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第五十話

「北の守り、アバディーア部隊か。」

 赤毛をかきあげながら、男は「なるほど」と呟く。

「アバディーア部隊がノンディーア海軍なんですか?」

 傍らに立つ、年若い男が首をかしげる。

 彼がこの安宿に戻ってきたのはほんの少し前で、持ち帰った紙片を差し出すと、赤毛の男は待ちかねたように急いで広げて読み始めた。そしてその中にあった「ノンディーア海軍」という単語に興味を示したのである。

「正式名称じゃない。ホルドウルの海軍はホルドウル部隊という名だろう。」

 連合国内の各軍はその地域の名前で呼ばれることが多い。だがノンディーアは連合国の名。いぶかる若者に、赤毛の男は説明した。

「ノンディーア海軍の正式名は連合軍アバディーア部隊だ。ノンディーアというのはアバディーアとホルドウルの国境近くの港町で、連合国の由来と同じノンディーア将軍の逸話がある。軍神を奉った神舎(しんしゃ)もあるせいか、今でもそこを母港とする部隊はノンディーア海軍と呼ばれるんだ。しかし、神舎から海軍の信号が発せられるとは……いろんな神の僕を受け入れてるってことか。」

「それで支障が生じることは?」

 さあね、と赤毛の男は肩を竦める。

「ただ信号を使って何かが発信されたとしても、核心には遠いだろう。真相がわかる前に祈りは終わるさ。」

 そう言うと、彼は窓の外に目を向けた、目を上げると、建物と建物の隙間に光を帯びた月が浮かんでいる。少し視線をずらすと、こちらは半分建物に隠れたうっすら陰になった、もう一つの月。

 男の口元に笑みが浮かぶ。

「新しい月も気に入るといいけど……」

 その表情はどこかぞっとする冷たさも含んでいた。


 四十数名の議員の反応は概ね三つ。

 ある者は拍手を送り、ある者は腕組みして黙り込む。そしてある者は、どう反応してよいかわからず戸惑っている。

 最初に声を上げたのは、中年の議員だった。

「確かに革新的ですが、実務経験の少ないお嬢さんで大丈夫でしょうか。」

 これもまた、思ったとおりの反応。 

「ご心配ありがとうございます。」アニエは言った。

 彼女が立っているのは聖堂(せいどう)内にある会議場の演壇で、そこから見る議員席は放射状のひな壇になっている。わずかな段差だが見下ろされていることに、アニエは内心緊張していた。

 今日の彼女は装飾のない紺の服に身を包み、亜麻色の髪は結い上げて邪魔にならないよう銀の髪留めでまとめている。耳飾もごく小さい銀細工のみ。左手には白い手袋の上から印を刻んだ、厚みのある指輪がはめられている。祖父、ワイラートから譲られた一族の証である。

 それだけ簡素な装いであっても、彼女の若さと美しさは隠しようがない。

 それゆえの発言だと、アニエ自身重々承知している。

「断ることもできたはずでは?」

 別の声が言う。

 アニエは相手に悟られないよう、軽く深呼吸した。

(場の空気に呑まれるな)

 アニエの後ろに控えているはずの、ガイアナ議長の言葉を思い出す。

「私はおのれが一族であることも、このガッセンディーアに暮らすことも誇りに思っています。それに若くして長を引き継いだ前の長老も、当時、同じことを危惧されたと聞いています。だからこそ……」

 軽く息継ぎ。

 焦ってはダメ、と自分自身に言い聞かせる。

「同胞と共に空駆ける皆を支えたい。それこそが英雄ガラヴァルの意志を継ぐことであり、その血を継ぐ者の役目だと考えました。それにこの場には経験に長けた一族の方々が大勢いらっしゃいます。皆様のお力添えをいただけると信じて、私はここに立っています。」

「では具体的に何をどうするか、お聞きしてもよろしいかな?」

「それは……」

 アニエが言いかけたそのとき。

 壇上でかつん!と床を叩く音が響いた。

 皆の視線が向くと同時に、会議場が緊張感に包まれる。

 杖を支えに立っていたのは、現長老、そしてアニエの祖父であるルヴァンドリ・ワイラートだった。

 先ほどまで聖堂内の執務室で休んでいたはずだが、今はしっかり自分の足で演台の裾に立っている。脇を支えるのはアニエの父と次兄。背後には主治医も従えている。

 老人はその場でひな壇をぐるりと見回すと、やおら口を開いた。

「ガッセンディーアは空の民と人、そして一族と神が共存する世界でも稀な場所。」

 くぐもっているが力強い声に、皆が耳を傾ける。

 その圧倒される存在感に、アニエは感服する。

 後継者の打診を受けてから、ずっと自問自答してきた。

 人の前に立つことができるのか?自分のような小娘の言葉を、人は聞いてくれるのか?そして自分は祖父のように皆を導けるのだろうか?

 何度も堂々巡りを繰り返してたどり着いた答えがまさに今、目の前にあった。

 それは自分が目指すべき姿。

 ならなくてはいけない姿。

 そんな孫娘の心の内を知ってか知らぬか、ワイラートは言った。

「この場所がこれからもあるために、一族が同胞と空駆けるために何が必要か?伝統や因習も必要だが、英雄のように何かに立ち向かうことも必要だと感じた。男女関係なく、な。」

「フィマージどのが英雄の血筋であることは認めます。だがそれだけでは理由になりません。」

 立ち上がったのは新進派のサーフスだった。

「では逆に聞くが、アニエ・フィマージであってはいけない理由はなんだ?」

「彼女は自ら同胞を呼ぶことができない。」

「だが幼い頃から親の目を盗んで飛んでいる。竜騎士と共にな。むしろ飛べない辛さも、差別を受ける屈辱も知っておる。」

「痛みは強さになる、ということですかな?」と言ったのはハンヴィク。

「呼べないからこそ、彼女は竜に畏敬の念を抱いている。かつての英雄がリラントを聖竜とあがめ親友と称したように、彼ら空を統べるものたちを尊敬している。召喚する者は忘れがちなことだ。それに女の情報網はときに政より優れている。」

「確かに!奥方たちの噂のほうが、議題にのぼるより早い!」誰かが叫んだ。

「血筋といい、竜騎士であるダール家とのつながりといい、この先を考えれば一番立場的に見合ってるのかもしれない。」

 肯定を含んだ囁きが、場内を駆けめぐる。

 もちろん門と門番への理解があることも大きな理由だが、それをここで公言するわけにはいかない。

 ワイラートは杖で床を叩いた。

「改めて宣言する。ルヴァンドリ・ワイラートはアニエ・フィマージを後継者に指名する。異論ないな。」

 その言葉に、拍手が興る。

「アニエも。」

「謹んでお受けいたします。」 


 ワイラートが退出すると、アニエは再び演台に立った。

「本来なら挨拶すべきなのですが、先に皆様の耳に入れておきたいことがあります。」

 ざわりと、と会場の空気が揺れた。

「みなさまもここ数日、不安定な大気を感じてると思います。特に今朝から召喚に応えない竜もいると聞いています。安全を考えて、先ほど分隊の竜も郊外に避難させました。」

「長、は、その理由をご存知なのですか?」

「証拠はありません。ですが関係あると思しき一団が現在、ガッセンディーアの神舎(しんしゃ)を占拠しています。」

「占拠?」

「そういえば公安が随分出ていたが……」

「神職の方々は、無事なのですか?」

 驚きと好奇を含んだ声が飛び交う。

「公安にはいまだ犯人からの要求はなく、中の様子もわからない状況です。」

「それと大気と何の関係が?」

「推測ですが、呪術を使う者たちが神舎を占拠した可能性があります。」

「少し前から、呪術を復活させようとしている者たちがいることを聖堂は把握していました。」ガイアナが横から補足した。

「少し前とは?」

「カーヘルの、神の砦と呼ばれる古い遺跡で、リュート・ラグレスが巻き込まれた事件から。」

「あれは神舎のお家騒動だったと聞いているが?」

「正確には神職が呪術を使って謀反を起そうとしたのです。首謀者のうち一人は亡くなりましたが、もう一人はいまだ本舎に収監されています。今回の事件は、彼らと思想を同じくする者が関わっている可能性があります。」

「思想?だとしたら呪術の復活は、昨日今日の話ではないのでは?」

「ええ。神舎からの通告を受けて、内部で過去の事例を見直しました。結果、四年前のケイリー書記官の事故、十三年前にこの聖堂で起きた死傷事件も呪術が絡んでいた可能性を否定できません。」

「なぜ神舎は今まで黙ってた?もっと早く公表すれば今日の事態は避けられただろう。」

「公表すれば、呪術が世の中に存在することが知れてしまう。それより誰の目にも触れぬうちに闇に葬りたい、そう本舎は考えていたのです。」

 言ったのは、ガイアナの背後に控えていた老齢の男だった。

 見覚えのない人物の登場に、場内がざわめく。

「お静かに!」

 ガイアナが男を傍らに呼んだ。

「ご紹介します。ガッセンディーア神舎のマーギス司教どの。」

「マイゼル・マーギスと申します。」

 男は数多の視線に臆することなく、ゆったりと頭を下げる。

 服装こそ市井のそれだが、胸には司教の位を示す札が下がっている。

「たったいま、神舎は占拠されたと聞いたが?」

「別の場所にいたため、神舎での難を逃れました。もちろん神聖な議会にお邪魔したことはお詫びいたします。けれど今の状況を打破するには皆さんのお力が必要だと判断し、議長どのと話し合いをさせていただきました。先ほど長老がおっしゃったように、ここガッセンディーアは空の民と人、そして一族と神が共存する世界でも稀な場所。まるで神話のようなこの場所を守りたいと願うのは、私も同じです。」

「だが歴史的に聖堂と神舎が馴れ合ったことは一度もないはずだ。」

 マーギスは小さく頷いた。

「私の故郷はカーヘルの山間にある小さな村でした。その集落は古い言葉を日常的に使う土地で、英雄ガラヴァル兄弟の父、老ガラヴァルの出身地と伝えられていました。」

「聞いたことがある。」ハンヴィクが身を乗り出した。

「その村の者は豊穣の姉妹の末裔で、それゆえ村長の家は神職につく、と。」

「その例に漏れず、私もこうして神職につきました。だから竜と共に飛ぶことはできませんが、このガッセンディーアに赴任したことは思し召しだと感じています。」

「その縁に免じて手を貸せというのか?」

「いいえ。私が申し上げたいのは、その村が呪術によって滅ぼされたという事実です。」

 そう言ってマーギスは、かつて故郷で起こった忌まわしい出来事を話した。あくまで事実だけを淡々と。

 けれどその生々しさに、その場にいた誰もが意見することすら忘れた。ようやく発せられたのは、マーギスがすべて話し終えたとき。

「本当に……呪術のせいなのか?」

「私はそう確信しています。だからこそ同じことが起こっては……いいえ、起してはいけない。ましてこのガッセンディーアには竜が、そして空と地上とを繋ぐ皆さんがいる。この地に愛着を持っているのは神舎も聖堂も同じ。ですからどうぞ、お力添えをお願いいたします。」

 マーギスは言うと、ひな壇に向かって深々と頭を下げた。


「マーギスさんの陳情が、議会に受け入れられたそうです。」

 中庭に出ていたバセオが、レイユを連れて戻ってきた。例によって銀竜の眼を使う練習をしていたところ、フェスから声が届いたのだと言う。

「新しい一族の長と議長を交えて、具体的な協議をしてるそうです。」

「て、ことは後継者も承認されたのか。案外あっさりだったな。」

 自らも一族であるメラジェが眼を丸くする。

「反対食らうような人なのか?その後継者てのは。」と、コンロッド。

「由緒正しい英雄の血筋、現職ワイラート長老の孫娘だ。」

「女、だと?」

 あれ?とトランが呟く。

「たしかショウのお兄さんの婚約者も、長老のお孫さんでしたね。」

「うん。オーディエの婚約者のアニエ・フィマージ嬢……が後継者に指名された。」

「それは確かに賛否両論ありそうですね。」

「それより我々はどうすれば……」不安げにバセオが訊ねた。

「次の指示が来るまで待つしかないだろうな。」

「そんな呑気な!」

「マーギス司教、リュート、それにオーディとショウ、ネフェル嬢。それだけの証言があれば、聖堂は動かざるを得ないはずだ。」

「待ってても指令が来そうな環境ですね。」

「それと個人的に、クラウディアが何か言ってきそうな気がするんだよな。」

 メラジェのぼやきが正しいと知るのは、まもなく後であった。

野暮用で更新が1日遅れました。すみませんでした。

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