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家を出ていかれた男

 もぬけの殻。アシタカは疲れた体に鞭打って家に踏み込んだ。家財道具が何一つない。


「これは史上最悪だな」


 幸いにも重要書類は全て別宅の、偽りの庭の家に置いてある。思い出なんて足枷にしかならないので、賃貸解約してしまおう。一からやり直す金はある。使わないから貯まる一方だ。しかしこの虚無感は金銭では消せない。


「仕方ない。遠いが庭に帰るか……」


 忙しくて疲れているのに何て女だ、とアシタカはつい吐き捨てた。しかしこう毎度毎度女に捨てられるのは、自分に至らない点があるからだ。


「僕が忙しいのなんて、火を見るよりも明らかなのに彼女達は何を求めているんだ」


 アシタカは髪を掻きながら、道路を蹴飛ばした。今回は権力者の女という地位に金か、と大きくため息を吐いた。見定めたと思っていたが、まだまだ女を見る目が無い。自動荷車(オートカー)を手配するかと、連絡機に手を伸ばした。視線の端に見慣れた顔が映って手を止めた。


「奇遇ねアシタカ。今晩は。いつにも増して、顔色が良くないわね」


 アンリが心配そうに眉根を寄せた。腕に抱える紙袋からパンがのぞいている。バケットに、冷えた空気、そして「顔色が良くない」の台詞で彼女が家を出た行った日の事を思い出した。四年以上経過して、初めてだった。


「帰宅したら何もかも無かった」


 アンリが目を丸めてから苦笑した。


「根を詰め過ぎて、モニカに逃げられた傷もあって、女を見る目が機能停止していたのね」


 誰にも話していないのに、昨年家を出て行ったモニカの話を何故アンリが知っているのだろうか。嫌味にムッとして、アシタカはつい言い返した。


「君こそ風の噂で聞いたけれど、ラジープ長官と別れたんだろう?お互い様だ」


「仕事を辞めてくれって言うからよ。だから大人しく振られた。私は国を、人を護るというのが生き甲斐なの。曲げるつもりがない。私の欠点ね」


 可憐な笑顔にアシタカは言葉に詰まった。学生時代からひたすら努力していたのを知っている。代々護衛人の家系で気負いながらも、誇りに思っているのはある程度付き合いがあれば誰でも分かる。


「アンリ、折角だ、食事でもどうだ?時間があればだが」


 驚くかと思ったら、アンリは柔らかく微笑んだだけだった。むしろ安堵したように見えた。理由が思いつかない。


「二十時まで。部下の自主練に付き合う約束をしているの」


「なら手近な店だな。しかし個室がないと困る」


 この辺りだと何処だろうかと首を動かした瞬間、アンリが近くのレストランを指差した。それから先に歩き出した。アシタカは慌てて隣に並んだ。


「相変わらず状況判断が早い。君の……」


 君の優れたところだ、と言うのをアンリが険しい表情で遮った。


「アシタカ、ラジープとは何度も話し合いをしたのよ。彼だって私の事を理解してくれていたわ。だから妥協点を探してくれた。二人で悩んで、苦しんで、沢山喧嘩をしたわ。自分を曲げようと何度も泣いた」


 普段通りの凜とした表情に戻ると、アンリはスタスタ歩いていった。虚を突かれて足を止めていたアシタカは、我に返って追いかけた。アンリの為に、レストランの扉を開く。


「いらっしゃいませ。……っ、アシタカ様、ようこそいらっしゃいました」


「予約もなくてすまない。歓迎ありがとう。個室をお願いしたいのだが、空いていますか?」


 突然来店すれば動揺させるかと、アシタカは頭を軽く下げた。


「すぐ確認して参ります」


 すぐ、というように対応は素早かった。


「また誤解されるわね。まあ良いわ。ヤン長官の誘いを断るの、一苦労なの。ラジープと同じというか、もっと激しそうだから嫌なんだけど良い人だから断り辛いのよね」


 あっけらかんと告げたアンリにアシタカは吹き出した。


「アンリは人気者だからな」


「まさか、護衛人に女が少ないからよ。しばらくは窓口として活躍するわ。ラジープとの件で分かったの」


 他人と向かい合って座り食事をするというのはいつ以来だろうか。突然家から何もかも無くなったということに、相当傷ついている今ならアンリと向き合える気がした。そもそも、アンリに捨てられたのが大きな過ちだった。それを正さずにいたら、同等以上のモニカにも捨てられた。多忙を盾にせずに今、省みないと変われない。


「分かったって何がだい?」


「彼、とても折れてくれたのよ。それなのに()()折れることが出来なかった。不穏な匂いがしているでしょう?私、最前線に立ちたいの。女として家を守るなんて、性に合わない。だからアシタカの事も我慢出来なかった」


 どう話を切り出そうと思っていたら、アンリから先制攻撃してくるとは思いもしなかった。


「お互い時間に限りがある。注文しましょう」


 素早く店員を呼び、料理と飲み物を選んだアンリをアシタカはぼんやりと眺めた。アシタカが望む物は全部把握している。しかしどうだ、アシタカはアンリが食べたいものも今何を話したいのかも皆目見当もつかなかった。


「最前線って、隣国の協定の噂か。僕もあれは怪しいと睨んでいる。お陰でまた仕事が増えそうだ」


 アンリが机に頬杖ついて歯を見せて笑った。行儀が悪いと(たしな)めようとしたが言葉を飲み込んだ。お互いもういい大人だ。アンリならわざとだろう。途端にアンリが頬杖を止めて背筋を伸ばした。


「まだイマイチ分かっていないのね」


「何のことだ?」


「今、私の頬杖を(とが)めようと思った。でも私なら分かっていてわざとしているだろう、と注意しなかった。どう?」


 面食らって瞬きを繰り返すと、アンリがため息を吐いた。


「アンリは僕のことをよく知っている?知らないわよ。当てずっぽうで試したの。まあ軍人として一般市民よりは表情や仕草を読むし、可愛げがないのも承知している。でも聞かないと正解かは分からない」


 まるで教師のようだなとアシタカは苦笑いを浮かべた。


「先月かな、アスベル先生に忠告された。先回りして決めつけるなと。僕の兄弟子は先回りして、声に出して聞くそうだ」


 異国からの旅人アスベル。知識の量に大陸情勢にも詳しいと国に留まってもらっている。剣技だけでなく色々と世話を焼いてくれる彼を、先生と呼ぶようになるのに時間はかからなかった。不思議な人物だ。


「そうそれで私を食事に誘ったのね。良かった」


 胸を撫で下ろして視線を落としながら、アンリが寂しそうに笑った。母親の笑い方に良く似ている。良かった、と聞いた瞬間にもうアンリにわざわざ聞かなくても良いかと感じた。家を出て行った彼女が言いたかったことは、アスベルがアシタカに告げたことと同じ内容だったのだろう。


「また拒否するの?本当に酷い人ね」


 眉尻を上げたアンリが腕を組んだ。


「理解するのと、癖を治せるのは別だ。励むよ。それに思い出すと情けなくて耐えられない。これでもモニカのことを思い出して落ち込んでいるんだ。文句も言わずに二年も寄り添ってくれたのに、何もしてやれなかった」


 アンリのことも、と続けたかったが本人には女々しすぎて言えなかった。アンリが同情を浮かべた。


「どうしてこうも自信がないのかしら。アシタカ、別れたって得られるものは多いわ。一緒に過ごした思い出も糧になる。弊害(へいがい)は男に求める理想が高くなる。その点よ」


 悪戯っぽいアンリの笑い方は、姉の笑顔と似たような種類。二人の関係は本当に終わっているのだな、と改めて痛感させられる。アシタカもアンリの事を後悔するよりも、アンリの件で学んでモニカを失いたくなかったと思った。こんな風に語り合い、お互いを高め合う為に別れが訪れたのなら、甘んじるしかない。むしろ良かったと素直に思える。


 料理が運ばれてきた。アシタカの好きなトマトの魚介スープに、包み焼き。


「それを言うなら君の方だ。着飾れば美しく、気配り上手。なのに女の気配を消すどころか、最前線に立つ兵士になりたいなど。そんなの、どんな男が出てきても止めるだろう」


 困ったというのように、アンリが包み焼きを頬張った。


「そうなのよ。俺の隣で戦え、ついてこい。離れるなって人なんているのかしら。私、何でアシタカとダメになったか今なら分かる。政治経済に統治を一緒に担うって考えがなかったからよ。今は分かったけど、嫌だと思う。私には向いていないし関心ない分野」


 惚れた女を血塗れの戦場で連れ回す男などいない。アシタカはアンリが心配になった。彼女は折れないと一生一人だ。


「折れてラジープ長官と添い遂げると決めなかった事、後悔しているんだな」


「勿論よ。このままじゃ仕事人間だわ。私も人の親になりたい。でもあれは嫌、これも嫌だと無理よね。秤にかけると、私は護衛人長官として生きていきたい、になるの。困ったものよね」


 まるで自分の事のように感じられた。成したい理想がある。したい仕事は多く、するべきだと思う責も膨大。しかし安心する家や家族も欲しい。全部欲しいが、妥協点を上手に見つけられない。努力しているつもりが、相手の気持ちも、自分の気持ちも読み間違える。


「話というのは兄弟子のことだ」


「崖の国、でしたっけ?」


 海老の殻を剥きながらアンリがアシタカを上目遣いで見つめた。この艶麗(えんれい)な上目遣いに昔は動悸がしたのに、今ではすっかり冷静だ。昔よりもより艶やかになっているのに、だ。家族以外でこれ程打ち解けられる人物は片手の指もいない。逃した魚は大きいが、代わりにより大きな友を得た。出会いも別れも糧になる、とはこのことだろう。


「そう。兄弟子といっても十も年下らしい。崖の国の王子。聞けば聞くほど不思議な子だ。話をしてみたい。だから一度崖の国へ行きたいと思っている」


 国防担うアンリ長官ならば猛反対だろう。しかし友人アンリなら諸手を挙げて賛成。聞かなければ分からない、とはこのことだ。何故つい最近まで気がつかなかったのだろう。五年も前にアンリに指摘されたというのに、視野が狭すぎだ。


「難しいわね。崖の国って小国でしょう?国をあげて訪ねれば外交問題。貴方はこの国の支えよ。得体の知れない国へ、さあ行っておいでとも言えない。こっそり行くつもりなら護衛するわ。見つかった時の処罰にも甘んじる。招待するのではいけないの?検討していないなら、相手に提案していないなら、勝手に行っては駄目よ」


 まさか反対と賛成どちらも言ってくるとは思わなかった。


「処罰されても良いとは光栄だな。正直な話、話に聞く大自然を見てみたいんだ。この閉鎖的で偽りの庭でしかない国とは違う、本物の世界だ。君も見てみたいだろう?」


 アンリが不敵な笑みを浮かべた。


「アシタカが権力を振りかざすと信じているのよ。それに私の普段の行いも、とても良いからね。偽りの庭って言うけれど、人の生きる場所に偽物も本物もないわよ。ただ、知らないからよく見えるだけ。勿論、私も大自然は見たいわ。だから……」


 腕時計を確認すると二十時。あらかた食事も済んだし、とアシタカは席を立った。アンリも察して口を閉ざしていた。しかし動かない。


「どう思う?」


 探るような目だが、何を目的にしているのか予想がつかなかった。


「僕もこの国を偽りとは思っていないよ。言葉というか、表現方法の過ちだ」


 アンリが肩を竦めた。


「不正解。貴方との食事は有意義だから、少しくらい部下を待たせよう。手土産で許してもらおうかしら。口直しにサッパリしたシャーベットも食べたい。嫌だ嫌だ、時間に追われてせっかちな男は。もう一つあるけど、教えてあげない」


 即座にアンリは立ち上がって、伝票を掴むと先に部屋を出た。アシタカは伝票を取り上げようとしたが、ひらりと避けられた。


「君には頭が上がらないな」


 学生時代、学術から実技まで何もかも敵わなかった。過去に行ける機械があるのなら、アンリに捨てられた日へ行って、自分の横っ面を叩くべきかもしれない。


「逆よ。私、貴方のその目が大好きだった。君は素敵な女性、ありがとうという目。男を見る目を養えた。貴方の真似をすれば、老若男女問わず素敵な人が寄ってくる。一生頭が上がらないわ。さようなら、急がないと可愛い部下が待ちぼうけしてしまうわ」


 君は昔からそういう女性だったじゃないか、と言いたかったのに言う暇は与えられなかった。突き飛ばされて、扉が閉められた。伝票と、そこに挟まれたお札が床に落ちた。


「もう一つとは何だろうか……」


 会計を済ませると自動荷車(オートカー)が手配されていた。この気配り上手、男なら誰でも家に居させたいのではないだろうか。実働特殊部から司令部への異動も断っているし、仕事に燃えるのは玉に傷。


 ぼんやりと自動荷車(オートカー)の窓から外を眺めた。灯のついた家々に自然と笑みが溢れる。欲しいではなく、与えたい、守りたいと思うからアシタカもまた仕事に燃えてしまう。しかし失ったものに、今日は焦がれた。もぬけの殻だった部屋は、衝撃的過ぎた。


「運転手殿、お名前を聞いても?」


「は、はい!プラディです。まさか本日最後の仕事がアシタカ様の送迎とは大変な誉れです」


 そこまで言われる人間ではない、そう言いかけて止めた。


「ありがとう。プラディ殿、僕は今少々傷心気味で。人生の先輩としてお訪ねしたい」


 アシタカはアンリの去り際の発言をかいつまんで説明した。それから"もう一つ"が何か分からない事を話した。


「恐れ多くも……」


「いや是非教えて欲しい。僕は心底困っている。未熟なのに自分では答えが分からない」


 昔は問題にすら気がつかなかった。


「妻の例で申し訳ないですが……。時間ばかり気にして、もっと夢中になって忘れてくれても良いのに。寂しい。そういう例もあります。まあ、アシタカ様が本日食事をされた方をそんなに気にかけていらっしゃらないのでしたら、仕方ないでしょうね」


 絶句してしばらく声が出せなかった。


「アシタカ様?」


「まさか。僕は彼女と話せてとても嬉しかった。それが分からない相手でもない、気心知れた友人だ」


「それならばシャーベットを食べたいと言われた時に引き止めるべきでしたね。追いかけて欲しい、気にかけて欲しい。時間がないなら振りでも良いからして欲しい。女は直球でものを言わないのに我儘ですよ」


 プラディの最後の台詞は誰かを思い出しているようなぼやきだった。妻のことだろう。


 通りで何度も失敗するはずだ。アシタカが何よりも大切なのが仕事や時間だと見抜かれている。その上で試されて、やっぱり自分は選ばれなかった、もう嫌だと逃げ出しているのか。


「ありがとうございます。プラディ殿。僕はしばらく女性とは縁を切るよ」


 アシタカは目を(つむ)った。アンリ同様、アシタカは一生一人かもしれない。激務に耐えてくれる女性ではなく、誇りを共に担って歩んでくれる女性でないとならない。比べられても逃げないのはそういう女性しかいない。惚れた女が、そうであるなんて奇跡があるのだろうか。


 寂しいという感情が押し寄せてきたが、大きく深呼吸した。


 折れないということは、何かを犠牲にすること。温かな食卓の灯りは、やはり浴びるものではなくて灯すもののようだ。

愛されてる自信がなくて家を出た女

本当の恋や愛を知らないから家を出ていかれる男


そんな話です

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