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第五十九話

「そう、そんなことが。」

「おれが聖堂(せいどう)にいりゃ、リュートのケガは防げたかもしれない。」

  いいえ、とエミリアは首を振る。

「誰も予想できなかったのでしょう。それより、結局あなたを協力者にしてしまったわね、オーディ。」

 ダールは肩を竦めた。

「親父のやってたことを引き継いだだけだし、いまさらリュートの援護に回るくらい、なんてことない。」

 リュートを見送ったあと、オーロフと簡単な打ち合わせをした彼は竜を繰ってここ、ラグレス家へやって来た。いつものように通された図書室で、彼はガッセンディーアと聖堂で起きたこと、傷を負ったリュートが早瀬(はやせ)の家に戻ったこと、そして自分が門を見張る役目を引き継いだことを報告したのだ。

「ガイアナ議長には、オーロフの御大が報告するそうです。」

「オーロフのおじさまには長いこと迷惑をかけてしまった。それに……いつかネフェルにもハヤセの家のこと、言わなくてはいけないのでしょうね。」

「そんときゃそんとき。おれも釈明しますよ。リィナの奴にも、いずれ言わなきゃならないんだろうし。」

「面倒をかけるわね。」

「それも付き合いのうち。お?」

 タイミングを見計らったかのように料理人が大きな皿を持って部屋に入ってきた。

「どうぞ」と言いながらテーブルに置いたのはケィン特製の軽食。

「夕べから働きっぱなしで腹ペコだったんだ。」

「まだありますから遠慮なく言ってください。余ったら包みますから。リィナリエさまが聖堂にいらっしゃるなら、焼き菓子もお包みしましょうか?カゥイ先生も聖堂にいらしてるんですよね。」

「トランだけじゃない。ガッセンディーアの司教どのも待機してる。」

「じゃあリュートさまが言ってた銀竜(ぎんりゅう)も?」

「司教どの銀竜はアデル商会の倉庫に待機してる。」

「倉庫……ですか?」

 ケィンが首をかしげる。

 ダールは、不安定極まりない神舎(しんしゃ)に近づけないよう、司教自らがそう指示したのだと説明した。

「だいぶ落ち着いたが、同胞すら飛ぶのを嫌がってたからな。古い時代の生き物が、どんな影響を受けるかわかったもんじゃない。」

「うちの銀竜たちも影響を受けてるんでしょうか。」

 ダールは顔を上げた。

「銀竜に、なにかあったのか?」

「見ればわかるわ。」

 そうエミリアが言った通り、腹ごなしを終えたダールが見たのは、奇妙な光景だった。

 真っ暗な部屋の中、時折カサカサと身じろぎする音だけがする。けれど肝心の銀竜の姿が見えない。いつも真っ先に出迎えてくれるカルルの姿すら、ない。だが確かに、小さな白い竜たちが息を潜めている気配を感じる。

「こりゃあ……妙だな。」

「やっぱりそう思いますか?」

 案内してくれたケィンがダールを見上げる。

「カズトさまにも報告したんですけど、お返事がなくて。いつもはすぐにお返事くれるんですよ。そのせいか、エミリアさまもなんだか落ち着かないみたいだし……」

 不安げな料理人に、ダールは「大丈夫だ」と頷く。

「同胞がちゃんと飛ぶようになったんだ。大気が落ち着けばこいつらも出てくるだろう。」

 言いながら、念のため議長に報告しておくか、と心の内で呟いた。


 男の声が不思議な音を唱えた。

 ガッセンディーアの下町にある安宿の一室。

 明け方、公安が神舎を奪回した知らせを聞いた赤毛の男は、そのまま椅子の上で眠りに落ちた。仮眠から目覚めると「さて、」と呟きながら寝台の傍らの机の上に灯りを灯した。香も焚きたいところだが、壁の薄い安宿では苦情が来そうだと断念する。

「本当にやるんですか?老師さまが捕まったのに……」

 彼に付き添っている年若い男が不安げな顔をする。

「最初から想定してた、と言っただろう。それより伝承の再現に立ち会えるなんて、名誉なことだぞ!そうそうあることじゃない。」

 わかりました、と頷く。

「それで先生、自分はどうすれば……」

「見張っててくれ。誰か来たら、神舎が封鎖されてるのでここで祈ってる、と言えばいい。」

 所詮、公安連中に祈りの違いなんてわからないのだからと言った。

 そして目を閉じると、言葉を口にした。


大地(だいち)くんも出ないね。」

 首を振って、早瀬は電話の子機をテーブルに置いた。

 その向かいで、竜杜(りゅうと)(みやこ)がコギンに託した古い万年筆を検分している。

 母親の形見と信じて疑わなかった彼女が、お守り代わりにペンケースに入れてるのは知ってたが、こうして手に取ってじっくり見るのは初めてだ。

 男性サイズの太目の軸は黒に近いグレー、そしてキャップの先端に透明のカットガラスが埋め込んである。

「竜の石……リラントの瞳なのか?でも無色透明は見たことがない。」

「最初に都ちゃんが狙われた理由、これだったりして。」

 後ろから栄一郎(えいいちろう)が覗きこむ。

「まさか。」

「でもこれ、守り石になるんだよね?都ちゃんが竜騎士の末裔だったら、持ってて当たり前だと思ったかもしれない。」

(さえ)さんすら知らなかった都の出生を、どうして奴が知る?」

「人と竜では感じるものが違うから、何か手がかりになる感覚があったのかもしれない。」

「父さんまで……」

「あくまで仮説だ。しかし守り石が役目を果たさないのは、穏やかじゃないな。」

「これ、元々は一つの石だったんですよね?」

 自分は絵本作家だから信憑性のない想像しかできないが、と栄一郎は前置きする。

「たとえば封じ込められた黒き竜の魂が、石と一緒に分割された。この中にその一部が宿ってて、彼はそれを取り戻そうと躍起になってる……っていうのはどうでしょう。たとえば、とてつもないパワーとか。」

「その線だと、石そのものに残留したリラントの力が欲しい、というのも考えられるな。」

「どっちでもいいが、それを得て、奴はなにをしようってんだ?」

 中年男二人が立てる仮説に、竜杜は苛立つ。

「本能に従うとしたら……戻る、かな。今うごめいてるのは、魂だけの存在なんだよね?」

 確かに。竜は門を通ることができず、魂だけがこちらの世界に放たれ暴れたと言い伝えられている。

「しかし大昔の話だし、奴の体だってとうの昔に失われてる。」

「封じ込められた時点で時間が止まってるとしたら?長い時間が過ぎたことも、体がないことも知らないかもしれない。」

「自分の身体が、今も向こうの世界にあると思ってる?」

「ぼくが物語を作るとしたら、そうするかな。」

「となると、やっぱり黒き竜は門……ここを探し回ってるのか?」早瀬は腕組みして唸った。

依代(よりしろ)の思惑はまた別でしょうね。」

 互いの存在を自在に交代できるなら、考えも目的も違うはずと栄一郎は言う。

「だとすれば、あいつの目的は俺だ。俺とフェスに痛めつけられた仕返しを狙ってるんだろう。」

 あれだけ思わせぶりに気配を出せば予想がつく。

 恐らく恋人はそのための囮。

「わからないのは、神の影を敬う連中の狙いだな。」早瀬はため息をついた。

「トランの仮説どおり、黒き竜に力を与え、こっちを覗き見するのが目的とはとうてい思えない。」

「同感だ。」

 言いながら竜杜は左腕に触れた。この傷を負ったとき、サーフスは確かに言った。

「門番一人いなくとも困らない」そして、「神になるのは我々だ」とも。

「サーフスが連中と結託してる証拠はない。だが父さんとマーギス司教の会談に公安巡査を送り込むなんて、一族の議員が考えつくことじゃない。」

「あれ、やっぱりそうだったのか。確かあの巡査は南の出身だと言ったな。それにショウライナに護符を渡した先生も、南か。」

 ショウの件と赤毛の男の件は、聖堂に移動する前の報告で伝えてあった。

「南がキィワードか。神舎を乗っ取った連中の正体がわかれば、もっとハッキリするんだろうね。」

「その神の影の信奉者って、こっちに大挙してくるつもりなんでしょうか?」と栄一郎。

「門の出入り口は、気軽に通れるところじゃない。」

「それはそうなんだが……うん?」

 和室から銀竜の声がした。

 見ると座布団の上にコギンが座っていて、傍らで、フェスがしきりに喉を鳴らしていた。

 すぐさま早瀬がコギンの身体を点検する。

「うん、羽根も大丈夫だしケガもない。コギン、僕がわかるね?」

「くわ!」

 竜杜が水の入ったそば猪口を置くと、コギンは顔を突っ込んで物凄い勢いで水を飲んだ。飲み干すと、やっと目が覚めた、と言わんばかりに羽根をばたつかせて身震いする。そうして竜杜に向かってぎゃあぎゃあと声を上げる。 

 その様子を竜杜はじっと見る。そして……

「やはり、あいつか!それに大地も一緒なんだな?」

「ぎゃう!」

 微かな舌打ち。

「フェス!」

 竜杜の声に応えたフェスが首を伸ばした。首に巻かれた布を解くと、中から出てきた小さな石に、早瀬はハッと息を呑んだ。

「それ……まさかリラントの瞳の欠片、なのか?」

 目にするのは初めてだった。

 しかも本来なら透明な緑の色のところに、ところどころ赤い色がインクのように滲んでいる。

「長老から預かった。」

「しかしこれは穏やかな状況じゃないな。赤い色は、黒き竜が現世で動き回ってるバロメーターみたいなものでね。」

「でも、綺麗……ですね。」栄一郎が感嘆の声を漏らす。

「バロメーターってことは、やっぱり封じ込められた魂の残留思念なのか……って竜杜くん?」

 突然部屋を出て行った竜杜に、栄一郎は目を丸くした。やがて戻ってきた彼はウィンドブレーカーを羽織っていた。そして手には革のグローブとヘルメット。

「そのケガでバイクなんて無茶だ!」

「大したことない。」

 竜杜は再び石を包んでフェスの首に巻きつけた。

「コギンが都の居場所を案内すると言ってる。そこに、あの男もいる。」

「だとしても、今の状況は不利だ!」

 竜杜は和室に置いてあったダール家の印が入った短剣を、ジーンズのベルトループに差した。

「奴らが門を探してるとしたら、それを阻止するのは門番の後継者として当然だろう。父さんはここで守っててくれ。」

「言われなくとも、そのつもりだ。これも持って行け。」

 早瀬が差し出したのはコギンが運んできた万年筆

「栄一郎さんの説を信じるなら、これが必要になるはずだ。場合によっちゃ取引に使えるかもしれん。」

「取引に応じる相手と思えないが……」

 それでも受け取ると、シャツの胸ポケットに挿した。

「フェス!コギン!行くぞ!」

「うぎゃ!」

 竜杜が玄関に向かうと同時に、銀竜たちは早瀬が開けた縁側の掃き出し窓から外に飛び出した。

 すかさず栄一郎も上着を掴む。

「ぼくも車で追いかけます!」

「えっ?」

「連絡入れますから!波多野(はたの)くんと都ちゃん、必ず連れて戻ります!」

 叫びながら飛び出していく栄一郎を、早瀬はあっけに取られながら見送る。

 我に返ってため息を一つ。

「これは……宮原(みやはら)に先に謝っておくべきだろうなぁ……」

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