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第四十四話

「言われてみれば、聞いていません。」

「ですが鳴って当然の時間です。」マーギスの言葉にバセオも大きく頷く。

「まさかメルヴァンナさまに何かあった?」

「もしそうだとしても、鐘を鳴らさない理由になりません。」

「本当に、鳴ってないのか?」リュートはコンロッドを振り返る。

「毎日合図にしてるんだから間違いない!」

「合図?」

「夕方の予鈴が鳴るまで酒は口にしない!祖父さんの代からのしきたりだ!」

 力説する語り部の言葉にかぶさるように、隣の部屋から激しい銀竜(ぎんりゅう)の鳴き声が聞こえた。

 同時に扉が開いて、休んでいたはずのショウがフェスを抱いて飛び出す。

「リュート!フェスが何か言ってる!」

 銀竜はリュートの手に飛び移ると、短く、そして激しく何度か鳴いた。

「外?」

 つと、フェスが飛び上がる。

 リュートはハッと気付くと、屋根の傾斜に沿って低くなっている天井に駆け寄った。

 天窓を開く。

 待ちかねたように、何かが飛び込んだ。

「ぎゃう!」

 銀竜だった。

「えっ?」

「レイユ!」

 主人であるマーギスが名を呼ぶと、レイユは部屋を一周して彼の差し出した腕に止まる。白くつややかな羽根を畳むと、甘えるように喉を鳴らした。

「レイユ、いったい……神舎(しんしゃ)から飛んできたのですか?」

「他に神舎の人らしきは見当たらないな。ん?」

 言葉を濁したコンロッドの隣から、リュートも窓の外を覗いた。

「なんか不審じゃないか?あれ。」

 彼が指差した先には、立ち止まり、上空を見回す公安巡査の姿。

 あっ!とリュートは声を上げた。

 慌てて部屋を飛び出すと階段を駆け下りる。

 果たして一階にたどり着くと、激しく入り口を叩く音。

 扉を開けると、転がるように入ってきてのはキャデムだった。

「リュート!」肩で息をしながら、

「いま……銀竜がここに来なかったか?」

「マーギス司教の銀竜なら……」

「やっぱりレイユか!あれ!新市街に入るとこで見つけて追いかけてきて……無事でよかった。」

「無事って……何かあったのか?」

 リュートが言うのとほぼ同時に、背後で階段を駆け下りてくる激しい足音。

「リュート!大変です!」

 バセオが駆け込んできた。

 キャデムが目を丸くする。

「レイユがオゥビの声を!」

「声?」

 と、バセオの後ろからレイユを携えたマーギスも姿を現す。

 それを見たキャデムが、口をあんぐり開ける。

「神舎が何者かに占拠されたようです。そうですね?カイエ巡査。」

「な、なんで!マーギスさまがこんなトコいるんですか!」


“黒い外套の一団が神舎の入り口を封鎖したようです。人数は不明。詳しい状況も不明。自分とカフタは塔の上にいます。レイユがひどく怯えるので、塔から街に向かって放ちます。無事にたどり着いたら、そのまま安全な場所で保護してください。執務室での怯え方が尋常じゃなかった。だから……マーギスさまもそのまま安全な場所に。バセオ、レイユとマーギスさまをお願いします。”

 オゥビの声はそこで終わる。

 トランとコンロッドが借りている事務室で、キャデムとショウを含めた全員が、レイユに託されたオゥビの言葉を聞いていた。

 レイユが金色の目を見開く。マーギスはねぎらいの言葉をかけると、つややかな背をなでた。

「つまり……神舎が何者かに占拠された……ということか。」

 メラジェが腕組みをして唸り、ネフェルとショウは信じられないといった面持ちで顔を見合わせる。

「人数も素性も不明……」ちっ、とキャデムが舌打ちする。

 彼の情報によれば、最初は夕刻の礼拝に集まった人々からの苦情だった。

「神舎から追い出された」と口々に言うのを不審に思い駆けつけてみると、いつもは開かれてる神舎の扉が閉ざされていた。そればかりか窓も、どこもかしこもぴったり閉まり、まるで篭城の様子。叩いても返事すらなく、公安も途方に暮れているところだと言う。

「強制的に踏み込むために本舎の許可が必要じゃないか……ってのを署長に説明しにいくとこだったんです。」

 その移動途中で、はるか上空から滑空してくる銀竜を見つけた。

 瞬時にそれがレイユでないかと思ったキャデムは、署長への説得を同期に任せ、銀竜を追いかけてきたのである。

「まさかマーギスさまがこんなところにいたとは……それに、リュートも戻ってたんだな。」

「聖堂に呼び出されてるが、神舎がそんなじゃ、街中の治安も怪しそうだな。」

「いまんとこ人だかりができてるのは神舎の回り……旧市街だけだ。」

「ショウもリュートもヘザース教授も、嫌な感じはないんですよね?」と聞いたのはトラン。

「それにフェスも。」

 フェスが「きゅ」と首を縦に振る。

「しかしオゥビはレイユが怯えていたと言ってます。」

 彼らも平原の神舎で、弱りきったフェスの姿を見ている。不穏なことに敏感な二人がそれを踏まえてレイユを神舎から遠ざけたのだとしたら、意味するところはただ一つ。

「それにたいした騒ぎもなく、あっさり神舎を占拠できる方法を、私は知りません。」

 不特定多数の人間が出入りする神舎には、もちろん警備の役目もいる。にも関わらずそれを成しえたのは普通ではない。

「何らかの力が働いた可能性が、ある……か。」

 呟くリュートに、キャデムが懇願した。

「頼むから、オレにわかる言葉で話してくれ!」

「と言われても……」

「オレが信用できないか?」

「そうじゃない。信用されそうにないのはむしろ……」

「いいから教えろ!じゃなきゃお前のガキの頃の話、ここで暴露するぞ!」

「公私混同するな!」

「こっちは切羽詰ってるんだ!」

 幼馴染の気迫に、リュートは言葉を呑む。

「オレにはガッセンディーアの治安を守る職務がある!それとも正式な令状が必要か?」

 それでもなお躊躇うリュートに、マーギスは言った。

「関係あるかないか、カイエ巡査に判断してもらってはいかがでしょう。幸いカイエ巡査は現場の状況を見ています。それに巡査も、上司のオルフェル巡査長も信頼に値します。」

 リュートは渋々頷いた。

「言っとくが、あくまで可能性のひとつだ。普通に考えればありえないことだからな。」

 そう言って神の砦であったこと、呪術の可能性を淡々と説明した。もちろん、ショウの持っていた守り札のことも。

「呪術ぅ?」案の定、キャデムは驚く。

「フェス、そんなのに巻き込まれたのか?」

 フェスは「きゅきゅ」と喉を鳴らす。

 それを肯定と受け取ったキャデムは「あ!」と声をあげた。

「そっか。だとしたら……信者の言ってることは正しいのか?」

「礼拝に来た人たちに何か被害が?」

 慌てるマーギスにキャデムは手を振る。

「そういう被害はないです。ただ、揃って妙なこと言ってて……自分の意思に反して、勝手に礼拝堂の外に出てしまった気がするって。」

「そいつだ!」コンロッドが机に身を乗り出す。

「さっき燃やした文字の効能!」

「人の動きを操る?」

「そんなとこ。神舎てのは聖堂と同じく大気が安定してる場所だから、発する音が正しければ、より効果的なのかもしれない。」あくまで想像だが、とコンロッドは付け加える。

「じゃあ……」と青ざめた顔でショウが訊ねる。

「もし、すごく力のある呪術が神舎で使われたら?」

「黒き竜を生み出すほどじゃないが、何かしら影響があるだろーな。街にも聖堂にも竜にも。」

「マーギスさま!」バセオが顔を上げた。

「神舎を乗っ取ったのが彼だとしたら……」

「今、神舎に戻ることは許しませんよ。」

「自分なら司祭の顔も、ゼスィに似た男の顔もわかります!」

「だから、です。もし彼だったら、逆にあなたを覚えている可能性がある。」

「しかし……」

「お二人は、神舎を乗っ取った人物に心当たりがあるんですか?」キャデムが首をひねる。

「先ほどの話より、ずっとずっとわずかな可能性です。気のせいといえるほど。」

「神舎で呪術を使った事件なんて、聞いたことないな。」とメラジェ。

 そうでしょう、とマーギスは頷いた。

「十年以上昔のことです。それにホルドウルの田舎の、小さな神舎でのことですから。」

「その話、聞かせてください!」

「年若い方に聞かせて、楽しい話ではありません。」

「私もお聞きしたいです。ホルドウルってマーギスさまの生まれ故郷ですよね?」

「ネフェル、呪術は関わるべきでないと……」

「いまさら因縁が一つ増えても大したことではありません。それに、カゥイさんとシィガンさん、ラグレスさんはご存知なのでしょう?」

 否定できず、三人は顔を見合わせる。

 気まずい雰囲気の中、トランが口を開いた。

「たしかに聞いてます。が、マーギスさまとバセオの私的な事情に関係するので、ぼくらからお話しすることはできません。それに司教さまの言うとおり、気味のいい話ではありませんし……」  

「それでも聞きます!」

 きっぱり言ったのはショウだった。顔をこわばらせ。けれどはっきりマーギスに向かって意思表明をする。

「ぼくも、聞かないといけないんだと思う。だってぼくも、関わった一人だから。」

「もっと辛い思いをするかもしれない。」

 そう言うリュートに、ショウはわかってると頷く。

「でも知りたいから。本当に先生に悪意があったのか、それとも……」きゅっと掌を握り締める。

「わかりました。」 

 少年の決意を迎え入れるように、マーギスは頷いた。 

「今回の件に関係あるかどうかわかりませんが、私が関わった呪術のこと、お話しましょう。」

 そう言ってマーギスは話し始めた。

 そのしばらく後、アデル商会の倉庫から程近い場所にキャデムとコンロッドとトランの姿があった。三人はあるところまで来ると、それぞれ別の道に別れる。そうしてあっという間に夜の街に消えていった。

 

「マーギス司教は?」

 一旦、自室に戻っていたリュートは、姿の見えない聖職者を探した。

「一人で考えたいとおっしゃって……」

 バセオが示したのは、倉庫の通路を突き抜けた先の小さな裏庭。どうやら銀竜と共に思索にふけっているらしい。

「レイユが一緒なら大丈夫か。すまないが手を貸してくれ。」

 言われてバセオは、彼が運んできた茶器を手際よく机に並べた。

 その間にリュートは暖炉を覗き込む。コンロッドが置いていった鍋から勝手に湯をもらって、早瀬家から持ってきたティーポットに移す。腕時計で時間を計り、琥珀色の液体を茶器に注ぐ手つきは堂に入ったもの。

 メラジェとネフェル、ショウの前に茶を置くと、箱に入った砂糖菓子も勧めた。

「不思議な香り。」

 茶器を手にしたネフェルがそっと香りを吸い込む。

 ショウも暖かい器の感触にホッとする。

「これは……なんとも不思議な茶だな。辺境のものか?」メラジェが茶器を覗き込む。

「紅茶……という種類だ。これは特にミヤコが気に入ってる。」

「本当に独特ですね。燻したような香りも混じってます。」薬師も物珍しげに味わう。

「これ……懐かしい。」ネフェルは薄紙にくるまれた砂糖菓子に口元を緩めた。

「ミヤコと知り合ったとき、もらったのだわ。」

 口に含むと、あのときと同じ花の香りと甘味が広がる。

 神の砦の地下で出会い彷徨ったことが、懐かしく思い出される。

「うちの料理人が都に持たせたんだな。いつも村の店……キャデムの実家で買ってるんだ。」

 それに今は、疲れた身体に甘いものがありがたかった。

 緊張から解き放たれたティータイムに、ショウの顔色も心なしか良くなってきている。

「キャデム、無事に着いたかな。」砂糖菓子を噛み砕きながら、ショウは暗くなった窓の外を見る。

「あの三人なら大丈夫だろう。」

 それにセルファには、ルーラを介してこちらの状況を伝えておいた。その次にどうするかは、待っていればおのずと答えが出るはずだ。

「なんか適当っぽいけど。」

「闇雲に動かないほうがいいと言っているんだ。竜に乗る者の勘は、ただの勘じゃないからな。」と、メラジェ。

「なに、それ?」

「竜隊の教本に書いてある。」

「へぇ。ねぇ、そういえばなんでリュート、髪切ったの?前は長かったよね?」

「そうなんですか?」バセオが目を丸くする。

「だって竜に乗る人ってたいてい長いでしょ。」

「わたしは短い。」

「だってヘザース先生、竜に乗らないじゃん。ぼくもだけど。」

 くすくすとネフェルが笑った。

「私知ってる。ミヤコが長い髪、好きじゃなかったんですよね。」

「といっても切ったら切ったで、すごく普通としか言われなかった。」

 えー!とショウが身を乗り出す。

「それだけ?かっこいいとか、似合うとか……」

「……なかったな。」

 こらえ切れず、ネフェルが声を立てて笑う。

「ごめんなさい。でもとってもミヤコらしくて……」

「同感です。」

「マーギスさま!」

 にっこりとマーギスは頷きかける。

「私にもお茶をいただけますか?」

次回、火曜日更新予定。

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