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第六十二話

「……誰だ?」

 肩で息をしながら、竜杜(りゅうと)は言った。

 黒き竜と男がコギンを空に追ってすぐ、二人は申し合わせたように校舎の陰に逃げ込んだ。

 そのときの瞬発力もだが、何より醸し出す雰囲気は普段の彼女とまるで違う。

「落ち着け。竜騎士。」

「落ち着いていられるか!都をどうした!」

「それを言うなら、お前こそ無茶もいいところだ!」

 相手は竜杜を見上げると、厳しい口調で言った。

「そのケガで、奴と渡り合う気か?お前にもしものことがあれば、残されたこの娘はどうなる?契約の力が遮られてるからといって、鈍感にもほどがある!」

「契約の力が……遮られてる?」

「互いが感じにくくなっているだろう。この娘も、そのケガは感じていなかったらしい。それと娘に危害を与えるつもりはない。しばし、この娘の言葉を借りているだけだ。」

「言葉?」

「ああ。そうでもしなければ、あやつの宿主と話をすることができん。それより先に腕を。」

 相手はそう言うと竜杜の左手を取った。

 厳重に巻かれた包帯の上から掌をかざす。

 不思議な感覚だった。暖かく、くすぐったい。痛みが遠のいていく。

 掌が離れる。

 竜杜は手首を動かしてみた。違和感は残るが、わずかな痛みしか感じない。

「多少の無理は利くはずだ。奴の力が増してるこの場では、これが精一杯。この娘のお前を案ずる気持ちに感謝するのだな。」

「お前が(みやこ)に取り憑いたのも、都がそう願ったからなのか?」

「彼女の願いと、われの要求が一致した。それと、わが友ガラヴァルの血が、われを呼んだ。」

「わが友……ガラヴァル?」竜杜は眉をひそめる。

 一族の祖にして英雄ガラヴァルを“わが友”と呼ぶ存在。考えても思い当たる名はただ一つ。

「まさか……リラント?」

「その名で呼ばれるのは久しぶりだ。竜騎士。」

「まさか……」竜杜は信じられないという風に首を振る。

「本当にリラントなのか?なんで銀竜じゃなくて人間に取り憑く?」

「言ったであろう。言葉を借りたと。ところで教えろ。お前の道標はなにを守っている?」

「フェスのことか?」

 名前を呼ばれたフェスが目の前に降りてきた。

「いま黒き翼が追いかけてる欠片は渡してくれたが、何や持っている物は頑として見せようとしない。」

「万年筆は、都に渡すつもりだったからな。」

 それをフェスに預けたにすぎない。だがフェスが首に巻いている物は一族の命運をかける物と言っても過言ではない。

「だから誰にも渡すなと、俺が命じた。」

 竜杜はフェスの首に巻いた布をほどくと、中にあった石を相手に差し出した。

「あんたの瞳の欠片。小ガラヴァルが聖堂に安置してたものだ。」

 相手は目を細めると、手にした石を空に向かってかざす。

「まだわれの力が残ってるな。使えそうだ。黒い翼が記憶を取り戻せば、再び封じるのも難しくないだろう。」

「記憶?」

「奴が捜し求めていたもの。今の奴は、己の名前すら失っている。」

「名前?黒き竜に名前なんて……それにどうやって記憶を取り戻す?」

「いま、奴が追いかけている欠片に、奴の記憶の一部が残っている。黒い翼があれほど貪欲なのは、それを心底欲しているからだろう。それより気がかりなのは、あやつの中にある別の魂。道標が届けた声に反応したそうだ。名はアン。アン・マーギス。」

 えっ!と竜杜は目を剥いた。

「マーギス司教の姪?どうして?」

「司教とは、ルァ神の司祭の階級か?」

「ああ。」

「となるとその娘、巫女か?」

「大地を歌う次女の末裔だ。」

「なんだと?」

 相手の顔色が変わる。

「あのときと同じではないか!」


 助手席のドアを開けた波多野は、上半身を乗り出して空を見上げた。

 日も暮れ、しかも雨が降っているので暗いのは当然だが、校庭の上に禍々しい闇を感じるのは気のせいか。

「なんか……ヤバくないすか?」

「かなりヤバイことが起きそうだねぇ。」

「って、悠長なこと言ってる場合じゃないすよ!」

 振り返った波多野(はたの)に、運転席の栄一郎(えいいちろう)は険しい表情で首を振る。

「携帯も繋がらない。」

「マジ?」

「かといって下手にうろつくと職質されそうだし……」

「そういう心配すか?」

「行っちゃだめだよ。」

「でも……」

 諦めきれない波多野に栄一郎は言った。

「竜杜くんと都ちゃんに何かあったら、最後の最後で助けられるのは僕たちだけなんだ。僕たちは、最後の砦だって忘れないように。」

「……」

「気持ちはわかるけど、とにかく今は待つんだ。」


「カルル、あなただけ出てきたの?」

 エミリアは、調理場の片隅の机に鎮座してる銀竜を覗きこんだ。

「そうです。」

 と、カルルの代わりにケィンが応える。

 顔を上げると、傍らに付き添っていたイーサも頷いた。

「調理場の扉の前に座ってたんです。」

 イーサがたまたま見つけ、それを知らされたケィンが慌てて調理場に入れたのだと言う。イーサがエミリアに事の次第を報告しに行ってる間に、かろうじて水だけ飲んだらしいが……。

「食べるのはいらないって。おなかが減ってるはずなのに……」

銀竜(ぎんりゅう)は多少食べなくても大丈夫だけれど……」

 それでもカルルは古参の部類なので気にかかる。

 エミリアがため息をついたそのとき。

 “奴は再び罪を犯すつもりだ。”

 突然、カルルが声を発した。

 “罪?”

 ケィンが目を丸くする。

「リュートさまとミヤコさまの声!」

「ええ。」

 しかしそれがただ事でないことを、エミリアは瞬時に感じ取った。

 イーサに庭師を大急ぎで呼んで来るよう指示すると、ケィンに「しっかり聞いていて。」と言った。

 声が続く。

 “神をも越えた行い。それゆえに、奴は己を失った。”

 “だから、いったい何をした?”

 “門。”

 “え?”

 “新たな門をこじ開けたのだ。一時、己に与えられた力によって。”


 ボナウン・アデルとセルファ・アデルは顔を見合わせた。

 “門を作るなんて……聞いたことないぞ。”

 “許されることでないのは明白だ。”

「これは……」アデルが唸る。

 ええ、とセルファも頷いた。

「向こうの世界で、今まさに交わされてる会話ですね。」

 二人は父親の執務室で、遅れた仕事の調整をしていたところだった。

 傍らにいたルーラが突如声を伝えたとき、セルファはそれがリュートと都の声だとすぐに気づいた。

 しかしそれにしては、どこかおかしい。なにがおかしいのかと、じっと耳を傾ける。

 “そのせいで、多くの同胞が犠牲になった。それに本来の門を安定させるのも大変だった。”

 “門に影響が出るのか?”

 “出さないために、われが呼ばれたのだろう。”

 “ってことは、あんたならどうにかできるんだな?リラント。”

「リラント?」

「まさか!」

 アデル親子が声を上げる。そして顔を見合わせた。


「おいおい、一体なにが起こってるんだ?」

 議長の秘書官に先導されて部屋に入ったダールに、皆の視線が一斉に向く。

 一瞬ひるみながらも、ダールは人垣の中央に銀竜がいることに気がつく。それを取り巻くのはアニエと長老、それを補佐するフィマージ父息子、そしてガイアナ議長とマーギスとヘザース夫婦。傍らにケイリー書記官が構えているのを見ると、今回の一連の出来事を聴取していたのだろう。

「失礼します!」

 ダールの背後で覚えのある声がした。

「カゥイどのをお連れしました。」

 そう言って会釈したのは警備のラダン。

 その隣ではダールと同じように理由も告げられず連れ出されたのだろう。トラン・カゥイが目を丸くしている。

「何があったんですか?」

 しかしその疑問はマーギスの「静かに」という言葉で遮られた。

 議長が口早に言う。

「ラダン、きみは外で誰も近づかぬよう見張っててくれ。二人はこちらへ。」

「レイユ……」

 中央にいたのは司教の銀竜だった。

「バセオが公安の検分に立ち会うので、避難がてら連れて来たんです。それが突然……」

 “門番の子にして竜騎士。”

「ミヤコの声じゃねーか。」

 “お前はなんのために、ここにいる?”

 一瞬の間。

 “あんたの瞳が黒き竜の再来を告げた。だからそれを封じるために……”

「リュート……ですね。」

 トランの言葉にアニエが頷く。

 “だが、失敗した?”

 “あんたなら、聖竜リラントなら奴を封じることができるのか?”

 リラントの名にダールとトランは顔を見合わせた。

 同時に理解する。

 向こうの世界で何かが起こっていることを。そしてリュートと都がそれに関わってることも。

 “それがわれの役目。われの血筋がこの世界にある理由だ。ただ、このままでは問題がある。”

 “問題?”

 “黒き翼だけなら小僧の体から追い出せばいい。だが巫女の魂は本来向こうのものだ。”

 “どういうことだ?”

 “呪術使いが、新たな門を作るため、力の源として道標として送り込んだ魂。それをこちらに残せば、また新たな怨恨となりうるだろう。”


「トーアはいったい何を言ってるの?」

「リィナ。落ち着きなさい。」

「だって……」

 母親にたしなめられるが、リィナリエ・ダールは泣きそうな顔をする。

 さっきまで、ごく普通に別れの挨拶を交わしていただけなのに。ネフェルと再会を約束し、ヘンリエータと銀竜の話をしていた。

 そこに突然友人とその婚約者の声が聞こえてきたのだ。銀竜が……トーアが声を伝えてくれることは知っている。けれど明らかに伝言ではないし。おまけに話の内容がさっぱりわからない。

 にもかかわらず両親も、銀竜の主人であるハンヴィク父娘も、それに親友の祖父、オーロフも取り乱すことなく、むしろ銀竜の声にじっと耳を傾けているではないか。

 ふと、リィナは横を見た。父の後ろに控えてるはずの弟のショウは、この最中に紙とペンを持って何かを一心に綴っている。

「若い人たちは外へ出たほうがいいかもしれんな。」

 リィナの取り乱しようにオーロフが言った。

 けれどすぐにネフェルが首を振る。

「その必要ないわ。」

 彼女は立ち上がるとリィナの傍らに来て、彼女の腕に触れた。

「私、傍にいるから。怖いことなんてないから。」

「ネフェル……」

「よくわからないけど、聞かなければいけない気がするの。」

「わたしもそう思う。」

 そう言ったのはヘンリエータだった。見えない瞳を老オーロフに向け、

「きっと大切なことだと思うの。だってオーロフのおじさまとダールのおじさまは、リュートが何を言ってるのか、これが一体何なのか、わかってらっしゃるみたいだし。」

「本当なの?お祖父さま。」

 ああ、と老オーロフは頷く。

「だがその話はあとだ。」

 銀竜が声を伝える。

 “なら、巫女の魂も追い出せばいいだろう。”

 “簡単に言うな。それともお前は彼女の消息を知っているのか?”

 “いや……十四年前から行方不明だとしか……”

 “おそらく、身体はとうに失われてるはずだ。”


 ハッ、と早瀬(はやせ)は顔を上げた。

 マーギスの顔が脳裏をよぎる。

 “それでもなお生き続けるのも、大気を乱すものたちの術なのだろう。ああ……そうだな……”

 “なんだ?”

 “黒き翼と共に、向こうの世界へ戻してやることはできぬか……といわれた。”

 “都が?そんなことできるのか?”

 “わからん。”

 “あのなぁ!”

 “われは呪術者ではない。”

 “聖竜と呼ばれてたんだろう?”

 “あれは地上の民が勝手に呼んだだけだ。言っておくが、ガラヴァルとて自分から英雄とは名乗ってないぞ。しかしそうだな……できる限りのことはしてみよう。”

 “頼む。”

 “ならばアルラの子、今一度われに手を貸せ。”

「アルラの……子だって?」

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