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第九話

「じゃあ、手紙は清書できたんだ。」

「どうにか、こうにか。」フリューゲルのカウンター席で(みやこ)はため息を吐き出す。

「でもマスターが帰ってきたら、新しい手紙が来そうな気がするんですよね。」

 その言葉に、クッキーの載った小皿をサーブしていたエプロン姿の栄一郎(えいいちろう)が笑う。

「手紙っていうより、交換日記が常に飛び交ってる感じだね。」

「ああ!そういえばそんな感じかも。でも絶対的にわたしが書くの、遅いんですよね。」

「それはお友達だってわかってるんでしょ?」

「うん……無理に返事書かなくていいっていうけど……なんか悪くって……ってこのクッキー、栄一郎さんが焼いたんですか?」いつもと微妙に色が違うクッキーをつまみあげる。

「基本は早瀬(はやせ)さんのレシピだけど……試作品ってとこかな。」

「ん?」サクリと齧ると口に広がる爽やかな香り。

「何か入ってる……レモンピール……もしかして柚子ピール?」

「ご名答。」

「え?もしかして庭の柚子……とか?」

 クッキーを手にしたまま、都は背後の窓を振り返る。窓の外には早瀬家の母屋(おもや)と共有する庭があり、隣家との塀に沿った庭木の一本が柚子なのである。毎年早瀬が収穫し、ジャムや果実酒に加工しているのは知っている。

「早瀬さんに許可もらって収穫したやつ、使ってみたんだ。」

「おいしいです。ストレートティーに合いそう。あ、緑茶もいいかも。」

「なるほど。なにしろ笙子(しょうこ)さんが甘いもの食べないから、感想もらえなくて……と。」

 ドアベルの音を合図に、栄一郎はその場を離れた。

「ああ、いらっしゃいませ。外、寒かったでしょう。」

 彼の声が砕けた調子だったので、都も出入り口に目を向ける。

 と、

「みゃあちゃん!」

 突然の歓声に面食らう。

「え?あ……エリちゃん。」 

「こんにちは。」

 マクウェルが大きな背をかがめて挨拶したので、慌てて都も頭を下げた。

「こんにちは。えと……今日はお仕事じゃないですよね?」

 マクウェルは頷いた。

「エリがクリスマスツリーを見たいというので、来たんです。」

 振り返ればエリはすでに自分より背の高いツリーを嬉しそうに見上げている。

「二人暮らしでは、こんな大きいのは飾れませんから。」

「確かにそうかも。」

 都自身、母親がいたときは小さなツリーを飾っていたが、(さえ)と二人暮らしになってからは玄関先にリースを飾る程度。

「半信半疑だったが、ちゃんと見てる人はいるもんだな。」

 いつの間にか厨房からカウンターに戻ってきた竜杜(りゅうと)が感心する。

 飾り付けをしたとき、彼は「うちはクリスチャンじゃないだろう」と難色を示していたのだ。

「国民行事って納得した?」

「だからといって、他の店みたいに派手なことはしないぞ。」

「派手なことしたら、常連さんが困っちゃうよね。」

 時折店を手伝うようになって見えてきたのは、都以上に熱烈なフリューゲルファンがいるということ。多くは商店街の店主やご近所さんで、先代の店長……すなわち竜杜の祖父が店に立っていたときから、ここに通っていた人たちである。

 店主亡き後、数年の沈黙を経て店を再開したときも、彼らは当たり前のようにやってきてコーヒーを手に思い思いの時間を過ごして行った。

「でもそのときはまだ親父のコーヒーには程遠かったし……」

 何より突然休店したことで、苦情の一つも言われるだろうと早瀬は覚悟していた。しかし皆そのことには触れず「待ってたよ」と言ってくれた。

 そんな話を聞くと「やっぱりフリューゲルはフリューゲルなんだよね」と思わずにいられない。

「わたしもいつものフリューゲルのほうが落ち着くし、お店にとってもいいことなんだよね。」

「都ちゃんもそういうこと言うようになったんだ。」

「そりゃあ……」と言いかける都を竜杜が遮った。

「店に関わるのは反対しないが、学業優先してもらわないと冴さんに怒られる。」

「わかってる。それに今のわたしじゃ、役に立ちそうにないもん。」かといって、何を勉強すればいいのか、皆目見当がつかない。

「でも大学で勉強したことがすぐ役立つわけでもないし……ぼくも経営出たけど、経営者にはならなかったし。」

「でも会社行きながら絵の学校行ってたんですよね?」

「それを言ったら俺なんて畑違いもいいとこだ。」と、竜杜。

「だってリュートはお祖父さんとマスターの仕事見てるもん。立場が違うよ。」

「祖父さんはともかく、父親がカウンターに立ってるの見たのはこっちで暮らし始めてからだな。」

 それが都と出会う半年前。正式に店を手伝うようになったのは今年の連休明けからで、それからわずか半年で父親の代わりをするまでなったのは、門前の小僧というのもあるが、彼自身の努力が大きいことは都もよくわかっている。

「竜杜くん、集中がすごいからね。」と、栄一郎も認める。

「だから、都ちゃんは都ちゃんのペースでいいと思うよ。」

「真似なんてできません。」

 でも、と改めて竜杜がコーヒーを淹れる手元を見つめる。

 努力もあるが、やはり生来の器用さもあると思う。見習いから店長代理に昇格して、確実に手さばきが堂に入ってきたし、常連客いわく「親父さんと微妙に違うけど、味も合格点」らしい。

「りゅーとくん!」

 背後でエリの声がしたので都は振り返る。

「お仕事中すみません。ツリーと写真撮っていいですか?」と、マクウェル。

「もちろん。」

「わたしシャッター押しましょうか?」

 都の申し出にマクウェルは「お願いします」とコンパクトカメラを渡した。エリの「かわいくとってー」というリクエストを聞きながら、「うーん」と唸りってシャッターを押す。

「かわいいかどうかは、わかんないけど……」

「ありがとうございます。エリ、ちゃんとかわいく撮れてるよ。」

「やったぁ!おばあちゃんにおくる!」

「おばあちゃんってイギリスにいるの?」

「さっぽろー。」

「札幌。札幌って北海道の?」

 マクウェルが苦笑しながら頷く。

「亡くなった妻の両親です。」

 あ、と都は呟く。

 マクウェルが妻を病気で亡くしたのはエリがまだ二歳のとき、というのは冴から聞いた。

「去年までそちらに暮らしていたので、たくさんお世話になりました。」だから今も折に触れ、近況を送っているのだと言う。

「こんどねー、おじいちゃんがスキーおしえてくれるの。」

「エリちゃんスキーするんだ。すごいね。」

「おぼえたら、みゃあちゃんにおしえたげる!」

「っていっても東京じゃ雪降らないしなぁ……」

「都!」

 呼ばれて振り返ると、カウンターの内側で竜杜が腕時計をしきりに指していた。反射的に自分の左手に目を落とす。

「わわっ、こんな時間!教えてくれてありがと。」

「間に合うか?」

「うん、大丈夫。いつものメンバーだし。」慌ててコートに袖を通し、カバンを掴む。

「みゃあちゃんバイバイ?」

「うん、用事あるからバイバイ。ええと、時間あったら、帰りに寄るね。」

 エリに手を振ってから大急ぎで店を飛び出す。

 その後姿に竜杜はため息をひとつ。

「慌てて怪我しなきゃいいが……」


 夕刻。

(はら)さん……と冴さんもいらっしゃい。ひょっとして土曜日だけど仕事帰り?」

 足取り重く入ってきた二人を、栄一郎はねぎらいの言葉で迎える。

施主(せしゅ)さんが週末しか空いてないっていうから、打ち合わせ行ってきたの。」カウンター席の足元に荷物を置きながら冴が言った。

「ううああ……こおひぃのにほい~。」

 冴の事務所で一番若手の原がダウンジャケットを脱ぎながら鼻をひくひくさせる。

「竜杜くん、ブレンドダブルで。原ちゃんは深煎りでお願い。ちょっとしゃきっとさせないと……たく、打たれ弱いんだから。」

「だってもう、なんで今頃変更なんすかぁ?」

「よくあること。それよか無理だったら外注出すけど?」

「だってあんま金かけられない設計じゃないすか。」

「横ちゃんもスケジュール次第で手伝うって言ってるし……」

 と、カウンターテーブルに置いた携帯が震えた。

「話題の横山(よこやま)さんっすよ。」ちょっと失礼、と言って原は席を立つ。通話ボタンを押しながら店の外に出た。

「そういえば都ちゃん来た?」冴はコーヒーを淹れる竜杜に話しかけた。

「帰りにまた来るそうだ。」

 そ、と冴は呟く。

「マクウェル氏も来たぞ。」

「いつ?」冴は眉を寄せる。

「都が出る少し前。」

「都ちゃんとマクウェルさん、なに話してた?」

「何って……マクウェル親子がツリーと写真取るの手伝って……あとは世間的な話だと思う。」

「聞いてなかったの?」

「俺だって仕事がある。」

「だってずっと店にいたんでしょ?」

「客は他にもいるし、他にやることもある。」

「なんとなくわかるでしょ。」

「あのなぁ……」そこまで言って、竜杜はあることを思い出す。

「そういや……以前(まえ)、あんたの事務所で訛の強い英語の電話、受けたな。」

「なんでそんなこと覚えてんのよ!」

「図星か?確かスコットランド訛だとか……。」

 マクウェルとはずっと日本語でやり取りしていたので気づかなかったが、あのときの電話の相手と、少しくぐもった声が似ている気がする。それにあのときの会話の内容は確か……

「それ以上言ったら、怒るわよ!」キッと冴は竜杜を睨めつける。

「怒ってるじゃないか。それに話を振ったのはそっちだろう!」

「いいから!」遮る、苛立つ声。

「らしくないな。なんでそんな神経質に……」

 と、ドアベルが鳴って、安堵した表情の原が戻ってきた。

 必然的に二人の会話はそこで途切れる。

「小暮さん、横山さんヘルプオッケーです。向こうの現場、仕様決めるのが保留なんで突貫作業は年明けに持ち越しだそうです。」

「ああ、そぉ・・・それはそれで、先のスケジュールが思いやられるけど・・・」

「おまちどおさま。」

 栄一郎がクッキーの乗った皿とコーヒーの満たされたマグカップをサーブする。

「ふわぁ、いい香り。」

 原は目を細めてカップに口をつける。

「うわ、すげー深煎り。一発で目が覚める。」それに、と原はカウンターの向こうにいる竜杜に笑いかける。

「やっぱフリューゲルのコーヒーが一番ホッとするや。」 

電話云々の話は、4.5作目目の短編集にエピソードがあります。

まぁ基本的続いてる話なので。

そして次の更新も火曜日の予定です。

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