第五十七話
「やっと人が切れましたね。」
バイト姿の宮原栄一郎の言葉に、客を見送った早瀬も同意する。
なぜか本日はランチタイム前から満員御礼。早瀬は厨房とカウンター業務で、栄一郎は接客業務でてんてこまいだった。
「なんだか忙しくて申し訳ないね。」
「普段引きこもりだから、ちょうどよく楽しんでますよ。」
「ならせめて、今のうちに休憩してください。」
「じゃあお言葉に甘えて……」
そう言って店の奥に向かった栄一郎が、ふと足を止める。
じっと耳を澄まし、首をかしげた。
「早瀬さん。何か音が聞こえませんか?こう、引っかくような。」
「えっ?」
早瀬は店内に流しているステレオの音量を下げた。
耳を凝らすと、確かに何かが扉を引っかくような音。そして……
“うぎゃあ!”
二人は顔を見合わせる。
「銀竜?」
「まさかフェス?」
次の瞬間、二人は店の奥にある扉にダッシュした。
バタン!と勢いよく扉を開けて目に飛び込むのは、ロッカーと掃除道具。
更にその奥にある、地下に続く扉に手をかけ開く。
と、白い物が早瀬めがけて飛んできた。
「うぎゃあぁ!」
「フェス?」
「早瀬さん!竜杜くんが!」
早瀬が目を向けた先にあったのは、階段の途中に引っかかっている息子の姿。
早瀬は銀竜を栄一郎に預けると、竜杜に駆け寄った。
「竜杜!聞こえるか?」
うっすらと目が見開かれる。
身体を起そうとして、辛そうに呻く。
「大丈夫か?」
「父さん?そうか……戻ったのか……つっ……空気が重い……」
思うように動かない身体に苛立った竜杜は、拳で階段を叩いた。
あっ!と栄一郎が声を上げた。
「ぼく、店を閉めてきます。臨時休業でいいですよね!」
「ああ、頼む。」
一体何が起きたのか?すぐにでも聞きたいのをぐっと堪えて、早瀬は肩を差し出した。
「立てるか?」
肩で息をしながら、都は路地の壁に持たれかかる。
隣で波多野も壁に手をついて、深呼吸している。
「波多野くん……ありがと……」
「じゃなくて……あれ、すげーヤバイぞ!」
「わかってる!」
はぁ?と波多野は目を丸くする。
「わかってるから、もう一つだけお願い!防犯カメラとかなくて、空に近いオープンな場所どこかない?」
「隠れるにしちゃ不利だろ。」
「いいから!」
「理由は?」
「後で説明する!」
波多野は身体を起すと、ついてこい、と手招きした。
「この辺……あんまり来たことない……」
「中学の学区も違うからな。うちはホラ、配達でけっこう来るから。」
路地の多い住宅地を、波多野は迷わず進んでいく。
ある古いマンションの足元に来ると、迷わず外階段を上りはじめた。
「い、いいの?」
「言い訳はあるから大丈夫。」
そう言って最上階の五階まで上っていく。
屋上は入れないようになっているが、手前の踊り場でも充分高さがある。それに手摺がコンクリートの壁で、外から見えないのも好都合だった。
「たぶん今授業中だから、このフロアの人、出てこないはず。」
「塾?」
「珠算教室。中学んときまで通ってた。」
波多野の説明に納得した都は、カバンを床に降ろした。
波多野を見上げ、
「波多野くん。これから見るもの、誰にも言わないで!」
「そりゃ……」
「後で全部説明する。でも今は時間ないから!」
いつになく切羽詰った幼馴染の様子に、さすがの波多野もただ事でないと感じる。
「ぜってーだぞ。」
「約束する。」
都は頷くと、カバンから封筒とペンケースを引っ張り出した。巻いていたマフラーをほどいてくるむと、もう一度カバンに手を入れた。
そうして引っ張り出したものを見るなり、波多野は「うぉっ!」と声を上げた。
その声に構わず、都は銀竜の肩から反対の羽根の付け根に斜めになるようにマフラーを巻いてきゅっと縛る。
抱き上げて、金色の瞳を覗き込む。
「コギン、急いでフリューゲルに届けて欲しいの。結界はすぐそこだから、大丈夫だよね?」
「ぎゃう!」
「鳴いた!」
金色の目がきょろりと自分を見たので、波多野は思わず後ずさる。
「生もの?てか、これ、何?」
「銀竜。」
「りゅう?」
「だから後で説明する!えと、もう一つ縛るもの……」
波多野が首から提げていたネックストラップを外した。携帯を外して都に差し出す。
「ありがとう。」と受け取ると、荷物を固定するため、襷がけの要領で銀竜の体に縛り付ける。
立ちあがる。
「お願い!」と言いながらコギンを空に放り投げた。
銀竜はそのまま蝙蝠のような白い羽根を広げ、一目散に飛んでいく。
「すげ……」
波多野は口をあんぐり開けてその姿を見送った。
はっと我に返って都を振り返る。
「風邪、大丈夫なのかよ!」
「ああ、えっと……風邪っていうか熱だけだから。」
そういえば、彼にもメールを送ったことを思い出す。
「それより波多野くん、逃げて!じゃなくて、わたしが離れればいいんだ!」
「木島置いてくわけ、いかねーだろ!」
「だめだよ!波多野くんを巻き込むわけにいかない!」
「ふらついてんのに言うかぁ?」
「だってあれ、人じゃない!」
「わかってる。」
「え?」
「なんとなくだけど、オレん中の感覚がヤバイって言ってるんだよね。去年だっけ。竜杜さんと一緒に木島のこと学校に探しに行ったじゃん。あんときにすっげー似てる。」
都は驚いた。
波多野が言っているのはまさに竜杜と男が対峙したときのことで、あの場で波多野も異変を感じていたとは思わなかった。
「そんなの初めて聞いたよ!」
「だってオレの気のせいかと思ったから。でも気のせいじゃなさそうだし、だったら木島一人になんてできねーよ!」
「だって、リュートも敵わなかったんだよ!」
言ってから、都はしまったと口を押さえる。
「やっぱ……竜杜さん絡んでるんだ。」
都は俯く。
「なんとなく、そうじゃないかって思ったんだよね。」
「ごめん……」
「なんであやまんだよ!何がどうなってんのかわかんねーけど、だったら余計、一人で撤退なんてできねーよ!」
「そーいうのお人よしって言うんだぜ。」
背後から聞こえた声に、二人は恐る恐る振り返った。
それは暖かな夢だった。
目を覚ますとそこは和室で、縁側には夏の西日が長い影を落としている。
けだるさを感じながら起き上がると、昼寝の直前まで広げていた図鑑が目に留まった。
「起きたか?」と声をかけられて顔を上げれば、懐かしくも優しい笑み。
それは、幼い日の自分と祖父の姿。
「竜杜はよく寝るな。」
「この家、眠くなるんだもん。」
目をこすりながら障子を隔てた食堂に行き、よいしょと椅子に座る。
祖父は笑いながら、冷たい麦茶をグラスに注いでくれる。
「眠くなるのは、土地の神様がこの家を守ってくれてるからだよ。」
「神様は聖竜だよ。」
「日本はいろんな神様がいるんだ。家の柱、庭の木、あらゆるところに神様がいるんだよ。」
ふうん、と竜杜はわかったような、わからないような返事をする。
「逆に穏やかな場所だから、神様も暮らしやすいんだろうね。だから大切なものを守ってくれる。」
「大切なもの?」
「竜杜のお父さんのお母さん、そのおじいちゃん、そのまたおじいちゃんがずっと守ってきたもの。それがあるから竜杜とも会えるんだよ。」
「それ、なくなったらどうなるの?」
「竜杜に会えなくなる。」
「やだ!」間髪いれず子供は頬をふくらませる。
「じいちゃんに会えないのやだ!それにこの家好きだもん。」
そうか、と祖父が微笑む。
「だったら大切に守らないといけないな。ずっとずっと先まで……」
目が覚めた。
「竜杜?」
「気がついた?」
急に現実に引き戻される。
ぼんやりした頭で、必死に状況を把握する。
「……父さん……それに栄一郎さん?そうか……戻ってきたのか……」
庭を通って縁側から母屋に運び込まれたのまでは覚えている。そのまま和室に寝かされていたらしい。
傍らでうずくまっていたフェスが、喉を鳴らした。
右手をついて上体を起こし、不自由な左腕を見た。包帯を巻いた上に、さらに氷の詰まったビニールがこれでもかと巻いてある。
「応急処置。目が覚めたら診せに来いって笙子さんに言われたんだけど……」
栄一郎の言葉を聞きながら、竜杜は枕元においてあったものに手を伸ばす。
それは左腕にはめていた、祖父の形見の腕時計。
チタンベルトはどうにか形を保っているが、時計本体はガラスが割れ、中の精密機械がむき出しになっている。
「どうにか外したが、直すのは無理だろう。」早瀬は言った。
「うちの銀竜……リラがマーギスの声を受け取った。聖堂で起きたこと……サーフスが乱心してお前を襲ったことも聞いた。この時計が剣を受け止めたことも。」
「わかってる……」
たまたま嵌めていたとはいえ、命拾いしたのだ。
「これがなかったら、俺は腕を失くしてたかもしれない。」
「きっとお祖父ちゃんが、守ってくれたんだろうね。竜杜が無事でよかった。」
「父さん……」
「それとフェスがなにか首に巻いてるんだが、取らせようとしないんだ。それについてはマーギスの話にもなくて……」
「長老から預かったものだ。中身はアニエ……新しい長と議長しか知らない。」
「いったいなにを預かったんだ?」
「それより都は?」
一瞬ためらう空気。
「都ちゃん、今日学校休んでるんだ。」栄一郎が申し訳なさそうに言った。
「熱出して、ダウン。」
「風邪?」
「ちょっと違うんだけど……」と言葉を濁した、そのとき。
フェスが庭に向かって鳴いた。
「えっ?」
一斉にフェスが叫ぶ方向に目を向ける。
その視線の先に白い点が一つ。
それが銀竜だと気づくのに、時間はかからなかった。
早瀬は脱兎のごとく窓に駆け寄ると、ガラス戸を思い切り開けた。
白い物は縁側と居間を通り抜け、廊下を横切る。納戸の木戸に派手な音を立ててぶつかると、そのままずるずる床に落ちた。
ひっくり返っていたのは紛れもなく……
「コギン!」
「きゅう……」
来週は火曜日更新予定。




