第五十八話
「目を回してるだけ。大丈夫だ。」
早瀬はコギンを座布団の上に寝かせると、身体に縛り付けてあったマフラーを解いた。
「守り石は都ちゃんがつけたのかな?それにペンケースと手紙?」
覗きこんだ栄一郎が「あっ!」と声を上げる。
「昨日、届けた手紙!」
「じゃあ例の?」
「ぼく、電話してみます!」
栄一郎はジーンズのポケットから携帯を引っ張り出すと、縁側で耳に当てた。
その隙に、竜杜は父親に詰め寄る。
「手紙って何の話だ?」
「マクウェルさんが彼の親友から預かった手紙。本当なら都ちゃんのお母さんに渡すものなんだけど、いないから都ちゃんに渡したんだ。」
「要約するな!」
「あとでちゃんと説明するよ。先に中身の確認だ。」
早瀬はペンケースのジッパーを開いた。
「定規に消しゴム……それに万年筆。」
「それしかないのか?」竜杜が眉をひそめる。
いつも入っているラインマーカーやシャープペンシルの類が一切見当たらない。
違和感。
栄一郎が戻ってきた。
「都ちゃんの携帯と家に電話したけど、出なかった。冴さんの携帯も通じなくて、事務所に聞いたら今日は在宅扱いになってるって。」
「俺がいない間に何があった?」
「竜杜……おまえ、向こうの世界で彼女のこと感じてたか?」
「一瞬、嫌な感じがした。だから声を送ったが返事はもらってない。その後は、何も感じなかった。」
「今も、か?」
「こっちに戻ってから大気が重すぎて五感が鈍ってる。それに……」
竜杜は氷を巻いた左腕に触れる。ラダンの言うとおり、痛みのせいで判断力を含めた感覚が鈍ってるのは否めない。
早瀬は「なるほど」と呟く。
「トランの言うことは正しいかもしれない。マーギスの忠告によれば、神舎を占拠した連中は、“こちらの世界”に対して呪術を使った可能性がある。その呪術を使う連中が崇拝してるのは神の影。影が力を増すのは影の月が光を増すとき。だがそれは、お前やオーディがカーヘルの神舎で阻止した。」
「神の影……影の力ってことは、夜も同じ扱いでいいのかな?」
話を聞いていた栄一郎が、思案顔で呟く。
「だとしたら、冬至。」
「え?」
「だから今日、冬至。北半球限定だけど、一年で一番昼が短くて夜が長い日。つまり影が優勢の日。」
―神の影を敬う連中は、黒き竜の魂を宿した男と何らかの形で繋がってる。
マーギスの台詞が耳元で蘇る。だとしたら……
「連中は夜の長いこの日を狙って、わざと呪術を使った?」
「素人考えだけどね。でもそのせいで影の力が強くなって、契約関係にある二人の間を妨害してる、って可能性もありそう。」
「一理あるかもしれない。」早瀬が唸る。
「幸いフェスもコギンも影響がないようだが、エミリアから届いた話だとラグレスの家の銀竜たちが怯えて部屋から出てこないらしい。」
「母さんから、連絡あったのか?」
珍しい、と竜杜は驚く。それに、銀竜の引きこもりがいっそうひどくなったことが気にかかる。
「確かに同胞も飛ぶのを嫌がってたが……」
「銀竜は聖竜リラントの自らの身を削って作り出したとも言われてる。言い伝え半分としても、同胞以上に影の力を感じてるのかもしれない。それと契約相手の命に危険が及べば、まず相手も正常でいられない。お前がそれを感じてないうちは、都ちゃんも無事だ。せめてその間に、彼女が我々に何を託したか解読するんだ。」
あれ?と栄一郎が眼鏡を押し上げ、手紙をひっくり返す。
「この手紙、開封されてますね。夕べぼくが渡したときは未開封だった。ってことはこれを読んで、それを早瀬さんに見せようとした?」
どれ?と封筒を受け取った早瀬は、中の手紙を取り出した。万年筆で書かれた癖のある字を目で追いかける。
髭をなでながら「ああ」と何かを理解する。顔を上げると「なるほど」と頷いた。
「普通の人には他愛ない話だが、我々には需要な内容だ。読むよ。」
そう言って早瀬は手紙を読み始めた。
「愛しいきみへ。きみがこれを読むとき、私はこの世にいない。もしかしたらこの手紙が目に触れることもないかもしれない。それでも可能性を信じて、これを書いている。
私は日本で生まれてドイツで育った、自称、日本人。父方の祖母がドイツ人で、両親を亡くした私を引き取ってくれたのが、その末の妹の大叔母だった。だから途中までは日本人、最終的な国籍はドイツなんだ。
教師だった大叔母は私にたくさんの愛情と、たくさんの古い物語を教えてくれた。大半は寓話集に載ってるような話だけど、中にはとんでもない話もあって、それがうちのご先祖にまつわる物語。
大昔、ご先祖は竜の背に乗って空駆ける騎士で、善き竜と一緒に悪い竜を退治したそうだ。絵に描いたような物語だろう。
実際、きみのお母さんは笑ったよ。私の実母が平家の落ち武者の末裔、というほうが信憑性があると言われた。
でも私は、どちらの話も信じてる。だってそのほうがエキサイティングでロマンティックだと思うから。ご先祖が竜に乗って空を駆けていたなんて、想像するだけで楽しいからね。
そこできみにお願いがある。
私が大叔母から引き継いだ「竜の石」を、きみに引き継いで欲しい。
遠い昔、ご先祖が悪い竜を封じ込めたといういわくつきの石。もっとも今は、万年筆になりすましてるけど。これはイギリスとの戦争中、持ち運びやすいように、隠しやすいようにそうしたと聞いてる。それもまた、ミステリアスだろう。
でも、こうやってきみにお願いするべきかどうか、まだ悩んでる。
だってきみとは会ったこともないし、これから会うこともない。だけど私がいなくなったら、継ぐのはきみしかいない。
つまりこれは遺言だ。
My Dear douter.
この前の手紙で、きみが女の子だとわかったから遠慮なく呼べる。絶対そうだと思っていたから、すごく嬉しい。きみの名前はもう伝えてある。気に入ってもらえるように、一生懸命考えた名前。心残りはそれを呼べないこと。だから願っている。その分、たくさんの人がきみの名前を呼んでくれることを。
愛しくも大切な娘へ。」
早瀬が顔を上げる。
「手紙の日付は十八年前の八月。差出人は津川桂馬。そして宛名は!木島朝子。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」竜杜は額を押さえた。
意表を突かれ、混乱する。
「都の母親宛てって……それはつまり……」
「マクウェルさんが言うには、津川桂馬というひとが都ちゃんの父親らしい。もっとも証拠と呼べるのは、今のところこれしかないらしいが。」
「それ、都に言ったのか?」
「マクウェルさんが告白したんだけど、その直後に都ちゃん、熱出してダウンしたんだ。」
それが昨夜のことで、栄一郎は彼女の様子を伺いがてらマクウェルから託された手紙を届けたのだと話した。
それは恐らく、自分が彼女の不安を感じ取ったとき。唐突に言われて、彼女が混乱したことは想像に難くない。
「どうして俺に知らせなかった?」
「都ちゃんが知らせるなと言ったんだ。お前がそれどころじゃないのを、薄々感じたんだろう。」
わかってる。
彼女なら、きっとそう言うだろうということを。
「しかし手紙を読んだということは、体調も落ち着いたんだろうか。」
「そういう問題じゃないだろう。」
「彼女を感じないのが不安か?」
「当たり前だ!」
「言っとくが、その現象はお前だけじゃない。」
えっ?と竜杜は驚く。
「契約相手との繋がりが感じにくいのは、僕も同じだ。そう考えるとあながち栄一郎さんの素人考えもバカにできん。」
「父さんは……それで不安じゃないのか?」
「エミリアなら大丈夫。なにしろ齢十三で一人で竜を繰ってフリューゲルに来たような女性だからな。それに、僕はエミリアを信じてる。」
聞くんじゃなかった、と竜杜は頭を抱えた。
その様子に栄一郎は苦笑しつつ、
「でも早瀬さんの言うとおり、今は都ちゃんを信用するしかないと思う。大丈夫。最近の都ちゃん、逃げ足速いから。それにしても手紙の話、興味深いですね。」
「まったく。」と早瀬は同意する。
「竜騎士に善き竜、そして悪い竜に竜の石。絵に描いたような物語だが、見事な符合だ!」
「その線で考えると、都ちゃんは竜騎士の血を引いてるってことか。だとしたら契約が成立したのも納得だね。」
「あ……」
「竜杜くん、ずっと理由がわからないって言ってたけど、それって立派な理由だよね……と、」
傍らに置いてあった栄一郎の携帯が震えた。
「冴さんだ。」
そう呟いた栄一郎より先に、竜杜が携帯を取った。
「コギンならここにいるぞ。」
「竜杜くん?戻ってたの?」
通話の相手に、冴は驚いた。しかも相手はいきなり本題に入る。
“コギンが津川桂馬の手紙を持ってきた。あんたはあの手紙、読んだのか?”
「開封されてるの?」
“されてる。”
「そう……都ちゃん、読んだのね。あたしは読んでない。」
“本当に都の父親なのか?”
「ほぼ間違いない。朝子の遺品にも同じ人からのエアメールがあったから。写真は今、三芳さんが探してる。それと専門学校時代の朝子の教え子が、酒の席で一度だけ話を聞いたそうよ。」
冴は三芳がかつての仲間から聞きだしたという話を思い出す。
「その専門時代の友達が失恋したときに、酒の席の流れでそんな話になったらしいす。結婚したいと思ったのは後にも先にもその一人。なのに世の中上手く行かないもんだってぼやいたらしいですよ。」
「なぁんでそのボヤキがこっち来ないのよ。」
「そりゃー木島先生しかわかんないすよ。あ、でも……」
「なによ。」
「そいつが言うには、家族に心配かけたくないから今の話内緒にしてって念押しされたらしいです。」
よけいな事を……と思いつつ、親友のデリケートな一面を思い出す。
そんなこんなで二時間ほど不在にして戻ってみれば、大人しくしているはずの都の姿がどこにもない。
「フリューゲルに行くってメモがあったからてっきり……なんでコギンだけそこにいるの?」
“手紙を持って飛んできた。都がそうしろと命じたんだろう。マクウェルは……最初から手紙を渡すのが目的で都に近づいたのか?”
「ええ、そう。」
“あんた、知ってたんだな?”
「けん制してたわよ!竜杜くん同席の上で話してくれって再三言ったのに、痺れ切らしてフライングされたの!」
“津川桂馬って男、都が生まれる前に死んだのか?”
「病気治療を終えたら、日本に来るつもりだったみたいだけどその前に……。身寄りがいなかったからマクウェルさんと、もう一人のお友達が遺品の整理して、手紙はずっとマクウェルさんが持ってたんですって。」
“やっと話が見えた。都が何時ごろ出たかわかるか?
「そんな経ってないはず。」
一瞬の沈黙。何かを堪えるような声の後、
“……近所を探してみる。”
その言い方が気にかかった。
「ちょっと!」
“なんだ?”
「ひょっとして、どっか具合悪くしてない?そっちまで無理したら、都ちゃんよけい心配するでしょ!」
“あんたに言われる筋合いはない!”
通話が切れる。
はぁ?と冴は携帯に向かって悪態をつく。
「心配してるのに、そういう言い方……ていうか、図星さされてムキになるんじゃないわよ!」
冴は別の番号を呼び出すとコールした。
冴との通話を切った竜杜は、その足で自室に戻った。不自由な手でジーンズに着替えて居間に戻ると、普段は敬遠する痛み止めを自発的に水で流し込む。
「冴さん、心配してたよ。」
受話器を置いた早瀬が呆れ気味に言った。
「向こうが一言多いんだ!」
和室に戻ると、栄一郎がマフラーの隣に投げ出したままのストラップを手に取っていた。
「さっきから気になってるんだけど……コギンに縛りつけてあったやつ、どこかで見たような気がするんだよね。ビールメーカーのノベルティかな?」
栄一郎の言葉に竜杜はハッとなる。
「栄一郎さんそれ……もしかして大地のじゃ……」
「波多野くん?そういえば、こんなのしてたような……」そこまで言って栄一郎も気がつく。
「ええと、じゃあ都ちゃんは波多野くんと一緒にいるってこと?」
その状況が示すのは……
「二人揃って何かに巻き込まれた?」




