3.紅茶とコーヒー
――ゴーン… ゴーン… ゴーン…
授業が終わり、帰りのHRも終わった桜橋学院。
「瑞稀。終わったよ」
学生鞄を肩にかけ、白のブレザーのボタンを全開にした萌々が、理科棟旧校舎の2階一番端のクラスの前に来ていた。
「ちょっとちょっと瑞稀さん、起きてくんない?早く帰るよ」
「……」
「仕事溜まってんでしょ。早く行かないと帰れなくなるよ」
「……」
「…帰りが遅くなったらバレるんじゃない?家族に」
「…それはダイジョーブ。高1の時から一人暮らししてるから…」
眠そうにしながら欠伸をする瑞稀。
「起きてたなら早く行くよ。一人暮らししてても、あんたのお兄様たちはほぼ毎日家に来てるんでしょ?」
「…あー、創兄と永兄ねぇ…。いつも家にどっちかがいるよ?…ホント邪魔でしかたないよね…」
「…あんた創輝さんと永輝さんは実の兄でしょうが…。その人たちを邪魔者扱いって…。って、こんなことしてる場合じゃないでしょうが。ほら、早く行くよ」
眠そうな瑞稀は、旧校舎から萌々に無理やり連れだされる事となった。
旧校舎から出た瞬間、学院トップの顔に早変わりする。
正面玄関を出たところで、横づけされた黒の車の前に立つ一人の男性が二人を出迎える。
「萌々お嬢様、瑞稀様、お帰りなさいませ」
二人を出迎えてくれたのは皇家本家に仕える榊だ。
ただ、今は萌々の専属運転手となっている。本業はELIC副社長第一秘書であるため、萌々の秘書だ。
「榊、事務所まで」
「かしこまりました」
萌々の一言で黒のマセラティが動き出す。
「で、瑞稀さん瑞稀さん?これから事務所に行くわけだけど」
「…あれ、事務所じゃなくてただのマンションでしょうが。しかも私のだし…」
「いちいちうっさいわね。使わないあんたが悪いの。この私が有効活用してあげてるんだから、文句言わないの」
「……傲慢な…」
「なんか言った?」
「何のこと?」
鬼のように目を吊り上げ怒る萌々と、それを軽く受け流している瑞稀。
そんな二人の会話を運転しながら聞いていた榊はクスクスと殺し切れていない笑みを漏らしていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「萌々お嬢様、瑞稀様、ご到着致しました」
慣れた様子で歩道側のドアを開ける。
「榊さん、ありがとうございました」
「いえ、瑞稀様。それが私の仕事ですので」
いつもながら控え目な性格である。
「萌々お嬢様、お迎えはいかがなさいますか」
「あとで電話する」
「かしこまりました」
低頭し、颯爽と車に乗る。
――ブロロロr……
「さてさて瑞稀、ちゃちゃっと仕事終わらせるよー」
「うーい」
やる気満々の萌々に対し、瑞稀は軽い返事をした。
二人が入っていったのは、月宮グループが設計からなにから全てを手掛けた高級マンションである。世界でも最高級のランク獲得している「オータム・アズァ ホテル」の内装を殆どそっくりに建設されたこのマンションは、一斉販売された直後、1分と経たずに完売した。
そんなマンションの最上階を所有しておりながら、全くと言っていい程使っていない瑞稀であった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「瑞稀さん、萌々さん、お待ちしておりました」
部屋に入って二人を迎えたのは、ELIC社長第一秘書をしている越河 秋だ。
黒髪黒眼、細身の見た目に似合わず、毎日トレーニングをしている彼はガッチリとした体格をしている。
「あ、秋さん、仕事溜まってます?」
「何を言っているのかな?萌々ちゃん。分かり切っていることを聞くなんて、君らしくないよ」
萌々に言われ、にっこり笑う越河だがその笑みは黒い。というか、どす黒い。ここまで黒いオーラを放たれては、瑞稀たちはもう、うんともすんとも言えなかった。
「さぁお二人さん、さっさと片付けて下さいよ」
諦めたような表情で渋々と動く瑞稀と萌々。
上司であるはずの二人にどす黒い笑みをかけてやる越河。瑞稀と萌々は仕事用の大きめのデスクに積み上げられた資料に絶句しながらも、振り返るとニコニコの笑みを浮かべている越河がいた。
(ねぇ瑞稀、仕事するのと秋さんに殺されるの、どっちがいい?)
(…秋さんに殺される覚悟あるわけ?)
(んなわけないでしょ)
(だったら仕事するしか道はないよね…)
(……)
見つめた二人は瞳でそんな会話をしていた。
その間もニコニコと二人を見ている越河。
「では、二時間後にまた来ます。それまでにはお願いしますね」
「二時間!?」
普通は半日掛けて片付ける仕事の量をたったの二時間で終わらせろと言う鬼畜発言をする越河。その表情は至ってにこやかだ。
そんな有能な秘書に萌々は絶句し、瑞稀は微動だにしない。ややあって元に戻り、二人で仲良く諦めの境地に立った。
「……ところで瑞稀さん。次に康輝様にお会いされるのはいつですか?」
「……そんなのどうでもいいでしょ」
諦めの表情から一転、一瞬にして冷酷になる瑞稀。その表情はこれまで見たことがないような程冷たい。二人の会話を聞いていた萌々も、動きを止めた。三人の間に嫌な空気が漂う。
そんな社長を見て、越河は背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
「……瑞稀さん、来週末の例の会議ですが」
「ああ、椿会の」
気を取り直し、越河が瑞稀に話しかけるといつもの彼女に戻っていた。
「はい。その件で龍成様からドレスを」
「すぐに送り返してください」
萌々と共に仕事に手を付け始める瑞稀。越河を見ることなく言い放つ。
「ドレスなんて着るわけないでしょう。今まで着たことないしね」
「…それはこれまでELIC社長として参加していたからでしょう。ですが今回は月宮グループ令嬢としての参加ですよ」
「知らない、そんな事。それにドレスを貰うにしても旦那様からでしょう。龍さんから貰うのは筋違うだわ。龍さんにも言っておいて。あ、それから今回の定例会に九條稀弥は不参加ってこともね」
冷たく言い放つ瑞稀は、テーブルの上に山積みにされていたモノに、一番上から手を付けていく。
「……瑞稀さん…」
「ほらほら、私だけ仕事してんだけど?」
「あー、ごめんごめん。…秋さん、とにかくドレスは送り返してください。会議は黒のワンピースで行きます。龍さんにもそれで伝えてください」
「…わかりました」
先に仕事を始めていた副社長とため息を付きながらも、凄まじいスピードで仕事の山を片付けていく社長。秘書はそっと部屋を出た。
そこから長い長い、果てしなく長い二時間が始まった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「龍成様、ドレスは送り返される事になりました」
『そうか。まぁ、だろうとは思っていたがな。それで?あの娘の様子はどうだった?』
「相変わらずです。康輝様の話題を出したところ、一気に冷めていました」
『……』
「会議では黒のワンピースで出席するそうです」
『…はぁ…。昔の瑞稀に戻ることはできないのかね』
「…それは難しいかもしれない…ですね。今のままでは可能性はかなり低いです」
越河の、一番聞きたくなかった報告に龍成は少し黙る。
『……。まぁ、それはおいておこう。それで、瑞稀はまだ私の事を“龍ちゃん”と呼んでいたかい?』
「いいえ。“龍さん”と。そう呼んでいましたよ」
『…さん…だと…』
余程衝撃的だったのか、電話口の龍成の声は愕然としている。
「はい。ですがよかったですね。まだ“龍さん”で。下手したら“皇会長”と呼ばれているところでしたよ?」
『……』
「黙っていないでください。…話は変わりますが、今回から壱成も参加すると噂に聞いたのですが…」
『ああ、するよ。今回からね』
「…事実なんですか」
『ああ。他のメンバーにもそろそろ紹介してくれと言われていたからな。また定期報告よろしくな』
「かしこまりました」
通話が終わり、ため息を付きながらスマートフォンをスーツの内ポケットにしまう越河。
「にしても、アイツが椿会のメンバーにねぇ…」
事務所のダイニングキッチンでコーヒーを三つ淹れながら意味有り気に窓の外を見つめる越河。幼馴染の壱成が世界最高峰のメンバーの一員になったのが少し悔しいのか、いつもよりも盛大なため息を付いた。
――ガチャッ…
「秋さん、電話終わった?」
一室から出てきたのは仕事をしているはずの瑞稀だった。
「おや、瑞稀さん。まだ一時間しか経っていませんよ。仕事をして下さい」
「終わったからね」
「…は?」
「だから、終わったんだって。あれくらい、二時間もかからないわよ?」
「…ふざけてんじゃねぇぞ、おい」
「…萌々…ちゃん?」
「……あーあ」
「てんめぇ瑞稀。どんだけ仕事のスピード飛ばしてんだ、あ゛あ゛?」
「…瑞稀さん、いったい何をしたのかな…?」
「…私のスピードで仕事した…かな?」
「ふざけんな、瑞稀!」
「瑞稀さん、それはだめでしょう。貴女の仕事の速さは常人のそれを遥かに上回るんですから。萌々さんは常人ですからね」
「そうよっ!わかったら今度からあんな殺人的な速さで仕事するなっ!!」
「…はーい」
「はぁ。あんたホントにわかってるわけ?」
「わかってるって」
「では、少し息抜きでもしましょうか」
仲直りした二人に香り豊かなコーヒーが現れる。
「ありがとー、秋さん」
「……ありがと、秋さん」
大好きなコーヒーを最高の執事兼有能な秘書に入れてもらい、満足気味な瑞稀。それとは違い、向かいのソファに座る萌々は苦い顔をする。
「いいえ。…って、萌々さん。礼を言いながら大量に砂糖とミルクを入れるんですね」
「え、だってコーヒー苦いし」
「苦いのがコーヒーでしょうが」
「瑞稀はそうかもだけど、私は苦いのムリ」
「そりゃ萌々が大の甘党だからでしょうが」
「甘いものばかり食べていたら太りますよ、萌々さん」
「秋さん煩いっ!」
瑞稀と越河にいじられ、甘ったるいコーヒーをゴクゴクと飲み干す萌々。
萌々が飲んでいるモノを見て若干気持ち悪そうな顔をしている瑞稀。見なかったフリをして淹れたてのブラックコーヒーを口に運ぶ。
「さて、一時間程時間に余裕ができましたね」
「そーだねぇ…」
「…ねぇ、秋さん」
「どうかしましたか?瑞稀さん」
「…その変な敬語、やめない?」
「……え?」
おいしく飲んでいたブラックコーヒーの手を止める越河。
「そうそう。瑞稀の言う通りだって。いつも思ってたんだけど、他人行儀みたいで嫌なんだよね。それ」
「うん、私もそれ言おうと思ってた。創兄と永兄の二つ先輩でしょう?」
「あれ、そうなの?」
「うん。確か秋さんと壱成さんが一番上で26歳。二つ下に創兄と永兄と、あと快成さんが24歳で幼馴染だったはず」
「へぇ、あのバ快成が創輝さんと永輝さんの幼馴染ねぇ」
「あれ、もしかして知らなかった?萌々のお兄さんでしょ?」
「ぜーんぜんっ。だって創輝さんたち一回もウチに来たことないし、あのバカも何も言わないし」
「あ、また今度萌々ん家行っていい?」
「いいよっ!もちろんっ!!」
「で、秋さんは敬語の件、了承してね。いい?」
「…わかりまし…。…ああ」
瑞稀に凄まれ、渋々ではあるが了承してくれた越河に、二人の小悪魔は二ヒヒッと笑う。
越河はため息を付き、瑞稀の空いたマグカップに熱々の淹れたてコーヒーを注いだ。
「萌々は紅茶か?」
「うん。角砂糖6個かな」
「…よくそんなに入れて飲めるよね、ホント」
若干嫌そうな目を萌々に向け、ブラックコーヒーを口に運ぶ瑞稀。
「え、おいしいけどね。飲んでみる?」
「…いや、やめとく…。にしても、秋さんの素顔ってなんかカッコいいよね…」
「…突然どうした」
「あ、わかる!なんかこう、暴走族?じゃないけど、そんな感じがワイルドでカッコいい」
カップをソーサーに戻し、盛り上がる彼女たちに対し、遠い目をしながらコーヒーを飲んでいる越河。その顔は苦笑いを浮かべていた。
「けど、秋さんって高校の時結構やんちゃしてたんでしょ?」
何気ない瑞稀のその一言に一瞬動きを止める彼。
「…なんでそんな情報を知っているのかが不思議だな、瑞稀」
「え、ヒミツ」
「…秋さんてやんちゃしてたんだぁ…。なんか意外」
「…壱成と快成もメンバーだぞ」
「お兄ちゃんたちがやんちゃしてるのはわかる。永輝さんもメンバーなんでしょ?」
「うん。もち、創兄もだけど」
「えっ!?嘘っ!!誰よりも紳士でカッコいい“あの”創輝さんも!?」
“あの”が付く創輝。理由は、長男である創輝は大人しく、何事も冷静でスマートにものを片付ける。それに対し、次男の永輝はやんちゃで短気なところがあるのだ。そのため、瑞稀が萌々に「永輝はやんちゃをしていた」と告げても萌々は納得するが、それが創輝の場合驚くのだった。
「うん。しかも喧嘩も強いってさ」
「えええええぇぇぇぇ!!!!!秋さん!ホントっ!?」
「ああ、あの三人は圧倒的に強かったよ」
「へぇ、結構やんちゃしてたんだねぇ」
「創輝さんもねぇ…」
それぞれ紅茶とコーヒーを口に運びながら感嘆の声を上げる二人。
それを見て越河はコーヒーを口に運びながら苦笑しかできなかった。