3. コクト
どろっと指の間から、粘性のある黄土色の液体がこぼれ落ちていく。
え、ナニコレ。
さらに、独特の臭みがある。
なんというか、銀杏のような。
…マジで、ナニコレ?
しばらく、両手を差し出した格好のまま固まっていたのだが。
だんだんと思考が追いついて来た。
キ、キモチワルイ!!
この液体を私の手のひらに注いできた少年に目を向けると、満面の笑みだった。
その瞳を見て、ぐっとこらえる。
あぁ、ところどころ歯が抜けている。
成長期だなあ。
いや、そんなことより。
いつまで、このままでいればいいのかな?!
そろそろ限界なんだけども!
♢♢♢
カラの村にたどり着いたのは、お日さまが傾きはじめた頃だった。
村の人たちはサバサバとした気質のようで、排他的な空気がない。
小さな村なのに宿屋もある。
神殿の関係者が近くの沼地を訪れることも多いので、よそ者に慣れているのかもしれない。
「神殿だけではなく、冒険者が立ち寄ることも多いらしいですよ。
小さな村ですが、中継地なんです。」
村人の様子を見て聞いてみると、キーが説明してくれた。
「中継地?東の街までの?」
神殿を出る前に見せてもらった地図を思い浮かべてみる。
たしか神殿と東の街の間にあるのが、このカラの村だ。
キーは、いえいえ、と頭を横にふる。
「冒険者にとって実入りの良い仕事が南の荒地にあるんです。
南の荒地に続く道は複数ありますが、このあたりの地方ではカラの沼地を通ることになりますから。」
ほうほう、とキーの話に耳を傾けていると、宿をとりに行っていたセイが戻ってきた。
徐々に空が紅に染まりはじめていることもあって、今日は宿屋でゆっくりと休み、沼地の浄化は明日からにしよう、ということに。
たしかに、疲れている。
一日中歩き通しであるし、神殿を出てから今日までは野宿だったのだ。
宿屋に荷物を置いたあと、村の散策をすることにした。
夕食の時間まで少し暇だったことと、異世界に来て最初の村、ということでテンションが上がっていたらしい。
小石に躓いて、危うく頭から転びそうになってしまった。
「ユカリさま?!」
さすが聖騎士。
咄嗟に腕を掴んでくれたようだ。
「び、びっくりしたー。ありがとう。」
足元をきちんと確認すると、ちょうど私が立っている場所に小石がゴロゴロしている。
あれ?
自然に集まったというには不自然すぎるような。
ここ一部にだけ集中して置いてある感じがする。
「あら、この石…。」
後方を歩いていたセイが、小石をひとつ持ち上げた。
夕闇せまる中、一瞬きらりと小石がきらめく。
なんだ?
「あっ!取らないでよ!!」
前方の家から、ブルネットの髪の少年が顔をだした。
どうやら、この少年が置いたらしい。
「この石、俺の使命のために持ってきたんだ。
でも、家に置いておくと母ちゃんが嫌がるからさ。
仕方なく家の前に置いてんだ。」
ブルネットの少年、コクトくんは腰に手をあてて、ふふんと得意げな顔をしている。
ははあ、使命ときたか…。
私も小さいころ、ダンボールで秘密基地を作ったりしてヒーローごっこをしたが同じようなものだろうか。
もちろん、少年の夢を壊すようなことはしないのでツッコミはいれない。
それを聞いて、セイがはっと顔をあげた。
「コクトくんはいくつ?
まだ若いというのに…優秀ですね。」
微笑を浮かべてコクトくんを褒めたセイは、しかしながら、どこか瞳が暗い気がする。
なんだろう?
だが、コクトくんに対する敵意や悪意は感じなかった。
うーん、人それぞれ事情があるだろうし…。
まあいいか。
「今年で10歳になるよ。
使命を考えるのは大事なことだって父ちゃんが言ってた。」
えへん、と胸をはってコクトくんは小石をつまむ。
「この石、中にチャド虫がいるんだ。
チャド虫って光を溜め込む習性があるだろ?
これ、街道の灯りにうまく利用できないかなって思ってさー。
研究中なんだ!」
チャド虫?
石の中に虫がいるのか?
あらためて小石をひとつ手にとり観察してみるが、普通の石にしか見えない。
さっき、微かに光った気がするが…。
私の疑問に気がついたのだろう。
セイが説明してくれた。
「沼地などの水が多い場所に生息する虫のことですね。
石の中を棲家にする、人間の目には見えないほど小さな虫です。
拳大の石ひとつに数万匹いると言われています。」
はー、なるほど。
目に見えないほど小さいから、これも普通の小石にしか見えない、と。
うん?
ならどうして、これがチャド虫のいる石だとわかったのだろうか。
「チャド虫は日中に溜めた光を夜に放出するんですよ。
夜に輝く石があれば、そこにチャド虫がいる、という証拠ですね。」
蛍みたいなものかな?
しかし、石の中で生息しているなんて不思議だ。
これも異世界マジックか。
「しかし、チャド虫は棲家の石が人の手に渡ると徐々に石から逃げて行くので、手元に置いて発光を見ることができるのは数日ですよ。」
今まで黙っていたキーが口を挟む。
子供のころ、近くの小川から自宅に持って帰ってきたことがあるそうだ。
ところが、翌日の夜には目に見えて光が弱まり、翌々日には完全に普通の石ころになってしまったらしい。
水辺に生息するってことは、餌も水辺のものだろうか?
人間の自宅に餌があるとは考えられないし、そもそも目に見えないくらい小さな虫の飼い方がわからない。
そら逃げるわな、チャド虫も。
うんうん、と話を聞いていたのだが、ここでコクトくんが私に目を向けていることに気がついた。
ちょっと待て。
若干、不審な人を見るような目つきになっていませんか。
「こちらのユカリさまは元は貴族なので、世間の常識に疎いのです。
神殿で鍛えている途中なんですよ。
箱入りという感じでしょう?」
セイが雰囲気を察して、慌ててコクトくんに当たり障りのない説明をする。
まあ、
『神子なので、こちらの世界のことわからないんです』
なんて言うよりは良いだろう。
「へー、お貴族さまだったのか。
神殿に入るなんてエライじゃん!
使命のためか?」
とりあえず、お貴族さまの評判はともかくとして神殿のイメージが良いことはわかった。
だが、使命ってなんだ。
さっき、コクトくんも言っていたけど…。
あれか?
神の啓示を受けて修道院に入ったシスターみたいな感じか?
「そのとおり。
神殿での奉仕の道こそが、自らの使命であると家を捨てて来られたのです。」
セイがさらっと話を合わせる。
意外とノリがいいのかな。
ということで、私は裕福な暮らしを捨て、奉仕の道を志し、神殿で清貧な暮らしをしているという設定ができた。
もはや誰の話かわからない。
だが、コクトくんは感動した。
いや…うん。
まあ、いいか…。
セイの適当な説明を真に受けたコクトくんは、がんばる私のために、研究中のチャド虫を見せてくれるという。
「どんな使命が俺にあるんだろうって、よく考えてたんだ。
いつか大人になったら、活躍するかもって思ったり。そんな感じで、ぼーっと暮らしてたら、ばあちゃんが死んだ。
夜中に倒れたらしい。」
コクトくんは自宅の壁に沿うように置いてある甕のひとつを持ち上げた。
「ばあちゃんのいる隣村には医者がいなかった。
日が落ちたら、何かあっても村を行き来するのは難しいだろ?
夜は闇が深くなるからさ。
だから、常に街道に光があればいいはずなんだ。
ばあちゃんは死んだけど、今後も同じような思いをする人がいるなら何とかしたい。
誰にも作れないなら、俺が作る。」
意志を宿した強い瞳だ。
小石を拾って来て使命だとか言うから、子供のヒーローごっこみたいなものかと思っていた。
違うのだ。
少なくとも、彼はそんな気持ちでやっているわけじゃなかった。
闇は魔物を生む。
だから街灯を作りたいのか。
こちらには電気がないから、それに変わるものがないか必死に考えてチャド虫に目をつけたんだ。
実際にチャド虫が使えるかは、わからない。
将来的にチャド虫が街灯になるとしても、はたしてコクトくんに作れるかもわからない。
だが、その心は。
その志は何よりも…。
やりたい事もなく、ただ日々を過ごしてきた私とは大違いだ。
素直に羨ましい。
「手、出してみて。
この中には俺の研究成果がつまっているんだ!」
先ほど持ち上げた甕を傾けるしぐさを見て、慌てて両手を差し出した。
たとえ虚構の設定でも、コクトくんにとって今の私は、彼と同じく一念発起して使命に邁進している人物のはずだ。
彼の真剣な思いには誠意をもって応えたい。
たとえ、研究の成果が街灯には遠く及ばない代物だったとしても。
やがて、私の手の中にどろりとした液体が注がれた。
♢♢♢
あの後、油断すると顔面が引きつりそうになるのを気力でこらえた。
私、がんばった。
あの液体の正体は小石を砕いて潰したもの。
なんと、中のチャド虫ごと。
チャド虫は人の目に見えないほど小さいため、小石ごと潰したらしい。
それを少量の水と混ぜて、蓋をせず器に入れて放置したところ、夜になると発光した。
そのため、とりあえず大量に作って甕に入れて保管した、とのこと。
コクトくんのお母さんが、あれを家に置くことを嫌がった気持ちが良くわかった。
私も、勘弁願いたい。
彼の志は非常に高いのだが、臭いのだ。
この際、色とかネバネバしてるとかはどうでもいい。
問題は臭いだ。
だが、彼の研究が街灯の第一歩になればいいとは思った。
あの液体は光を吸収し、日が落ちると発光する。
仕組みは全くわからないが、天然のソーラーパネルみたいなものだろう。
尊い虫の命が犠牲になっていることと、あの臭いがどうにかなれば希望がもてるのではないだろうか。
こうやって、文明が発達していくのかもしれない。
コクトくんとの出会いは、偶然か必然か。
静かな水面に、ひとつ小石が落ちて波紋が広がっていくように。
私の心にも何かが投げ込まれていたのかもしれない。
ただ無為に時間を浪費するばかりであった自分自身に対する疑問、というものが。




