第四十九話
「現状維持、か。ひどくならないだけマシね。」
「それなりに、しんどいんだけど……」
ベッドの上に起き上がった都は、冴の作ってくれた柚子とハチミツのホットドリンクをすする。食欲はないが、甘い味と爽やかな香りが気持ちを落ち着かせてくれる。
コギンも床に置いたトレイの上で、同じものをおいしそうに飲んでいた。
「学校は休みなさい。」
「でも終業式……」
「そういう問題じゃないでしょ!」
小さい子を叱るように冴は「めっ」と都を睨みつける。
「朝イチで学校には連絡入れるから、今日は大事取りなさい。だいたい夜中に熱のある人が、数時間で復活すると思ってるの?お友達だって心配するでしょ。」
正論を言われて返す言葉もない。
「責任の一端はあたしにもあるけど、それと学校行くのは別。」
「……冴さんのせいじゃない。一番悪いの、お母さんだよ。」
「実を言うとあたしも最初聞いたとき、わけ分かんなかったのよね。」
「いつから……知ってたの?」
「夏ごろかな。マクウェル氏がうちの事務所にコンタクト取ってきたのが。そう言われても証拠がないから、信じていいのか迷ってた。」
「今も?」
「彼の言ってることは正しいんだと思う……っていうのがあたしと香織の意見。」
「香織さん?」
突然出てきた冴の旧友の名前に、都は目をぱちくりさせる。
「さっきまで電話してたの。都ちゃんが産まれる前後はあたしも忙しくって、朝子と連絡は取ってたけど、香織のほうが会ってたはずだから。で、聞いてみたんだけど、香織も男の話なんてぜんぜん聞いてないって。」
「それどう考えたって、確信犯だよ。」
「かもしれない。本当は竜杜くんが一緒のときに話すつもりだったけど。タイミング間違えたかな。」
「さぁちゃんのせいじゃない。お母さんのせいだよ。」
むしろ冴はいつだって都のことを心配してくれてる。心配しすぎなくらい。
だからこんな夜中に目が覚めても、飛んできてくれるのだ。
感謝してもしきれないことを痛感する。
「わたしのこと、リュートには……」
「言わないで、って早瀬さんには伝えた。」
そういえば栄一郎の声がした、と言うと、冴は机の上に置いてあった書類封筒を差し出した。
「マクウェル氏から。早瀬さんが言付かって、栄一郎さんが届けてくれたの。手紙の話、聞いたでしょ?」
「まさか……現物?」
「そのまさか。銀行の金庫から急いで出してきたそうよ。」
「中、見たの?」
「封が開いてないもの。」
誰も読んでないわよ、と肩を竦める。
「マクウェルさんね、これを渡すためにずっと朝子を探してたんですって。」
「ずっと?」
「たぶん、お友達が亡くなってからだから……十八年?」
冴に言われて、都は困った顔をしていたに違いない。
「怨念なんてこもってないわよ。それともお祓いする?」
「それは、いらないっていうか、大丈夫!」都は慌てて首を振る。
「なら都ちゃんが持ってなさい。言葉で言うのは簡単だけど、大変だったと思う。朝子が契約してた雑誌もなくなったりしてるし、うちの事務所にも登録されてないし……その間に奥さま亡くしたり、たどり着いたら朝子が亡くなってたり……それを考えたらつき返すなんてできなかったって、早瀬さんも言ってたわ。」
「それは……わかる。でもわたし、いつ読めるかわかんない。」
「焦らなくていいわよ。都ちゃんに渡した。それだけで彼も安心してるはずよ。」
冴は空になったマグカップを受け取ると「もうひと眠りしなさい」と都を寝かしつける。
リビングに戻ると携帯がメールの着信を知らせていた。一瞥し、すぐにリダイヤルする。
ワンコールで相手が出た。
”良かった。まだ起きてたんすね。”
三芳啓太の声。
「何か出たの?」
”出たっちゃ出たんですが……開けていいのかどうか。”
「なにそれ?」
”謎の物体なんすよ。”
「あー。」
”心当たりあるんすか?”
「ない。けど言いたいことはわかる気がする。とりあえずそういうの他にもあったらよけといて。朝になったらそっちに行くわ。」
”てことは、やっぱ全部開封かぁ。”
うひゃー、と叫ぶ声。
「調査料、深夜料金でと払うわよ。」
”あー、いやそれは普通に調査料だけ請求しますよ。オレも都さんのこと心配だし。それと気になること思い出したんで、専門時代の仲間にメールしてみたんすけど……”
三芳はそう言って「気になること」と冴に説明した。
話を聞き終えた冴は「ありがとう」と言って電話を切る。
ふう、と大きなため息をついてリビングスペースを振り返った。
位牌の隣にある在りし日の親友の写真にむかって、「ったく」と舌打ちする。
「一人で抱えてんじゃないわよ。悲劇のヒロインが似合わないの、わかってんでしょ?」
少し眠ったらしい。
気配を感じて目を覚ますと、小さな冷たい手が頬に触れた。
「コギン?」
「ぎゅ。」
「え?」
寝ぼけ眼の都に、コギンは何事か訴える。
きゅ、と鳴いて目の前から消えると、ボイスレコーダーを掴んで戻ってきた。
「リュートの声……受け取ったの?」
やっと現実に引き戻される。
スタンドの明りを頼りに時計を見ると、まだ夜中の時間帯。だとすると、実際受け取ったのは昨日のうちか。
もそもそと腕を伸ばしてレコーダーのスイッチを入れる。
”都……もしかして何か起きたんじゃないか?”
「うーん、熱出してる……」
”何もなければいいが……戻るのが遅れそうなんだ。予定外のことが起こって、行動が未定になった。”
予定外、という言葉に都は思わず上体を起す。
”詳しいことは戻ったら話すが、これから聖堂にマーギス司教を案内しなきゃならない。ネフェルも一緒だ。”
「ネフェルと、マーギスさまを?」
”そういうわけでもう少し待っててくれ。学校は明日で区切りだろう。せっかくの休みに一緒にいられないのは残念だが、用が済めばすぐに戻る。”
その後に続くのはラグレス家の様子と、なにかあればフリューゲルを頼るようにという助言。
そして最後は、彼なりの愛情表現でしめくくる。
銀竜が金色の瞳を開いた。
レコーダーのスイッチを切りながら、都は首をかしげる。
神舎の司教であるマーギスが聖堂に何の用があるというのだろう。いったい向こうの世界で何が起きているのか。それに竜杜が慌しい状況にあるのに、自分が何も感じないのはどうしてなのか?
「やっぱり熱のせいかなぁ。でもそんなんじゃ、やっぱこの状況、言えないよね。」
はぁ、と都は大きく息をつく。
どうしてこうも肝心要のときに、彼の役に立てないんだろうと呆れる。
「とにかく、熱、どうにかしなくちゃ。」
都はコギンをなでると、もう一度、毛布にもぐりこんだ。
男は足を止めた。
空を見上げると月は細く、目の前を流れる川面も暗く澱んでいる。背後の土手を越えた道路には街灯が灯っているが、ここまでは届かない。
川面を風が走るたび、乾いた草がザワザワ音を立てる。
「久しぶり、だな。」
―眠ってたから。
「具合、悪かったのか?」
―どうかな。でも、気分いいかもしれない。
瞬時に返ってくる声に、男は満足そうに薄く笑う。
本当は声でないのかもしれない。
音のようでもあり、文字のようでもある。
どこの国の言葉なのか、男か女なのかもわからない。
それにここしばらく、呼んでもまったく応えなかった。
その代わりに感じたのは、「声」とともに自分の内に棲む「黒い靄」の力。この力が勝るとき、声はそのなりを潜める。
つまり彼らは表裏一体。
一年ちょっと前、白い竜とそれを繰る男に負けたとき、この力はほとんど表に出ることはなかった。しばらくして「声」が聞こえるようになると出現率はフィフティ・フィフティ。そしてここ数日、声は完全に圧制され、力が満ちてくるのを感じた。
だから人気の少ない河川敷にやってきたのだ。
ここなら彼らが暮らす街と離れているので勘付かれにくいし、こんな夜中なら力を試すこともできる。
―なんだか嬉しそうだね。
(まーな。すっげー楽しみなんだ。)
男はジャンパーの袖をめくった。その腕に走るのはケロイドのような傷跡。
この傷のせいで、あの一戦を忘れた日は一日たりともなかった。
―空の民も、なんだか楽しそう。
(空の民、って黒い奴のことか?)
―そうだよ。竜は空を治める一族だから。
(つまり空の覇者、か。)
―はしゃ、ってなぁに?
(空の王様だ。)
―王様はリラントだよ。竜騎士は英雄の子孫なんだ。
(なんだ、それ?)
―知らないの?言い伝え。
(知らねーな。それに竜騎士はオレが倒す!)
沈黙。
代わりに、まるでモニターのような別の映像が目の前に重なる。
ひゅう、と男は口笛を吹く。
「いいね。オレもそろそろ、動きたくてたまんなかったとこ。」
つと、漆黒色の空を見上げる。
足元から湧き上がる黒い靄。
やがて靄が男を包み込む。
やがてそこに人の姿はなく、黒い影が空に吸い込まれて行った。
来週も予定では火曜日更新・・・ですが水曜日にずれ込むかもしれません。




