豪邸
潮風を左手に受けながら、四輪の馬車は荒野を抜け、田園地帯を抜け、湖畔地方に入った。少しうとうとして気づいた頃には海はとうに遠く、徐々に丘の上へ上ってきていた。大きな湖が開けたところで、私はつい身を乗り出した。
「湖、はじめて見るの?」
向かいに座ったセレスティン・レッドフォードこと十七歳の腹違いの兄は、肘を窓にひっかけて寛いでいた。昨夜のカッチリした上着は脱いで、白いたっぷりとしたシャツにベストを着ている。午後の日差しが強く、彼の白い肌と柔らかな金糸の髪をより一層眩しくみせている。透き通るような肌ってこういう人のことを言うんだろう。綺麗。浮世離れしている。
「あ、えと、はい!!」
本当は前世でなら、琵琶湖は見たことがあったりする。それでもこの国は日本より日差しが強いのか色彩が鮮やかで、つい見とれてしまった。真っ青な空が湖に綺麗に映り込み、それを囲う広葉樹林の緑とよく映えている。向こう岸に遠く砂浜も見える。
「今度、時間のあるときにお菓子をたくさん用意して泳ぎに来ようか。舟遊びをしてもいいし。お菓子は何が好き?」
私は強く2回頷いた。期待に満ちたキラキラした目をしていたと思う。そんなリアルが充実した生活、前世でもしていたことがないんだもの。私はソニアおばあちゃんのところで食べたショートケーキやクッキーについて話した。ケーキはお菓子なの?と彼は頭をコテンと横に傾けていたけれど。キヨナガ氏はじっと黙っている。
馬車に揺られて数時間、レッドフォード家のお屋敷に到着した頃には日が傾き夕暮れが迫っていた。お屋敷というよりお城と呼んだほうがいいかもしてない。西日を受けて輝くその門扉にまず圧倒される。花崗岩か何かのブロックを積み重ねた塀に三メートルはありそうな黒い鋼鉄の扉。ところどころ金メッキで草花の飾りが添えらえていて一見して豪奢なお屋敷だとわかる。その門扉を槍を持った門番が開くと、紫陽花やサザンクロスが植わった花壇の向こうにお屋敷が見えた。
すごい。大きい。三階建てかな?
ほぼ左右対称のその豪邸は、前世の住まいの十倍はありそうに見える。縦長の窓がズラリと水平に連なり、向こうまで何部屋あるのか想像もつかない。
屋根の張り出した車寄せに馬車が静かに止まった。使用人らしき男性二人が両開きの扉を手際よく開く。道中ほとんど口を開かなかったキヨナガさんがサッと先に飛び降り、手を差し出してセレスティンさんが下りる。私もそれに続く。
中にはずらりと二十名以上の使用人達が並んでおり、頭を下げて主人とフットマン、そして新参者の私ユリアを迎え入れた。
「「「お帰りなさいませ」」」
玄関ホールから正面の階段まで、大理石のようなタイルが敷き詰められている。正面の階段は数段しかなく、そこから左右に階段が流れている。
「さすがに疲れたな。少し休むから、ユリアを部屋に案内してあげてくれる?」
「かしこまりました。ご案内いたします」
セレスティンさんに促され、三十代後半くらいのメイドが案内してくれることになった。私がもってきたほんの少しの荷物もその人が運んでくれる。右手の階段を上がると広間に出る。ここも床は大理石みたいだ。左手の階段も結局ここへつながっている。メイドさんに続いて右手の廊下へ進む。白っぽい大理石のタイルを緑色のタイルが縁取っている。白く丁寧に塗られた木製の扉を開き、部屋に案内される。
「ユリアさま、本日からこちらが貴女さまのお部屋です。長旅おつかれさまでございました」
案内されたその部屋は、桃色の地に金色で細いストライプの束が等間隔に刻まれた壁紙に囲われ、天蓋付きのベッド、猫脚の白い鏡台、暖炉、赤いソファ、それにいくつかテーブルと椅子が並んでいる。壁には印象派のような絵画が何点か控えめに飾られ、日本の扇子のようなものも1点だけ飾ってある。たっぷりしたカーテンから覗く縦長の窓は二メートルちょっとの高さだろうか、広いお庭が見下ろせるようになっている。
さすが伯爵令嬢の部屋!!!やっぱり町人じゃなくてメイドじゃなくてこの設定にしてよかった!!
グっとこぶしを握る。メイドさんは不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。
「お気に召しませんでしたか?」
「あ、いえ、とても素敵です」
握った拳をほどく。
「それでは、宜しければお召し替えのお手伝いをさせていただきます。すぐお休みになられますか、それともお夕食の際に着られるお洋服になさりますか」
お召し替えのお手伝いはちょっと、照れる、けど、十歳の女の子が照れるのもきっとおかしい。ここは素直に従うことにしよう。
「あんまり眠くは・・・」
言いかけたところでお腹がなった。しまった、絶対聞こえちゃった。お昼はお別れが悲しくてあんまり喉を通らなかったから、今になって胃袋が悲鳴を。
メイドさんはくすりと笑った。左胸に名札がついている。ポリーナさんというらしい。
「それでは、こちらのお洋服はいかがでしょうか?サイズは少し大きいかもしれませんが、明日には仕立屋をお呼びしますので」
仕立屋ときいて息をのむ。明日会うその人はママでもパパでもないのに。
ポリーナは白いクローゼットから淡い青色のドレスを取り出して見せてくれる。私が頷くと早速着てきた服を取っ払って、白い下着を纏わせ、そのドレスを着せてくれる。二の腕までが隠れる半そでのデザインで、袖にゴムのようなものが入っていることもあり少し大きめでも悪くない。丈は長く、古びた靴も隠れ、急にお嬢さんになった実感がわいてきた。髪飾りも上質なものに変えてツインテールを結びなおしてくれた。
「お夕食まで少々お待ちくださいね」
「わかりました。ありがとうございますポリーナさん」
名前を呼ぶと少し目を見開かれてしまったけれど、にっこり微笑んで彼女は部屋を出ていった。部屋に誰もいなくなると下の階からいい匂いがしてくるのに気づいた。チキンスープか何かかもしれない。
手持ち無沙汰になってベッドに座ってみる。柔らかい、アルエの街の固いベッドとは全然違う。今度は立ち上がって鏡台に座ってみる。引き出しが五つあり、取っ手は金色に塗られた草花の飾りがついている。中にはブラシや化粧水のようなものが入っている。まだ十歳だけれど、時々化粧もするのだろうか?それともこの部屋の前の持ち主のものだろうか。鏡も草花の飾りがふんだんにあしらわれ、女の子が好きなものを全部詰め込んだような鏡台になっている。鏡に映る金髪の少女は、もう町人には見えなかった。服装は本当大事だ。
なんてことを考えてながら鏡の中の自分を見ていると、鏡の中でゆらりと桃色の炎のようなものが浮かびあがった。そして私ではない顔が浮かび上がる。
「・・・!?」
そこには見覚えのある白い顎鬚の人物が映しだされていた。
十年ぶりにみる、異世界案内人だった。
鏡が好きです。
どうしても鏡を使いたい。
主人公が過去を振り返り今後を考えるのに、自分の顔が否応なく映し出される鏡って良い道具だな、と思うのです。