第四十七話
「この神舎始まって以来の失態です。」
メルヴァンナは今日何度目になるかわからない、大きなため息を吐き出した。
「メルヴァンナさまのせいではありません。」
なだめる医務官も、すでに何度この台詞を言ったことか。
「しかも怪我人まで出してしまって……」
「たいしたことないと、言ってるじゃないですか。」
額に膏薬を貼り付けたカフタが、やはり何度目かの台詞を言う。
彼らがいるのは神舎の食堂。普段静かに食事をする場に、神舎に仕えるもの全員が押し込められいるのだ。最初は動揺していたが、時間が経ってそれ以上危害がないと知れると落ち着きを取り戻した。
「それに礼拝に来た人たちは皆、外に出たではありませんか。」
「ええ。あんなにあっさり……」そこまで言って、メルヴァンナは再び頭を抱えた。
「まさかマーギスさまや本舎が危惧していたことが、本当に起こるなんて……」
「メルヴァンナさま、その話、ここでは……」
他の修士を横目で見ながら、カフタが首を振る。
「ええ、わかってます。」
本舎から通達が来たときは半信半疑だった。けれどマーギスが神の砦で実際に呪術に接したことで、それは現実だとメルヴァンナも認識した。
したが、実感はなかった。
なのに彼らは現れた。
夕刻の礼拝の準備のさなか、突如黒い外套と頭巾を被った一団が押し入ったのだ。彼らは言葉巧みに信者を外へ追い出すと、祭壇にいたメルヴァンナに歩み寄った。
「司祭さまですね。司教さまはどちらでしょう。」
喋る声、そして外套越しの体つきから察するに、相手は若い男。
「司教は用あって、ここを離れている。」
「なら司祭さまで結構。しばらく祭壇をお借りします。」
「ここが祈りを捧げるところだと、知っての言葉か?」
「もちろん。我々は祈りを捧げに来たのですから。」
「その格好で、か?」
「我々とて、神に対する礼儀は心得てます。ただし司祭さまが敬う神とは違いますが。」
その言葉で、メルヴァンナは神の影のことを思い出したのだ。
「我々には祈りの場がない。だからお借りします。それ以上、手荒なことをするつもりはありません。」
そう言って、黒頭巾たちは神舎の中にいる全員をこの食堂に押し込めたのである。
否。
二人の修士が、後から連行されてきた。
マーギスの直弟子、カフタとオゥビである。
しかもカフタは額から血を流していて、オゥビに肩を支えられていた。
いわく、時間稼ぎで殴ったら殴り返された、らしい。
「塔の上からレイユを放つ間、下で時間稼ぎをしてもらったんです。」
オゥビが言うには二人でマーギスの執務室を片付けている最中に、レイユが突然怯えたのだ。不審に思ったオゥビが外に銀竜を放とうとしたそのとき、二人は礼拝堂の異変を感じ取った。慌ててレイユを捕まえると、オゥビはそのまま塔を上って銀竜に声を託し、空高く放ったのである。
「ではレイユは神舎から逃げ出せたんですね。」
あの小さな生き物が影の祈り……呪術の巻き添えを喰らったら、それこそマーギスに申し訳が立たない。
きっとマーギスもこの騒ぎを聞きつけているだろう。間違いなく心配しているはずだが、様子を知らせたくとも部屋は外から重しが置かれ、その上見張りもいる。出入り口と反対は植え込みを挟んで高い塀に面しているが、残念なことに手の届くところに窓はない。天井近くの窓から見える外は、すでに漆黒の夜。
いったい礼拝堂で何が行われているのか?
それに彼らは何が目的なのか?
そんな堂々巡りの不安を巡らせるメルヴァンナに、オゥビが小声で話しかけてきた。
「確認したのですが、連中は神の影に祈りを捧げると言ったんですね。」
「はっきり言ったわけではない。だがそう受け止められる言い方だった。」
「それを言ったのは若い男?」
「恐らく。なにを、する気だ?」
「この状況を外に伝えます。」オゥビは天井近くにある窓を指で示す。
見ると数人の修士が机と椅子を積み上げ、どこからか外してきた吊り金具を天井につけ、紐をかけていた。その先に吊るすのは明り。
「そんな小さな明りで?」
「誰かが気づいてくれることを、祈ってください。」
最初に気づいたのは、神舎の裏手を見張っていた若い巡査だった。
「光、だと?」
報告を受けたオルフェルは眉を持ち上げた。
「そうです。小さい光が何度もこう、点いたり消えたり。何か信号じゃないかと。」
「なぜそう思う?」
「祖父から、昔そういう信号を使ってたって話を散々聞かされたんで。」
いわく、元軍人だった祖父が実演してくれた光の点滅に似ていたのだという。
「解読できたのか?」
いいえ、と首を振る。
「自分が知ってるのとは違うらしくて……」
「信号ってのは連合軍で統一されてるんじゃないのか?」
「例外もある。」
口出ししたのはオルフェルと共にずっと待機している、別の分署の巡査長だった。オルフェルより年下だが、そういえば公安に入る前は軍にいたと聞いたことがある。
「例えば竜隊。空で使う手話は、彼ら一族がずっと使ってきたものが正式に採用されている。アバディーア海軍もそうだ。」
「アバディーア海軍?ノンディーア海軍じゃないのか?」
「ノンディーアはアバディーアの港町の名前だ。ノンディーア領地が隣国との国境を守るために作った私設軍がそのまま継承されたんだ。それにノンディーアには軍神を奉る神舎もあるから……」
(オゥビさんはノンディーア海軍にいたんですよ!)
オルフェルの脳裏にキャデムの言葉が蘇る。だとしたら……
「その例外を解読できるのは、ガッセンディーアにいるのか?」
「暗号の専門家なら造作ないはずだ。」
オルフェルは若い巡査を振り返る。
「急いでガッセンディーア駐屯地と駐屯分隊に行ってくれ!」
「たしかに、代々申し送りされてる。」
「申し送りって……なんで総務に?避難経路は隊全体に共有されるんじゃないのか?」
「逃げ道というより、書類の保管場所に指定されてる。今回みたいに竜を繰る連中が出払ったら、残った連中でここを守るしかないだろう。」
そう言って、制服姿の事務官は書棚から一冊の革表紙の本を引き抜いた。
彼とリュートがいるのは、ガッセンディーア駐屯分隊の中にある資料庫である。
無事にここまでたどり着いた彼らを出迎えたのは、コーゼン分隊長だった。そして地下道のヒントをくれたのもまた、彼だったのである。言われたとおり事務官に尋ねると、あっさり「あるよ」という返事。
「誰か歩いたことあるのか?」
「最後に人が地下道を歩いたのは二十年前。それも聖堂詰めの奴だと聞いてる……と、これだ。」
渡された革表紙の中は、変色したインクの文字が並んでいた。
それは代々隊の事務を総括する部署がつけた記録で、ここにあるのは連合国になったここ百五十年分。それ以前の記録は、同じように装丁して聖堂の書庫に保管されているという。
「つまり、総務は隊の記録係でもあるのか。」
「祭りの準備だって、みんな過去の記録を見ながらやってるだろう。それで、先達の記録によると、二十年前に地下道を歩いた奴は、道筋に光石を置いてきたと書いてある。」
「それが正しければ助かるな。」
「本気で歩くのか?」
「俺だって好きで歩くわけじゃない。」言いながらページをめくったリュートは、そこにあった名前に目を見張った。
「これ……」
「お父さまが?」
革表紙の記録帳を手にしたネフェルは目を丸くした。
「どうやら二十年前に興味本位で聖堂からここまで歩いたらしい。」
「ネフェルのお父さんって、ここにいたの?」
お茶の入った器を持ったまま、ショウが首をかしげる。
分隊の食堂で、彼とネフェルは勧められるままフェスを伴って休んでいたのだ。
ほんのり赤みが戻ったネフェルの肌が、文字を追うごとに興奮気味に紅潮する。
「お父さまはそのときから聖堂の警備をしていたみたい。分隊にいる同期が出口の鍵を開けた、とあるわ。」
かかった時間や出入り口の様子が事細かに書かれているのは、当の本人が言ったことをそのまま記録したのだろう。読めば読むほど、スウェン・オーロフが確信犯だったことがわかる。
「お父さまらしい。」
ネフェルは微笑んだ。
「それにコンロッドの言うとおり地下道があることがわかった。」
「ええ。読んだ感じだと……」とネフェルが言いかけたとき。
あっ!とショウが声を上げた。
振り返ると、そこにはセルファ・アデルの姿。
皆を見ると、ホッとしたように笑みを漏らす。
「ネフェルもショウも無事でよかった。キャデムとマーギスさまは?」
「ここにいる。」
たった今セルファが飛び込んできた戸口にキャデムが姿を現す。その後ろにはマーギスの姿も。
「分隊長に今までのことと、これからのこと、報告してた。」
「アデルの坊ちゃんはどうしてここに?」
戻ってきた二人と飛び込んできたセルファのために、リュートは追加でお茶を頼んだ。一息つく暇もなく、セルファは懐から書状のような物を取り出しリュートに渡す。
「トランと入れ違いに届いたんです。例のカルルを盗んだ男の足跡です。」
リュートは畳んである紙を開いた。
小さな文字がびっしり並ぶのを目で追いかける。
その間、セルファは二十七年前にラグレス家の銀竜が盗まれた事件を簡単に説明した。もちろんマーギスは詳細を知っているが、黙ってセルファの話に耳を傾ける。
あー!と声を上げたのはキャデムだった。
「だからリュートの親父さん、銀竜の絡む事件を知りたいって言ったのか。オレも誰が銀竜を売ってるのか、気になってたんだよ。」
「銀竜……売ってるの?」ショウが驚く。
「少なくともガッセンディーアで保護した銀竜の所有者は、買ったって言う奴が多かった。」
「おおっぴらにできない物を扱う商人がいる、ということなのでしょう。伯母の告白がなければ、伯父も父も、それに私も気に留めませんでした。」
「確かに商人は商人だが……」
唸るリュートにセルファは頷いた。
「ええ。合法、非合法問わず。何度か公安の世話にもなってます。」
「そんな生易しいもんじゃないぞ、これ。」
「犯罪集団の親玉にでもなってる、とか?」とキャデム。
「二十年前に死んでる……というか殺されてる。」
えっ、と一同が息を呑む。
「自宅に強盗が入って殺されたとある。犯人はわからずじまい。」
「気になるのはその後です。奥方の死体は傍にあったが、家にいたはずの子供たちの死体は見つかってません。」
「行方不明の男児二人。二人とも五歳だったってことは、つまり……」
「恐らく、私とクラウディアのように双子ではないかと。」
「双子?」マーギスが声を上げる。
まさか、と呟きじっと何かを考える。
「バセオが面会したとき……ゼスィは自分を影の月と呼んだそうです。」
「影の月と光の月の?」
「イーナム……」ショウが呆然と呟く。
「え?」
「先生のもう一つの名前。」
「ロムラ・イサザじゃないのか?」
「そうだけど……子供のときイーナムって呼ばれたことがあるって、話してた。」
「イーナムってホルドウルの古い言葉で光の月……」ネフェルも呆然とする。
それは天に浮かぶ二つの月。
そして二人の同じ顔を持つ男たち。
言葉にしなくとも、皆が同じことを考えていた。
「断定はできません。」セルファが言った。
「だがそれ以外、本舎に収監された男と瓜二つの人間がガッセンディーアにいることの説明はできない。」と、リュート。
重苦しい沈黙を破ったのはコーゼン分隊長だった。
「ラグレス!カイエ巡査!」
「ここです。」
「セルファ・アデルも来てたか。」コーゼンは大股でやってくると紙片をリュートに渡した。
「たったいま、公安から要請が入った。」
「ノンディーア海軍、もしくは竜隊の信号解読のできる人を寄越してほしい?」
リュートが読み上げるのを、をキャデムが横から覗き込む。
「オルフェル巡査長の字だ。それにノンディーア海軍って……」
マーギスが頷く。
「オゥビとカフタ……私の弟子がかつて所属していた部隊です。」
「オゥビさんが外に知らせようとしてる?」
「だとすれば、皆、無事でいるということ。」
「神舎に行きますか?」
コーゼンの問いにマーギスは首を振った。
「一刻も早く聖堂に……評議会議長どのに会いに行きます。」
「地下道を使って?」
「ええ。聖堂に面会許可をもらうより早そうですから。」
「オレとリュートがご一緒しますよ。な!」
「私も行きます!」ネフェルが立ち上がった。
「私は神の砦の地下を知ってます。これを読むと、近しい場所のような気もするし、それにお父さまが歩いた道なら、私も歩きたい。」
「ぼくも行く!」
「ショウまで?」リュートは驚く。
「一刻も早く行かなきゃならないのは司教さまと同じだから。これはぼく自身の責任だから、何が起きてもリュートのせいにしないよ。」
「その言葉、忘れるなよ。」
次回の更新も火曜日予定です。




