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第五話

「ここ、綴りが違ってる。」

「うわぁあ~もっと早く言って!」

「まだ下書きだろう。」

「わたしがそれで覚えちゃってるの!」

 ぶつぶつ言いながら(みやこ)はカラフルな軸の万年筆を走らせ、指摘された単語を繰り返し練習する。

 婚約者と二人きりの自宅。

 保護者は旧友と会うので遅くなると言っていた。

 にも関わらず……

「もう一つ言っていいなら、これは使わない言い回しだ。」

「だってマーギスさんの手紙にあった……」

「ガッセンディーアでは使わない。」

「方言ってこと?」

「しかも古文に近い。」

「でもネフェルは語り部だし、南の暮らしが長かったから…………」

「といっても俺に辞令が出ない限り、都が暮らすのはガッセンディーアになるぞ。」

「辞令なんて出るの?」

「可能性は……低いな。」

「だと思った。」がっくりと都は肩を落とす。

「じゃあ、代わりにどう書けばいい?」

 竜杜(りゅうと)がレポート用紙に書き綴る文字を、都がうんうん唸りながら真似て書く。

 先刻からそんなことを繰り返しているので、色気もムードもないこと、はなはだしい。

 最終的に棒線だらけになった原稿の最後に、異国文字で名前をサインをした。

「これで清書すれば大丈夫?」

「上出来だ。」

「ふわぁ~」と声を上げて、都はダイニングテーブルに突っ伏す。 

「がんばったな。」

「こんなにリュートに手伝ってもらってるのに?」

 それに、たった一通の手紙を書き上げるのに、何日かかったことか。

 答えの代わりに優しい笑顔。

「台所、借りるぞ。」

「え、あ。わたしが……」

「休んでろ。」

 その言葉を合図に、銀竜(ぎんりゅう)たちが都の膝にふわりと舞い降りた。

 竜杜は電気ポットで湯を沸かし、勝手知ったる棚からティーサーバーを引っ張り出す。自分のボディバッグからジッパーつきのビニールを取り出すと手際よくお茶を淹れ、リビングスペースの収納兼ローテーブルに運んだ。

 銀竜たちを抱えた都も、リビングのラグに腰を下ろす。

 竜杜の差し出すマグカップを手に取ると、さわやかな花の香りがした。

「これ……お義母(かあ)さまの作ってるお茶だ。いい香り……」口に含むと、微かな甘味が広がる。 

 それはラグレス家の温室でエミリアが淹れてくれたお茶。薄青色の花を乾燥させてブレンドしていると言っていた。

「フェスとコギンはこっち。」

 竜杜が持ってきたスープカップに、銀竜たちが嬉しそうに首を突っ込む。

「エナの花って珍しいんだっけ?」

「手がかかるから栽培する人が少ない。今頃は向こうの庭でも咲いてるはずだ。新ものだと言ってセルファが持ってきたから。」

「向こう夏だもんね。庭もきれいなんだろうな。」

 エミリアと庭師が丹精こめた庭を歩いたのは秋と冬。それでも変化にとんだ庭は散歩するにはうってつけで、だから花が咲いている今の季節はもっと綺麗なのだろうと想像がつく。

「たぶん三月まで行く暇ないなぁ……」

「花は来年も咲く。」

「それにわたし、いつになったら一人で手紙書けるようになるんだろ?」

「焦る必要もないだろう。」

「でも、なんかリュートに悪くて。」

 昨日に引き続き、今日も店が終わった後に、こうして文字の勉強を見てくれることを申し訳なく感じてしまう。

「文字を教えるのも俺の業務のうちだ。」

「そうかもしれないけど……なんか終わりがないっていうか……」

 まったく、と竜杜は息をつく。

「まだ一年も経ってないんだぞ。」

 都が手紙の宛先人であるネフェル・フォーン・オーロフと知り合ったのは高校三年になる直前の春休み。手紙のやり取りが始まったのは連休の頃だから、実質的には半年ちょっとになる。

 まだスタート地点なのはわかってるが、話したいことが山のようにあるのに、それを思い通りに書けないもどかしさが先立ってしまう。

「ネフェルだって都が努力してるのは知ってるし、なにより先はまだ長いんだ。」

 竜杜に言われて都は深いため息をつく。

「了解……そういえば……神の(とりで)、調査してるんだっけ。」

 都はネフェルと出会った、カーヘルの平原に建つ古い神舎(しんしゃ)を思い出す。

 そこは空の民の遺跡の上に創造神を奉る神舎を建てた珍しい来歴で、複雑に入り組んだ内部は、まさに『砦』と呼ぶのがふさわしい。

 しかしそんな神聖な場所で、呪術と呼ばれる禁忌を復活させようとする者たちがいた。 

 呪術とは言葉と音で大気を繰り、物や人や天気を変質させる行為。伝承によれば『黒き竜』を邪悪なものへ変質させたのもまた、呪術だという。不安定かつ危険な行為ゆえにずっと昔に禁止されたのが、今の時代まで秘密裏に伝えられてきたのである。

 その不正の痕跡を探す途中、都とネフェルは偶然、古い時代の文字らしきものを見つけた。それは「英雄の記」あるいは「英雄の書」と呼ばれる、一族の祖が残した文字に類似していて、その予備調査が始まったと少し前に聞いていたのだ。

「そろそろ報告書が上がってくる頃だろう。一族評議会からはクラウディアのご主人が参加してる。」

「歴史の教授だっけ。どんな人?」

「一族としては偏屈だが、人間的には人好きのするほうだろうな。」

早瀬(はやせ)さん家が門番って知ってるの?」

「いいや。言う必要はないと、クラウディアが判断したから。」

 ええっ!と都は目を丸くする。

「だってクラウディアさんも契約してるんでしょ?」

「契約してたって互いの全てを知ってるわけじゃない。俺だって、都が学校で具体的になにを勉強してるか知らないし……都だって俺が仕事で会ってる人は知らないだろう?」

「でもダールさんは、リュートが別の名前持ってるの知ってるんだよね?」

 竜杜と同じ隊に属する、彼の幼馴染を思い出す。

「ダールの親父さんは、父親が隊に入る力添えをした教官のような人だ。うちの事情も知ってたし、その関係で付き合いがあったし……」

「でもリィナは知らないんだよね?」

「今までリィナと接点がなかったからな。」

「接点って……わたし?」

 竜杜は頷く。

 オーディエ・ダールの妹リィナリエ・ダールは都より一つ年下の十七歳。もちろん竜杜は彼女が生まれたときから知っているが、年が離れていたためあえて会うこともなく、その名を頻繁に聞くようになったのは都が彼女と親しくなってからだ。

 都はマグカップを置くと、うーんと考える。

「ってことはリィナもネフェルも、わたしが辺境の島国の出身って信じてる?」

「嘘はついてないだろう。日本は島国だし。」

「そういう意味じゃなくて!」

「門のことは必要だと思ったときに、話せばいい。」

「話す?」言ってから「えっ!」と声を上げる。

「話すって……わたしが?だって門は機密事項なんでしょ?」

 慌てる都の様子に、竜杜はクスリと笑った。

「リュート!わたし真剣!」

「わかってる……が、仮にネフェルとリィナに告白したとして、支障があると思うか?もちろん驚くだろうが、それで二人が都を責めるとは考えにくい。」

「そんなの……わかんないよ。」

「仮に文句を言われたとしても、それは都だけが背負うことじゃない。」

「で、でも……」

「半分は契約相手たる俺の責任だ。なにより、共犯者が多いに越したことはない。」

「共犯者……」

 言葉は悪いが、要は早瀬家の事情を知る人たちのことである。

 いい例が早瀬の友人の宮原(みやはら)夫妻で、冴が二人の交際に反対し、それに不服申し立てをした都が家出したときも、彼らのおかげで話が納まった経緯がある。それに向こうの世界に単身乗り込んだ都をフォローしたのも、竜杜の従兄で共犯者のセルファとクラウディア姉弟だった。

「門番も一族の末裔には違いない。堂々と言えばいいだけだ。」

「簡単にできたら苦労しないよ。でも……」 

 付き合いが短くともネフェルもリィナリエも都にとって大切な友達。きっといつか、ちゃんと言わなくてはいけないのだろう。

「もし……もしも告白しなきゃいけなくなったら……リュート一緒にいてくれる?」

 上目遣いに見上げる婚約者に、竜杜は「もちろん」と微笑む。

「都が必要とするなら、いくらでも。」


「ただいまーっと。」

「お帰りなさい。リュート、少し前に帰ったとこ。フェスも。」

「うん。手前の信号で会った。明日も店があるからって言ってたわ。これ、香織(かおり)のおみやげね。」ヒールを脱ぎながら、(さえ)は紙の手提げを都に渡す。

「竜杜くんもフリューゲルの三代目が板についたかしらね。」

「最近、リュート目当てのお客さんもいるんだよね。」

「心配?」

「リピータが増えるのは、お店的にいいことだもん。それより香織さん、元気だった?」

「先月会ったでしょ。」

「そうだけど。」

「今回はグループ展の搬入で上京しただけだから、香織も慌しいのよ。」

「それにわたしが受験生だし……って言うんでしょ。」

「竜杜くんといっぱい過ごせたでしょ。」

「いっぱい添削された。」

 ダイニングテーブルに広げたままのレポート用紙の束に、冴は「あらま」と目を丸くする。

「ほんとだ。甘さがないのが竜杜くんらしいっていうか……あら、コギン、外飛んできたの?」

 ベランダの掃き出し窓からトコトコ入ってきた銀竜が「ぎゃう!」と声を上げる。

「途中までフェスのお見送り。これ?コギンの好きな羊羹だよ。」

 肩に飛び乗ってきたコギンに、袋の中を開いて見せる。

 きゅうきゅうと、嬉しそうな声。

「でももう遅いから、食べるの明日ね。」

「うきゅう~」

「デブトカゲになりたくないでしょ。」

「トカゲじゃなくて銀竜!って、これなに?」

 羊羹の包みとは別に、分厚い封筒を見つけて引っ張り出す。開くと、森を背景に優しい色の布を写した写真。

「今回のグループ展の案内状。都ちゃんも持ってって。」

「って何枚あるの?それに、女子高生にそんな需要……」

「だから無限大さんに持ってって。」

「はぁい。」ため息混じりに、都は返事をした。

次回更新も火曜日予定です。

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