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朝 ー雨上がり編ー

作者: 柚原タケヒト

 「おはようございます。ご予定の時間です」

 今日も元気のいい声が私を起こしにやってきた。昨夜2時まで起きていた身としては朝7時に起きるのはどうにも参ってしまう。掛け布団を引き寄せて壁側に転がると、腰に違和感を覚えた。そのままもぞもぞと動いてみると、一定の動作をするとじわりと鈍く痛みが出る。どうやら筋肉痛らしい。日頃の運動不足を呪いながらも、今日も1日中何も予定が無い自分を鼻で軽く笑った。


 ふぅと息をついたところで、湿った空気が鼻を突いた。久しく感じていない大量の湿気を吸い込み、雨を思い浮かべる。「雨でも降ったかな」と呟くと、すぐさま「えぇ。先ほどはすごいスコールでしたよ」と返ってきた。普段なら便利でありがたく感じるこの高性能収音機能も、この時ばかりは嫌気が差した。気だるげな朝くらい一人にしておいて欲しいものだが、こう設定したのは自分だ。寝ぼけた目を開けると、部屋がやけに暗い。壁に近すぎるせいかと体を反対側に転がすも、部屋は暗いまま。アンドロイドのスキンディスプレイがぼんやりと浮かんで見えた。


 私の半袖服を着ている“それ”は爽やかな笑みをこちらに向ける。綺麗に整えられたショートカットの髪の毛が風で少し揺れた。明るいところならば人間と区別をつけるのは、よほど近づかないと難しいだろう。しかし日の差し込まないこの部屋では、髪の毛の下にある顔と袖から延びる腕を見れば一目瞭然。それにしてもやはり美しい見た目をしている。超高解像フィルムディスプレイが貼られた有機的な曲線に、人間から型を取られた表情システムが息を吹き込む。微妙な眉の上下、目の動き、頬の引きつり、肌の下にある見えるか見えないか程の血管、全てを表現している。これのモチーフにされた人間は余程日々顔面の筋肉を使っていたに違いない。私がまじまじと見つめていると、血色のいい笑顔は眉が少し下がり心配する表情を見せた。


 「顔色が良くないですね。温かいものでも飲みますか?」と気を遣ってくれた。「あぁ、コーヒーを頼むよ」と返すと、どこか嬉しそうにも取れる笑顔を見せて部屋を後にした。それにしてもいい声だ。自分で設定しておいて言うのも恥ずかしいが、世界で一番きれいなのではないかと思う。高めに設定してあるのだが、決して頭に響くような幼い声ではなく、ある程度成熟したまともな社会人を思わせる。服装を整えてやれば、どこかのお偉いさんに見えてくるだろう。幸いにもあれが身につけているのは私の服なので、そんなことは無いのだが。


 しばらくすると部屋のドアが開いた。部屋で頂こうとも思ったが、外の方が明るく、静かだったのでそちらに向かうことにした。裏口から右に抜けたところに少しばかりの庭がある。自室からは見えない設計ミスではあるが、そこの植物を見に行くために歩いていくことになるので細やかながら私の運動不足解消に貢献してくれている。久しぶりに来てみると谷渡りがぼんぼんを膨らませていた。この庭を作る時に四季折々の木々を植えたのだ。秋の区画にはこいつの他に柿、いちじく、そしてザクロが植えてある。我ながら食い意地の張った庭だ。


 それらを楽しむにはまだ早く、いまはこの谷渡りだけである。雨で濡れたベンチにバスタオルを二枚敷き、小さなテーブルを引き寄せてきた。ことん、とマグカップをテーブルに置いてベンチに腰掛けた時、また眠気がやってきた。大きなあくびを背伸びと共に放つと、上半身のあらゆる関節が軋む。たまらずパキパキと音を立てた関節からは、染み出るように快感と熱が溢れた。伸びに満足して力を抜くと途端に頭がふらついた。得も言われぬ酔いが全身に回り、白黒のノイズが視界に入る。座ったまま膝に腕を乗せ、練習後のボクサーのような体勢になりながら荒くなった息を整える。


 全ての動乱が落ち着いたころ、コーヒーを飲みたい欲が湧いてきた。マグカップ本体が熱いことは予想がついたため、初めから取っ手を掴みにかかる。腕を伸ばし切った状態ではマグカップが予想以上に重たく感じられ、慌ててもう一方の手でカップの底を支えた。スープカップと言っても差し支えないほどの大きさに並々と注がれたアメリカンコーヒー。砂糖は少なめで、ミルク無し。寝起きにコーヒーが淹れられて出てくるのは、人生で叶った小さな夢の一つだ。最も、我が家にあるのはインスタントのコーヒーなのだが。


 そっと一口飲んでみれば、まさにそれは昨夜思い描いた朝である。このために朝早く起こしてもらったのだ。今日はもうこれでいい。飲み終えたらまた寝よう。そう思いつつ大事に大事に飲み進めていった。どんよりとした雨上がりの空から、次第に太陽がのぞくようになってきた。その光は庭にも差し込み、露に濡れた木々の葉を輝かせる。光の幅は少しずつ広くなり、ついに雲よりも多くなった。だいぶ鮮やかに見える空は、まだ夏の香りを少し残している。光量と共に上がる気温と雨上がり特有の湿気が香りにコクを生み出す。


 最後の一口を飲みこみ、カップを片手に台所へと戻る。綺麗に整頓された水回りはいかにも台所然としていた。シンクにカップを置き、水で軽くゆすいでいたところに「おかえりなさい」とあの綺麗な声が聞こえた。カップの水を切りながら振り向き「ごちそうさま」と言うと、またいつもの爽やかな笑顔を見せてくれた。


 自室に戻り、布団にもぐる。あぁ、今日も良い朝だった。


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