第五十六話
「すぐに待機してる同胞を……いや、飛べるかどうかの確認が先か。」
ガイアナと共に地上に戻ったリュートは、待ち構えていたケイリーと合流して帰宅の算段に入る。
「空の様子を分隊に聞いてみる。安定してるようだったら、すぐに飛ぶ用意をしよう。きみが戻ることは、私から分隊長に説明しておく。」
「他に連絡すべきところは?」
「アデル商会には銀竜で声を送ります。何かあれば、そちらに言ってください。」
「クラウディア・ヘザースが戻ったら、詳細は説明しておくよ。それで大丈夫かな?」
「助かります、ケイリー書記官。」
リュートは二人に感謝すると、仮眠のためにあてがわれていた部屋に向かった。荷物があるわけでないが、銀竜でメッセージを送るのに適した場所が他にないと判断したのだ。
と、部屋の前に佇む男の姿。
「サーフス議員……?」
新進派と呼ばれる彼が自分を待ち構えていたこともだが、ひどく疲弊している様子にリュートは驚いた。アニエ・フィマージの就任が決まった議会で垣間見たときは、こんなに青白い顔でもなく、目の周りも黒ずんでいなかった。いったい一晩で何があったのかといぶかる。
「まさか上層部が隠していたとはな。」
そう切り出したサーフスの口調に、以前会ったときの温和な雰囲気は微塵もなかった。彼は咎めるようにリュートを睨みつける。
「君が管理者だったとは……どうりで銀竜を多く保有してるはずだ。」
「いったい何の話です?」
「評議会議員でもないラグレス家が、この場にいるのは不自然だと思ったんだ。」
「成り行きです。」
「司教が父君の古い友人とは、できすぎた話だ。」
「ご存知なら……」
「門番の血筋が残っていたとは、な。」
そうか、とリュートは納得する。
昨夜から誰かに見張られていると感じたのは、この男の気配だったのか。
しかしなぜ彼が自分に目をつけたのか、きっかけが気にかかる。
それにこれしきの揺さぶりでは、リュートとて動じない。
「ラグレス家は代々竜騎士の家系です。」
「ハヤセ家の話だ。」
「父は辺境の出です。」
「そこに、門があるのか?きみらはそこを通ることができるのか?」
「仮にあなたが思ってるような血筋だとしても、あなたに話すことはありません。」
「長老との公約があったなら、すでになら無効だ!聖堂に縛られる必要はないんだ。なぁ、教えてくれ!」
「縛られてるつもりはありません。俺は俺の意思で動いてます。急ぎの用があるので失礼。」
踵を返す。
と、フェスがけたたましく鳴いた。
思わず振り返った目の前を、銀色の刃がよぎった。
「雨、降りそう……」足を止めて都は空を見上げた。
夕刻と呼ぶには早いが、冬至の陽の短さにどんよりした空も加わって、すでに辺りは日暮れの様相。
視線を戻した先にちょうど入ってきたバスを見つけた。
「うわわっ!」と小さく叫ぶとバスに向かって走り出す。乗り込んで、空いているシートに座ると大きく息をついた。
「やっぱ、体力きついかな……。」
それを予想してバスを使ったが、思った以上に身体が動きにくい。
斜めにかけた重たいカバンを膝の上に抱える。
中に入っているのは例の手紙と愛用のペンケース、それにボイスレコーダーに相棒の銀竜。
手紙を読み終えて間もなく、都は半ば強引にコギンをカバンに詰め、戸締りするのももどかしく外に飛び出した。
行き先はフリューゲル。
電話で済むのかもしれない。けれど混乱した今の自分には、順序だてて説明するのは到底不可能。それよりも、早瀬に判断してもらうのがいいに決まってる。
「冴さんに怒られるかな……」
メモを残してきたが、きっと盛大に怒られるだろう。
けれど今は、自分の行動を信じたい。むしろ黙っていたら後悔するはずだ。
バスが目的地に近づく。
降り立ったのは隣駅の賑やかなエリア。そして目指す駅を挟んで反対側足を向けた、そのとき。
背筋が震えた。
反射的にカバンの肩紐をぎゅっと握り締め、恐る恐る振り返る。
「よぉ。」
背後に立っていたのは髪の短い若い男。
「なんで……」
驚く都の前で、相手は目深に被っていたキャスケットを押し上げる。
それは紛れもなく、黒き竜を宿した男。
雰囲気はまるで違うが、忘れようもない、射抜くような瞳で都を見ている。
「久しぶり……だよな。けっこー大変だったんだぜ。あの白いののおかげでダメージひどくってさ。」
「ずっと……ずっと見張ってたんでしょ!」
「やっぱ気付いてたんだ。」くすくすと男は忍び笑いをもらす。
「じゃあ、説明とかいらねーよな。そおいや、婚約者とかいう奴、今いないんだろ?」
「なに……する気?」
「そのカバンの中のモン、欲しいかな。探してたんだよね。」
「あなたに関係ない!」
「そーでもないと思うぜ。」
思わず後ずさる都に、男は少しづつ距離を縮める。
「絶対渡さない!」
言ってから都はギクリとした。
男の背後から、黒い靄が立ち上っているのだ。
彼女の脳裏に、一年半前の出来事がフラッシュバックする。
この場から逃げ出したい。なのに足が竦んで動かない。これじゃあ、あのときと一緒だ。
そう思った瞬間。
突然腕を掴まれた。
「わわっ!」
「こっち!」
半ば引きずられるように走り出す。
「いいから走れ!」
先導するその声に、都はあっ!と叫んだ。
「波多野くん!」
「話は逃げ切ったら!」
重たい衝撃が走った。
「つっ……」
「ちっ」とサーフスが舌打ちする。
彼が振り下ろしたのは反身の剣。
その刃先が、リュートの左手首に巻いた金属……腕時計のベルトにめり込んでいる。
とっさの防御とはいえ、一歩間違えたら腕が飛んでいた可能性もある。
フェスが甲高い声で鳴いた。
「フェス、離れてろ!」
「うるさい!」
サーフスは一喝すると、ぎりぎりと刃を押し付けてくる。
思いのほか力が強い。
それに武器の持込が禁じられている議会に、一体どうやって持ち込んだのか。
「何をしてるか、わかってるのか!」
リュートは左腕を盾にしたまま後ずさる。
「門番一人使いものにならなくとも、一族は困らない。」
「そういう意味じゃない!」
「神になるのは我々だ!」
サーフスはぐっと身を乗り出す。
押し切られる!と思ったそのとき。
ひゅっ!と、風を切る音がした。
「ぐぉっ!」という叫び声。
そして、剣が落ちる音。
戸惑うリュートの目の前で、サーフスの身体が傾いだ。
派手な音を立てて床に倒れると、悶絶してぱったり動かなくなった。
「ラグレス!」
「ラダン……?」
間髪いれず駆けつけた同期の姿に、リュートは思わずその場に座り込んだ。
見ればラダンの後ろには、弓矢を持った警備兵。そしてサーフスの肩口には矢が刺さっている。
「殺したのか?」
リュートはモリス・ラダンが聖堂の警備を仕切る立場だったことを思い出す。
「議会場で殺生は禁じられてる。薬を使った。新しい長から、サーフスに気をつけるよう言われてた。」
「アニエが?」
「長と言え。立てるか?」
差し出されたラダンの手を借りて立ち上がると、フェスがリュートの肩に降りてきた。喉を鳴らし、心配そうに頬をすり寄せる。
騒ぎを聞きつけた警備兵が集まって来ると、すかさずラダンは命じた。
「サーフス議員を救護室にお連れしろ!ちゃんと鍵がかかる部屋にな!」
「リュート!」
一寸遅れて老オーロフが駆け込んできた。その後ろにはガイアナの姿も。
「なにがあった?」と詰め寄る彼らに、ラダンは手短に説明する。
「確かにサーフスは今回の人事に異議異を唱えていた。が、まさかこんな形で騒ぎを起すとは……」
「それよりも怪我は?」
「手首をやられてる。」ラダンが言った。
「すぐに医者に見せるべきだ。」
「その暇はない。」
「確かに人事に関わる親書を、ハヤセ・カズトに届けてもらう手はずだった。しかし……」と、ガイアナも戸惑う。
「これくらいなら、どうにかなる。」
ほーう、とラダンの瞳が冷ややかにリュートを見る。
彼はリュートの左手をねじ上げると、よく見えるように持ち上げた。
「ぐっ……」とリュートは呻く。
彼の左腕は手首を中心に赤く腫れ上がり、その表情は明らかに痛みをこらえていた。
「ラダン……てめ……」
「これで、どうやって飛ぶ?確かにお前は飛ぶことに関しちゃ同期で一番だ。だが痛みは判断を鈍らせる。」
「彼の言うとおりだ。」オーロフが頷いた。
「それでは竜を御することはできない。だから私が送っていこう。」
「オーロフどの……」
「ただしガッセンディーアの領内だけだ。」
「充分です。」
「お二人ともこいつに甘すぎます!言っとくが、おれはお前のそういうがんばり過ぎるところが嫌いなんだよ。」
ラダンは吐き捨てるように言うと、現場を検分していた部下に声をかけた。。
「おい!誰か添え木になるもの持ってこい。」
その隙に、オーロフはガイアナに耳打ちする。
「分隊に至急連絡して、ダールを護衛につけるよう指示してください。」
リュートがラダンの応急手当てを受けていると、トランとマーギスが息せき切って駆けつけた。
「どうやら襲われたのは本当のようですね。」
包帯を巻かれた左手に、トランが顔をしかめた。
「まさかこれで飛ぶつもりですか?」とマーギスも不安をあらわにする。
「オーロフの御大に途中まで送ってもらう。それより頼みがある。セルファに俺が戻ることを伝えてほしい。」
本当は声を送るはずだったが、この状況ではその暇もない。
そう説明するリュートにトランは頷いた。
「ハンヴィクさんがまだいらっしゃるので、トーアをお借りします。」
「声は私が送りましょう。」マーギスも請合う。
「ならば父親と……都にも、何か影響があるかもしれないと伝えてください。」
待機していた丘から飛び立ったダールがオーロフに追いついたのは、北の山脈地帯に入る手前だった。
彼に気づいたオーロフが、手指で言葉を伝える。
「ついてこい」
ダールは了解するとオーロフの御する竜の後ろについた。
やがて険しい山中に差し掛かる。
話に聞いていた深い谷筋を通って、やがて山の中腹に突き出た石の踊り場にたどり着く。オーロフを見習ってその場に降りると、竜を空に待機させた。
「すげぇところだな。」ダールは呟いた。
狭い上に、風が吹き上げるので不安定なことこの上ない。しかも背後は洞窟で、これが門へ繋がる入り口かと思うと妙に緊張する。
「それで大丈夫なのか?怪我ってどうして……」
「サーフス議員が乱心した。」
「やっぱり……というか、なんでお前なんだ?」
「奴は俺が門番の血筋だと、確信してる。」
リュートは手短に襲われたときの様子を話した。
「いったいどこから仕込んだんだ?」
「俺が知るか。」
「そりゃそうだ。調べるのはこっちに任せろ。」
「エミリアには私から説明しておく。」とオーロフ。
「門に関しちゃ、お前と親父さんに丸投げするしかないが、何かあれば連絡しろ。」
「覚えてたらな。」
「それからその怪我!ちゃんと医者に見せろよ。」
「ラダンと同じこと言うなよ。行くぞ。」
「あーちょっと待て、リュート!」
あのなぁ、と呆れつつリュートは足を止める。
ダールは腰に下げた物入れを漁ると、短剣を差し出した。
「お前、軍服脱いで丸腰のままだろう。念のため持ってけ。」
リュートは短剣を受け取った。
柄の所に文字と印が入っているのを見ると、支給品でなく彼個人の持ち物らしい。
「ありがとう、オーディ。オーロフどのも感謝します。フェス!」
フェスはリュートの手にふわりと止まる。
その金色の瞳に向かって、彼は言葉を唱えた。
次回の更新は水曜日、2016年8月17日になります




