6.側近と彼女
約一週間ぶりに訪れた繁華街は、相変わらず騒がしかった。
そんな人の波を行く瑞稀と快成。フードを被っている黒猫と、皇グループの裏の顔である「東雷派龍皇会龍皇組」の若頭。圧倒的な存在感を放つ彼らの為に、自然と道が開けていく。
「……相変わらず恐れられてるのね、若頭様は」
瑞稀の皮肉の込められた言葉に若干苦笑いする快成。
それから数十秒後。二人の周りを取り囲んだ女どもはキャーキャーと煩い奇声を上げている。元々こうなることが嫌で繁華街に近寄らないミステリアスな黒猫と、関東を支配する東雷派龍皇会会長の直系の孫である若頭が現れたのだ。有象無象が騒ぐのも頷ける。
「…やっと来たか」
キレる一歩手前の快成。ため息を付きつつ、今、目の前に停まった黒のベンツに殺気を送る。
――ガチャ… バタン…
運転席からは茶髪黒眼の。助手席からは黒髪黒眼でノンフレームをかけた男が降りてきた。
「若、遅くなりました」
「……」
運転席の男は瑞稀を横目で見ると、瞬間に嫌そうな顔をする。そしてもう一人は一瞬驚いたような顔をするが、すぐに笑みを張り付けた。
だがそれも一瞬で、黒のスーツを身に纏った二人は快成に低頭した。
(…いかにも“極道”って感じね…)
フードを深くかぶり直し、瑞稀は軽く会釈した。
「ルナ、紹介する。メガネの男が春川 綾人。茶髪の方が千景 彼方だ。二人とも俺の側近だから、今後は会う機会が増えると思う」
快成に紹介され、瑞稀に微笑む春川と変わらず睨み続ける千景。
(…千景 彼方は女嫌い……ね…)
二人のあからさまな態度に笑みを溢す瑞稀。それでも二人が何も言わないのは、彼らから瑞稀の表情が見えない程フードを深くかぶっているからだろう。
「…千景 彼方、私のことが嫌なら近づくな。あと、春川 綾人、偽りの笑みを張り付けるくらいなら一生無表情でいろ。その顔ウザい」
瑞稀の発言に鳩が豆鉄砲を食らったように驚いている側近たち。
まさかそのような事を言われるとな思っていなかったようだ。
(全員が全員、あんた達を表しか見ていないと思ってたわけね…)
内心呆れている瑞稀。快成はそんな三人の様子を面白そうに見ていた。
「…って、快成。今、『今度会う機会が増えるだろうから』って言ってたわよね。どういうこと」
ため息を付いた瑞稀はふと、思ったことを口にする。
その瞬間、皇 快成であった今までの彼から、龍皇組若頭の顔へと早変わりする。
「ここでは話せないから、まずは移動しよう」
「…なら、ウチに来て。今日は開けるつもりないし」
話がまとまったところで、彼らはBar“Luna Rossa”へと向かう。
二台の車の中は重い沈黙が支配していた。
「で、何があったの」
バーカウンターの中でエル・ディアブロを作り、快成の前に置く瑞稀。フードは被ったままだ。
「…親父が“清端を潰せ“との仰せだ」
「……清端は一体何したの?それに、西の清端を東の龍皇が潰すって…。戦争でもするつもり…」
東西を支える大きな組同士が争うのだ。もはや瑞稀の言う通り戦争と言っても過言ではないだろう。春川と千景にはコーヒーを淹れ、瑞稀は快成に問いを投げる。
「で、潰す理由はなに。教えてくれないならこっちはこっちで自由に動くけど?」
一度黙ってしまった快成に、少し殺気を籠めた睨みを向ける。すると、一瞬ビクッと肩を震わせる三人。
(…これでいいのか…?極道なのに、私の殺気で怯むなんて…)
あきれてものが言えなくなる瑞稀であった。
「で、要するに、私の結婚相手が清端組の息子で、しかもじじぃと共闘してよからぬ事を企んでいる…と?」
「いや、よからぬ事じゃなくて確実にヤバい事だって」
「だから、一緒でしょ」
のんびりと紅茶を飲んでいる瑞稀と、焦ったように言ってくる快成。春川と千景は二人の会話をただ驚いてみていた。
会話の内容は以下の通りであった。
・瑞稀と清端社長の婚約を快成の父である壮成が知る。
・壮成と龍成によって清端の表と裏が調べられる。
・不正及び瑞稀を使い何かをしようと画策している事が明らかになる。
以上の事より、壮成は龍皇組を潰すことにしたのだった。
(…壮成さん、態々危険な道を……)
快成の話を聞いて表には出さないものの、罪悪感を感じている瑞稀。
「ルナ、勘違いすんなよ。親父もじぃさんもお前に罪悪感を感じてほしくて清端を潰すわけじゃない。お前には幸せになってほしいからやるんだ。……もちろん、俺もな」
真剣な極道の顔で少し俯いている瑞稀に言う。それでも、最後の方は優しく瑞稀を諭すように言う快成。
(…本当に龍さんと壮成さんに似てるよね。特に慰め方とか…)
泣きそうな笑みを浮かべる瑞稀。快成はそんな彼女の笑みを見て抱きしめてあげたい衝動に駆られた。
(けど、兄貴が密かに片思い中だしな。…俺的には二人が幸せになってくれたら万歳だし…)
微笑んでくれた瑞稀に笑みを返すだけにした。
微笑み合う二人の間に、疑問やら驚きやらをごちゃ混ぜにしたような表情をしている可哀そうな側近が口を挟んできた。
「…その、若。お聞きしてもよろしいですか」
「ん?…って、今は瑞稀以外誰もいないんだ。いつもの様にため口でいいぞ、綾人」
なんとかいつもの自分を取り戻そうと必死な春川。千景は今だ固まっている。
(元から無口なキャラなんだろうけどね、千景 彼方は)
まだフードを取っていない瑞稀。ため息は誰にも気づかれなかった。
「…いいのですか、黒猫がいるのに」
「構わねぇよ」
「…じゃあ」
やっと頭の中が整理出来てきたのか、色々考えながら質問を繰り出してきた。
「まず、彼女は何者だ?情報屋“紅の黒猫“なのは知ってる。けど、なんで快成とそんなに親しそうなんだ?」
「そりゃ、仕事で何回も世話になってるし、俺が一人で出かける時は大抵ここに飲みに来てるからな」
主であり、幼馴染の親友の秘密を知った側近二人は、また声も上げずに目を見開く。
それを見て、瑞稀はカップに新しく淹れた紅茶を飲んでいた。
「…ほんなら快成。自分黒猫と知り合いやったんか…」
「まぁな」
(へぇ。千景 彼方は関西訛りあるんだ)
初めて言葉を発した千景の関西弁に、瑞稀は関心しながらも静かに彼らを分析している。
「綾人、彼方、コイツは大丈夫だ。信用に値する」
快成のこの一言で黙り込み、何かを考えるような顔つきになる側近。だが、ややあって覚悟を決めたような表情を見せた。
(…決めたのか…)
口角を不気味に上げ、瑞輝はカップをソーサーに静かに戻した。
「…わかった。よろしくな、黒猫」
「……よろしゅうな、黒猫はん」
春川は笑みを張り付け、千景は嫌々手を差し伸べてくる。
(だから、さっきも言ったのに)
半分呆れ、ため息を付く瑞稀。そんな彼らに、瑞稀が何を思ってため息を付いたのかわかっている快成は苦笑を漏らした。
「…だから、嘘笑いなんてしないでって言ったしょ。女嫌いなら私に関わらないでとも言ったわよね」
「はっはっはっ。綾人、瑞稀はわかってるんだ。もう普通に笑えよ。それに、彼方もちゃんと瑞稀を見ろ。関わるななんて言われてるぞ」
何が面白いのか、快成は声を上げて笑う。
側近たちは困惑の表情を見せながらも、春川は笑みを消し、千景は素気なくなった。
「…それでいいわ。私は月宮 瑞稀。月宮グループの者よ。よろしくね、春川 綾人、千景 彼方」
フードを取り、黒猫の素顔が明らかになる。まさかあの月宮グループの令嬢が裏稼業をやっていたとは思ってもいなかったのだろう。思いっきり驚いている二人。だが、ややあって声を上げて笑い出した。
そんな彼らに瑞稀は困惑の表情を浮かべ、快成はニヤニヤしながら自分の幼馴染を見ていた。
「黒猫、俺らはあなたを知っているよ」
「って、言うより、あんさんと喋ったこともあるよって。…気づかへん?」
目に少し涙を浮かべながら聞いてくる側近。だが、瑞稀はまだ何のことだか全く理解していないようだ。
「まぁ、仕方ないだろうな。なにしろ、瑞稀が5歳の時に一度会ったきりだしな」
「……え、もしかして、創輝兄様と永輝兄様の12歳の誕生会を開いた時に壱成様と一緒に来られていた…」
快成の苦笑しながら言った一言に、瑞稀はやっと思い出したようだ。
12年前、月宮グループの後継者を紹介するという名目も兼ねて創輝と永輝の誕生会が盛大に行われた。そこに招かれたのは世界ランクトップ100位以上の企業の社長や跡取といった上役を集め開催した。もちろん、世界ランク2位であった皇グループ御曹司として壱成が参加したのだが、その時、壱成の側近としてこの二人がであった。
(…まさか、あの時の二人が快成の側近をしていたとはね……)
兄の側近が弟の側近になっていたのに少し驚きつつも、なんとなく納得している瑞稀。
「それより、今後のことはどうするんだ」
ふんわりな雰囲気を出していた瑞稀と側近に若頭の声でこの場を締める。
それを見た側近は背筋を伸ばし、少しの冷や汗を背中に伝わせる。
「…そうね。ひとまず、今の状況を確認する必要がありそうだから一週間待ってて」
「……りょーかい。ちなみに、一週間経ったらこっちから連絡したほうがいいか?それともどっかで落ち合うか?」
「こっちから連絡するから、清端の表も裏も両方から崩すよ。……じゃ、よろしくね」
それだけ一方的に言うと、空になった快成のカクテルグラスと少し入っている側近のコーヒーカップを下げ、片付けていく。
「…ああ、分かった。じゃあな」
そんな瑞稀を見ていた快成は、一言いい、春川と千景を引き連れ店から出ていった。
後片付けを終えた瑞稀は、バーカウンターに静かに座っていた。
「……今日は仕事するつもりなかったんだけどなぁ……」
思いっきり一人で愚痴をかます瑞稀。その顔は疲労困憊であった。
「まぁ、やりますか」
一言つぶやき、彼女の手が猛スピードで動いていく。その速さは常人のそれを軽く上回るだろう。そのスピードがあるからこそ、できることが多いのだが頼られ過ぎて時々栄養失調やら過労やら睡眠不足やらで倒れるのだった。
それから日が昇るまで、Luna Rossaの中ではカチカチとキーボードを打つ音が聞こえていたのだった。