは山ほどある。また執事が必要になるかもな」
そういえば、この家には五十代最年長の家令はいるけれど執事さんは見ない気がする。フットマンもいるけど。
「執事さんは今いないのですか?」
首をかしげて聞いてみる。
「あぁ。父が存命だった頃はいたんだけどね。うちの事業を1つ売却した後、彼には暇を出したんだ」
売却?
「先代は船舶海洋に力をいれておりました。セレスティンさまのご意向で数か月前に船をいくつか売却したのですよ。港は引き続きレッドフォード家の管理下にありますが」
家令のランドルフがそっと教えてくれる。船より鉄道に興味があるってことか。
いや、それより執事がいないならやっぱり今後執事モノの小説の可能性があるのでは?新しい執事かキヨナガが昇格するのかわからないけど、この朗らかな兄との禁断モノよりは可能性があるような気がする。
「あの、次に執事を雇うならどんな方を雇われるのですか?」
つい前のめりになってしまう。セレスティンお兄さまもランドルフも目を見開いた。
「なんだい、興味がある?」
両手でほっぺたを引っ張られる。うう、私のほっぺ、よく伸びるのは知ってるけど痛くないわけじゃないんです。
「いへめんだといいあって」
イケメンだといいなって。しまった。つい本音が!
ぽかんとして力が抜けたらしい、ほっぺにかかっていた指を離してもらうと、すぐさま言い訳に入る。でも早口にならないように、ゆっくり丁寧に微笑んで話す。今世のユリアで身に着けた処世術だ。
「このお屋敷にきて、お兄さまがいて、みなさんがいて、オルガも来てくれるようになって、世界が広がっていっている感じがするんです。新しい人がくるとまた広がるでしょう?」
にっこり、なるべく目を輝かせて言ってみる。
二人とも目を見合わせて、同時にうなずいた。とくにセレスティンお兄さまは満面の笑みを浮かべている。「世界が広がるか。そうだな、君は社交的なタイプなんだろうな」うん、うん、とうなずいている。
両肩に手を置かれ、じっと見られる。何か見定めるように、セレスティンお兄さまは私の顔を覗き込んでいった。
「ねぇユリア、今度王都に一緒に行ってみる? 俺の叙爵があるんだ」