第五十五話
「夕べの騒ぎが嘘のようですね。」
「騒ぎは旧市街だから、こっちは影響なかったのかもしれない。」
言いながら、メラジェは欠伸をかみ殺す。
アデル商会の倉庫で、うとうとしたところをトランに起されたのだ。
「聖堂に連れて行ってもらえませんか?ぼく一人では門前払いが目に見えてるので。どうしてもリュートに話したいことがあるんです。」
「クラウディアに頼めないのか?」
「あたしはここの責任者だから。」
肩を竦める配偶者に、メラジェは諦めて起き上がった。
身支度を整えて外に出ると、朝日が眩しい。
「シィガンはまだあそこにいるのか?」
「隠れ家は居心地がいいようですね。」
「隠れ家ねぇ……他にもなにか隠してるんじゃないか?」
「どうしてそう思うんです?」
「勘。」
「なるほど。」
「まさか本当に隠してるのか?」
「いずれお話します。」
「まだ信用できないか?」
「まさか!イグーヘムファ先生のことをイグー教授と呼ぶ。いかに先生と親しかったかわかります、そんな人を疑ったら、ぼくが先生に怒られます。」
「だったら墓参り、行けよ。」
「きみもしつこいですね。第一、今はそれどころじゃありません。」
「それもそうか。」メラジェは肩を竦めた。
ケイリー書記官について部屋に入ったリュートは、目を丸くした。
来客があると聞いて来てみれば、そこにいたのは昨夜別れたトラン・カゥイ。
「メラジェに連れて来てもらったんです。」
リュートの疑問を先回りして、トランが言った。
「彼は今、議長に会ってます。ぼくはきみに話しておきたいことがあって……」言いつつトランは横目でケイリーを見る。
「ケイリー書記官はうちの役目を知ってる。いわば見張りだ。」
「見張りとはひどい。」
アンガス・ケイリーの緑の瞳が苦笑する。
「せめて立会人と呼んでくれないか?」
「では、ぼくのこともご存知なんですね。」
「書庫に出入り禁止になってることと、リュートが調査依頼をしたくらいなら。」
充分です、とトランは頷いた。
そして本題に入る。
「今回の事件について感じたことなんですが、例の集団は神舎を占拠したわりに大人しい気がするんです。あっさり捕まったのが不気味に思えてしまって。」
「それは俺も感じてた。」
現場にいたわけでないが、顛末に拍子抜けしたのは否めない。
「もちろん、彼らは祈るのが目的で礼拝堂を占拠した。だとしたら何を祈ったんだろうと考えたんです。少なくとも平和的でない内容、という以外まったく予想もつきませんでしたけど。」
でも、とトランは身を乗り出した。
「一つ、可能性を思いついたんです。もし彼らが祈っていたのがこちらの世界に対してでなく、あちらの世界に対してだとしたら……」
「どうしてそのような考えに?」とケイリー。
「ものすごく断片的なことなんですが、カイエ巡査が持ってきた銀竜の事件の一覧。あれに銀竜の目をくりぬいて殺害した事件がありましたよね?」
そうなのか?と問いかけるケイリー書記官に、リュートは頷いた。
「記録にあったのは二件、カイエ巡査が担当したのが一件。だけどほかにも同種の事件があった可能性もある。」
「不気味だな。」
「それ以上に変です。カイエ巡査が言うには銀竜は殺すより生きたまま売るほう高値がつくそうです。だったらどうして目をくり抜いたり、殺したりするのか?ひょっとして犯人は、銀竜の目を集めたかったんじゃないのか?」
「何のために?」
「瞳に見たいものを写すため。きみ、それ、できますよね?」
「今の話じゃないが、銀竜の瞳を使うには生きた銀竜が必要だ。」
「銀竜でなく竜の魂を宿した人ではどうでしょう。呪術で何ができるのか、ぼくは詳しく知りません。ですが銀竜の瞳と同じ力を彼に与えようとして、そのために銀竜の目を贄として集める……」
「それは無理がある。」ケイリーが言った。
「第一、黒き竜の魂が復活してることを、奴らがどうして知った?」
「それも呪術の仕業だとしたら?黒き竜は呪術によって変質したと伝えられています。だとしたら呪術に呼応するのか、もしくは世界を超えて操る術があるのかもしれない。復活した黒き竜の動きを把握した上で、銀竜の瞳と同じ役目を彼に与える。術を施した人が命じることで、黒き竜が見たものを、こちらにいながら見ることができる。」
「何のために?」
「神の国を見たい……あるいは自分が神になるために。きみの教え子のホムスゥトの実家には“白い竜の瞳は創造神の世界も見通すことができる”という言い伝えがあるそうです。」
「バカな!」リュートは吐き捨てるように言った。
「神の国なんてありゃしない!そりゃ、日本は八百万の神がいるが……」
「やおよろず……?」
きょとんと問い返すトランに、リュートは我に返る。
「悪い……混乱した。」
「いいえ。疲れてるところに押しかけて、悪いと思ってます。ただ、ぼくが言いたいのは……」
扉を叩く音。
入ってきたマーギスに、トランは慌てて立ち上がった。
「ご無事でしたか。」
「カゥイ先生もご無事でよかった。それより書記官どの。今しがた部屋の前に、どなたかいたようですが。」
えっ、とケイリーが腰を浮かせる。
「ここには誰も近づけるなと言ったはずですが……」
「そういえばフェスがいませんね?」
いまさらながら気づいたトランが、首をかしげた。
「聖堂は鬼門だから、部屋に置いてきた。」
「ははぁ、例の子供のときの迷子の件ですか。」
外を覗いたケイリーが「誰もいないようだ」と報告する。
トランは座ると、たった今展開した自説をマーギスに説明した。
それに対する彼の意見はシンプルだった。
「黒き竜が見たものを、彼らはどう解釈するのでしょう。たしかに我々は門番を受け入れていますが、それはハヤセ親子が逐一説明したことを理解した結果です。」
「確かに。」と、リュートも同意する。
「瞳に映ったものを見ただけで、解釈できるとは言いがたいな。」
「そんなに複雑なんですか?向こうは。」
「言語も宗教も、風習も違う。都は俺と契約関係にあるから言葉は通じてるが、文字は努力して覚えてるところだ。」
「補足説明する人が必要、か。」うーん、とトランは腕組みする。
「たとえば契約のようなつながりだったら、世界が離れていても人種が違っても、疎通はたやすいんでしょうか?」
「お互いの信頼関係あって、という前提だろうね。契約は我々にとって婚姻でもあるから。」ケイリーが言った。
「それは生活を伴うからですよね。もし意識だけのつながりなら、カズトさんとエミリアさんを見れば世界なんて関係ないことはわかります。」
「つまり神の影を敬う連中は、黒き竜の魂を宿した男と何らかの形で繋がってる。そう、カゥイ先生はおっしゃりたいんですな?」
「あくまで仮説ですが、そういうことです。」
「ちょっと待て!連中はその悪巧みのための祈りを、神舎でしてたっていうのか?」
ようやくリュートも、トランが言わんとしてることを理解する。
「ぼく、最初にそう言ったじゃないですか!」
「そういえば……すまん。」
「もちろん何事もなければいいですよ。でも確かなことが一つもない今、きみはすぐにでもカズトさんのところに戻るべきです。ぼくはそれを言いたくてここに来たんです。」
「確かに一理ありますな。」言ってから、マーギスは外の気配に首をかしげた。
間髪いれず、慌しい足音と共に扉が連打される。
血相を変えた老オーロフが、勢い込んで飛び込んできた。
「フェスが逃げた!」
「フェス!」
リュートの声が、緩やかな円弧の地下天井に反響した。
傍らにいる警備の隊員も、同じように銀竜の名を呼ぶ。
「見つかったかね?」
遅れて地下にやってきたガイアナに、リュートは首を振った。
「仕方ない。銀竜の眼を使います。」
彼はそう言って眼を閉じると、言葉を口にした。
「白き翼の盟友、その力、その瞳を我に与えん。」
そっと目を開くと、そこに映し出されたのはわずかに光が差す小さな部屋。
中央には白い石を組み合わせた台座があり、その上に小さな緑の石が置かれている。
その光景を説明すると警備の隊員が「もしかして……」と呟いた。
ガイアナに何事か耳打ちする。それに対してガイアナが応えると、彼は頷き、足早にその場を離れた。
「鍵を取りに行った。しかしラグレス家の銀竜はいったい、何にひきつけられる?」
「それはこちらが知りたいくらいです。フェスに特別な能力があるわけでもない。」
「親も、かね?」
「親は古参の銀竜で、フェスが孵って間もなく姿を消したそうです。」
「つまり、死に場所を求めて旅立ったわけか。」
そうしてどこかでひっそりと、息絶えたのだろうか。
しばらく待っていると階段を降りてくる足音が聞こえた。しかも複数。
やはて広間に現れた人物に、リュートは驚いた。
「私の立会いの元、鍵を使うことを許可します。」
アニエはそう言うと、リュートを振り返った。
「気を悪くしないで。墓所にまつわる場所は、長が管理しているの。」
「墓所?そんな場所に入り込んだのか?」
彼女の先導で向かったのは地下の中でも奥まった場所にある部屋だった。
「ここは祈りの間。生前、小ガラヴァルが盟友リラントに思いを馳せていたといわれる部屋よ。」
アニエは鍵を開けると、警備兵とガイアナに外を見張っているよう頼んだ。
リュートと二人、部屋に入る。
狭い空間だった。
四方の壁が白く光り、ほの明るい。振り返ると、扉の上部は金属の棒が格子状になっていて、恐らくフェスはそこをすり抜けて入ったのだろう。
部屋の中央には先ほどフェスの目を通して見た台座と小さな石があった。
その上に置物のように鎮座するフェスの姿。
「フェス!勝手に行くなと言ったはずだ。」
語気荒く言うリュートに、フェスは「きゅう」と頭を下げる。
「リュート、フェスを怒らないで。」
「しかし……」
「門番の道標がここに惹かれたのは、偶然でないのかもしれない。フェスはきっと、これが必要だと感じているのよ。」
アニエは台座に近づくと、緑に光る石を手に取った。懐から出した布にそれを包むと、手を伸ばして銀竜の首に巻きつけ、しっかり縛り付ける。
「フェス、私は黒き竜と戦った唯一の銀竜を信じるわ。」
「どういうことだ?それは一族にとって大切なものなんだろう?」
「ええ。だからあなたに渡してほしいと、長老に言われたの。ケイリー書記官の報告を受ける前から。」
「ケイリーの報告?」
「トラン・カゥイさんの考察を聞いたわ。もちろんそれが正しいと断言する気はないけれど、神舎を乗っ取った人たちが黒き竜の魂に祈りを捧げた可能性は否定できない。」
「それとこの石の関係は?」
「これはリラントの瞳の欠片。」
えっ?と息を呑む。
「伝承の通り、もう一つの欠片は大ガラヴァルが持ち去った。だから托すことができるのはこれだけ。どこまであなた達を守れるかわからないけど、邪魔になることはないはずよ。」
アニエはリュートの前に立った。
「門番の子にして一族の騎士。もしかしたら何事も起きないかもしれない。けれど起きてしまったときには、最善を尽くしてください。でも己を犠牲にすることだけはしないで。必ず報告に、この場所に戻ると約束してください。これは一族の長としての命令であり、友人としての願いです。」




