八日
「やっと一人で鏡を見ましたね沙優さん。今はユリアさんですが」
十年前異世界転生を宣告されたときにあった神父だ。記憶の中の姿と相違なく、歳をとっている気がしない。白い顎髭を指先でくるくるいじっている。
「まったくヒヤヒヤさせてくれましたねぇ。せっかく特別にヒントを出すといったのにその前に消滅してしまうのではとここ数年は心配で心配で。なんで鏡を見ないんですか」
「だって、鏡なんてアルエの街では一階のお店にしかなかったもの」
「しかし鏡を使って消滅確率のヒントを出すといったじゃろう」
「え?」
言われたっけ?そんなこと。
「え?」
逆に神父が目を見開く。
「え?」
なんで神父さんがびっくりしてるの?
鏡を使うなんて一切聞いていないんですけど。
「「………え?」」
コホン、と五十代の相貌をした神父は乾いた咳払いをした。私は身を乗り出す。
ちょっと待って。神父が鏡を使うっていいわすれていたせいで私十年もヒントを見逃してたの?
その間にどれくらいの確率になっているかわからないのに?
そんな緩い転生ある?
じっとり湿った視線を神父に送ると、彼はまた咳払いをして続ける。
「あくまでヒントなんで。見ても見なくてもいいんですよ。楽しいほうでね」
見る!見るにきまってるでしょーに!
私は平手でバンッと鏡台を叩いてしまった。十歳の筋力ではたいした騒音にも脅迫にもならなかったけど。
「毎月十日、当面はあなたがひとりでいるタイミングをはかって消滅確率をこの鏡に表示します。いいですか、生存確率ではなく消滅確率ですからね。数字が小さいほど良いんですからね」
毎月十日は1カ月に1回のヒントの日、と。
クレジットカードの請求日みたいに半端な日だな。
最初のヒントは明後日ということになる。今日は七月八日だ。
私は頷いて、理解したことを示す。
「ところで神父さん」
「なんですかな」
「私の恋愛小説の相手役はぶっちゃけ誰なの?兄との禁断の恋なのか、幼なじみとの身分違いの恋なのか、それとも…」
「その質問には答えられません」
「十年分ヒント逃したんだからちょっとくらいいいでしょ」
唇を尖らしてみるが、神父は目を伏せて首を振る。
「登場人物が結末を知っていたら面白おかしく物語が転がらないでしょう。ゴールが定まっていてそこに向かって各人が割り振られた作業をするだけの小説を読みたいですか?」
う。何そのサラリーマン小説。
「淡々と仕事を観察している気分になりそうなので遠慮します。公務員でしたし」
「でしょう」
神父は得意げに髭をいじった。
「と、いうことで十日のヒントを楽しみにしていてください。御武運をお祈りいたします」
神父が頭を下げるとその姿はゆらりと薄くなってゆき、鏡にはまたドレス姿の金髪の少女が映し出された。
後ろには天蓋付きのベッドとピンクの壁紙がみえる。
これが今の私の現実だ。
「お嬢様、お夕食のご用意ができました」
金色のドアノブのついた白い扉の向こうからポリーナの声が聞こえ、私は今行きますと立ちがった。