第三話 ライブラリという少女
自分に宿された力をどのように使うか――何度そう考えたことだろうか(繰り返すようだが、このとき僕は、自分の異能についての理解は浅く、記憶を抹消することは知らないでいた)。か弱き女性を守るために使いたい、と考えると呼吸が自然とますます荒くなっていった。進むべき道の先には、闇しかないだろう。
僕はこのとき、高架下にいた。泣いていた。落ちていたガラスの破片に、すごくきれいな泣き顔をしている自分がいた。そのとき、僕は月村に恋をしていたんだなあという、優しい温もりが胸の内に広がった。
拙いことだった。これは僕の生きる原動力にはなりえなかった。ただ、胸の氷結を和らげるぐらいの作用はもたらしてくれたかもしれない。月村は……もうこの話はよそう。彼女には好きな人がいて、淫乱だということは知っていた(その恋人は本田であることは、二話を読めば自明だろう)。
突然胸をきりきりと痛みが走り、僕はのたうちながら、高架下であえいだ。
「たすけてくれ、たすけてくれ」
サイコロで7の目が出たときのような畏怖、と表記すれば適切なんだろうか、僕はこのときの恐怖をフィードバックすることが、うまくできない。区分求積法を忘れて、理数系の大学に行くようなものだ。
転げまわっていたら、一人の女性が駆けつけてきた。僕は頬に手を添えられ、
「大丈夫?」
と言われ、頷くと、そう油断した隙に、寝技をかけられ、手錠をされた。
「いたい、いたい」
「いたいのは分かったから、早く逃げましょう」
女性は背が高く、すらっとして痩せていて、綺麗な顔をしていた。僕はその女性の華奢な腕に担ぎあげられ、黒いセダンに乗せられた。
「今、手錠外してあげるから」
そう言って、手錠を外され、
「私は警視庁の刑事よ。あなたには、とりあえず現段階では、暴行罪で容疑が固まっている」
おかしい。暴行罪は親告罪ではないが、被害届がなければ立件不可能なはずだ。本田が僕を訴えることなど、できるとでもいうのか?
「本当はこれは超法規的なことが絡んでるの。くそ、『ライブラリ』の奴、裏切ったな!」
女性はハンドルを殴り、車を走らせた。僕の痛みが引いていった。
「私は中光紫。君は瀬文幻人くんよね。『ライブラリ』から全部聞いてるわ」
「『ライブラリ』って、誰ですか?」
「さあね、一週間前、私のアパートに現れた女。宗教の勧誘かと思ったけど、こんな若い人が勧誘にくるなんておかしいと思った。彼女は今やどうなっていると思う?」
「知りませんよ。知るわけない」
「私のアパートで居候中。もうすぐ会えるわよ」
紫さんは高速に乗り上げ、臨海副都心を走り、そして、都内某所のアパートに車を止めた。
「着いたわ。もう痛みは引いた?」
「ええ、おかげさまで」
僕はそっと車を降り、紫さんのアパートの部屋へ招きいれられた。
僕は息を呑んだ。
目の前にいるのは、エプロンドレスを纏った、紫色の前髪を切りそろえた少女。彼女は、クローゼットの上に座り、そして足元には樹木の根っこが張られていた。根っこは粘菌のように、クローゼットから、テレビ、冷蔵庫、机、そうしたものに幹を絡ませていたのだ。
「このザマよ。まあ可愛い子だから許してるんだけど」
大概にしておけ、と紫さんに言いたい。