表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/66

第四十一話

「きみが悪名高き論文を書いた本人か。」

「悪名高いかわかりませんが……なにしろ聖堂(せいどう)に出入り禁止なって久しいので。」

 自己紹介もそこそこ切り出したメラジェ・ヘザースに、トラン・カゥイは淡々と応える。

「学問なんてそんなものだ。常識といわれるものに異論を差せば、常識が替わるまで小言を言われる。」

「それは同意します。ですが教える立場では常識は大切です。もちろん、想像の余地は必要ですが。」

「同感だ。ところで、なぜここにいる?」

「応接室を手配してもらうべきだったか?」

 二人のやり取りを傍観してたリュートが、部屋をぐるりと見回した。

 三人が顔を突き合わせているのはガッセンディーア神舎(しんしゃ)にある、マーギス司教の執務室である。大きな黒光りのする机の傍らには聖典を含めた本と、書類を収めた棚。扉の近くには外套掛けと姿見が備え付けられた質素かつ、実用的な空間。三人が腰掛けている木の椅子も、机同様、年季が入っているようだ。

「これからトラン・カゥイ会いに行く」

 聖堂でそう答えたリュートに、メラジェは同行させて欲しいと願い出た。もちろんリュートに断る理由はなく、途中、アデル商会にルーラを預けながら神舎にやって来たのである。道すがらリュートは、トランとマーギスが父の古い友人だと説明する。そしてその言葉に違わず、当然のようにマーギスの執務室に通されたのだが……

「もっと広い部屋がよかったか?」

「そうじゃない!」メラジェはぐっと身を乗り出し、

「トラン・カゥイは英雄と銀竜の研究者だろう。だがここはルァ神の神舎だ。」

「カゥイ先生には、私の故郷の話を聞いてもらってます。」

 扉が開く音と共に、声がした。

「部屋の外から声が聞こえたもので……お久しぶりですね、ヘザース先生。それにリュート、お待たせしてしまいました。」

 ようやく登場した部屋の主に、メラジェは立ち上がって挨拶をする。

「こちらこそ、神の砦に出向いた際のお手配、ありがとうございました。」

「不都合はありませんでしたか?」

「向こうの司祭さまも協力的で助かりました。」

 それはよかった、とマーギスは微笑む。

「ところで今おっしゃった、司教さまの故郷とは?」

「南の山深くにある集落です。」マーギスは手にしていた経典を執務机に置いた。

「人は住んでいませんが、伝承が多く残っていましてね……ガラヴァルの父親の出身地だとか、豊穣の姉妹の末裔だとか。」

「それは……たしかに興味深い。」

「かつての村人も、私を含めて皆、老いてきました。伝承を記録するなら今しかないと思って、先生に協力をお願いしたんです。それと近頃は銀竜のことも、いろいろ教わっていましてね。」 

「そういえば、リュートの銀竜はどうした?」

 メラジェは辺りを見回した。神舎の入り口までリュートの肩にしがみついていたフェスが、いつの間にかいなくなっている。

 と、開け放した窓から白い影が飛び込んできた。

 影は二つに分かれ、一つはマーギスの執務机の上に、もう一つはリュートの膝の上に舞い降りる。

「お帰り、レイユ。」

「フェスも戻ったか。」

 メラジェは目を丸くした。

「まさか……司教さまの銀竜(ぎんりゅう)?」

 思わず立ち上がり、レイユと呼ばれた銀竜の様子を伺う。

「私が名付けた銀竜です。」

「俺も会うのは初めてだ。」

 そう言ってリュートが差し出した手に、レイユが飛んで来た。

 聞いていた通り羽根の一部が切れて古傷のようになってるが、それ以外、目立った傷跡は見当たらない。気性もすっかり落ち着いたのか、リュートが背をなでると目を細めた。

「フェスに神舎を案内してくれたのか。」

「くぅ」と喉を鳴らすと、レイユは再びマーギスの元へ飛んでいく。

「ラグレス家が斡旋したのか?」

「斡旋というか、父が仲介したようなものだ。」

「マーギスさまが名付けたとき、ぼくもその場にいました。だからガッセンディーアに来ると顔を見たくなって……」こうして様子を見に来るのだと、トランは言った。

「私も銀竜の主人になったのは初めてなので、カゥイ先生が立ち寄ってくれるのは心強いですよ。」

「そういうことなら、神舎にいるのも納得です。」

 メラジェは頷くと、トランに問いかけた。

「英雄時代の文字は読めるな?」

「語り部ほどではありませんが。」

「結構。神の砦で起きたことはどこまで知ってる?」

「事件そのものはリュートとマーギスさまから聞いてます。なにしろ二人とも当事者ですから。」

「文字のことは?」

「見つけた経緯と、あなたが現地調査に派遣されたことと、あなたが専門家に声をかけてることくらいです。ぼくが知ってるのは。」

「それ以上のことは、まだしてない。」

「まだ?」

 それには答えず、メラジェはリュートを振り返る。

「リュートはあれを見て、どう思った?」

「もし本当に英雄時代の記録なら大発見だろう。少なくとも一族にとっては。」

「それだ!」ぱちんとメラジェは指を鳴らす。

「あれは聖堂で調査すべきものだと思わないか?」

「いや……いきなり言われても……」

「だいたい、あれは神舎で扱えるものじゃない。」

「なぜでしょう?」と言ったのはマーギス。

 その問いにトランが答える。

「英雄時代の文字の実物を保有しているのは、ガッセンディーアの聖堂しかありません。それを読むことができる人は、一族にかかわりのある場合がほとんどです。ゆえに、英雄時代の文字を研究するとしたらガッセンディーア以外ありえません。」

「つまり、よそに専門家はいない。それでも神舎は研究の主導権を主張してくるだろう。」

「なるほど」とマーギスは頷く。

「ヘザース教授が心配してるのは本舎ですね。もし本舎が“神の砦”ごと保護すると言い出せば、件の文字はその先開示されない可能性があります。」

「そんなこと……」

 できるのか?と半信半疑のリュートにマーギスは苦笑した。

「本舎の融通の利かなさは、あなたも知っているでしょう。」

「ああ、まぁ……あの調子だったらそうなる可能性もあるか。」

 メラジェは大きく頷き、

「だからそうならないよう、手を打つ必要がある。」

「でもぼくは、聖堂の書庫に出入り禁止になった男です。」どうすることもできないと、首を振る。

「それは前の前の司書官長が決めたことだ。彼は持病が悪化して引退した。」

「申し送りされてるはずです。」

「近々行われる一族長の交代に併せて、司書官長も新しく任命される予定でね。」

 自信たっぷりのメラジェの言い方に、リュートは嫌な予感を覚える。

「ひょっとして、メラジェの知り合い?」

 メラジェはにっこり微笑む。

「きみとオーディのような関係だ。」

 やっぱり、とリュートは額を押さえた。

「別に無理難題を言おうとしてるんじゃない。理不尽がまかり通るほうがおかしいんだ!そもそもきみは、自分の書いた物がどれだけ影響を与えたかわかってるか?」

「考えたこともありません。」

「一学生の論文にもかかわらず、英雄時代の文字を学ぶ者にとって必読書になってる。」

 ただし前の前の司書官長がご立腹したおかげで、皆、隠れて読んでいる、と付け加える。

「きみが出入り禁止になったのは、年寄りの感情論に等しい。あの頃は時期尚早だったかもしれないが、今の聖堂では一族の外から一族を論じる必要を唱える人もいる。それにきみは英雄時代の文字を理解し、考える知識を持った貴重な戦力だ。」

「ぼくは研究者じゃありません。」

「なら研究に戻れ。今のまま素人を名乗ったって、たかが知れてるだろう。きみは辺境の教師で終わる人材じゃない。」

「教師だって楽じゃありません。それにぼくの力量は、ぼく自身がわかってます。」

「それは間違いだ。間違いを正してわたしを手伝え。」

 リュートはあっけにとられる。

 メラジェとそれほど親しいわけでないが、こんな風に人を挑発する彼の姿を見るのは初めてだった。言われた方のトランも、さすがにむっとした表情を隠せない。

「あなたに命令される筋合いはありません。」

「命令?違うな。」メラジェはトランを見下ろす。

「これは遺言だ。」

「え?」とトランは目を丸くする。

「イグー教授が愛弟子にそうなってほしいと、最後に願ったことだ。」

「イグー先生?ちょ……ちょっと待ってください。」

 恩師の名に、トランは混乱する。

「言っとくが、わたしはイグー教授の門下生じゃない。」

 それはわかっている。目の前の歴史学者は自分と二つ三つしか年が違わないが、大学時代に見かけた記憶はない。

「きみがラグレス家と懇意なように、教授は一族であるわたしの父と親しかった。」

 あぁ……と、トランは脱力する。

「わたしも小さい頃からかわいがってもらったし、研究の道に進んだのはイグーさんの影響が大きい。」

「では先生の最期も?」

「ああ。彼は病に倒れてもなお、愛弟子をかばい切れなかったことを悔やんでた。もし再起できる機会があれば、存分に研究の道を進んで欲しいと言っていた。後にも先にも、自分の後継者と思えるのはトラン・カゥイしかいなかったそうだ。」

 そんな会話を交わして間もなく、老教授は息を引き取った。

 それが五年前のこと。

「聞けばきみは、教授の墓参りにすら現われてないそうじゃないか。」

「ぼくにその資格はありません。だって先生にご迷惑ばかりかけて……」

「墓参りに資格も何もあるもんか!」

 そう言われて、トランはがっくりと肩を落とす。

「メラジェは……最初からトランのこと知ってたのか。」それまで話を聞いていたリュートが口を開いた。

「名前と論文だけだ。」

 クラウディアと一緒になって、アデル家の書棚にカズト・ハヤセとの共著を発見したが、それが随分前の物だと知って落胆した。

「なにしろカズト伯父に会うこともめったにない。本人に会いたくとも連絡先もわからん。」

 しかし少し前にアデル家の前に二人がいるのを偶然見かけ、もしやと思ってリュートに声をかけたのだ。

「すぐにとは言わない。だが研究の主導権がこちらに来れば、戻る足がかりにはうってつけだろう。考えておいてくれ。」

 まだ仕事があるので聖堂に戻る、と踵を返し、扉に手をかけようとしたそのとき。

 激しく扉を叩く音。間髪いれずにマーギスの弟子のカフタが飛び込んできた。

「マーギスさま、来客です!」

 その言葉を追いかけるように若い女性の声が続く。

「至急、お話したいことがあります。お時間は取らせません。」

 切羽詰ったその声に、真っ先に反応したのはメラジェだった。

「ネフェルお嬢さん?」

「ネフェル?」マーギスも慌てて立ち上がると、若き語り部を部屋に迎え入れた。

「ヘザース先生……?どうして……」ここにいるのかと言い差して、ネフェルは緑の瞳を大きく見開いた。

「ラグレスさん!」

「元気そうだな。」

「いつガッセンディーアに?ああ、もしかして何かの会合だったのかしら?やっぱり私出直したほうが……」

「俺たちは、たまたま揃っただけだ。気にするな。」

「聞かれて困る話でしたら、ぼくらは席をはずします。」

 我に返って立ち上がったトランを、リュートは「父の代からのラグレス家の友人」とネフェルに紹介した。

「ラグレスさんがお友達とおっしゃるなら、どうぞそのまま。本当に、すぐにお暇しますから。それにラグレスさんに聞いてもらえるなら、むしろ良かったのかも。」

 ネフェルは意を決したように顔を上げ、そして言った。

「私、見たんです!ゼスィを……いえゼスィによく似た人かもしれない。でも彼にそっくりな人を!」

来週も火曜日更新予定。時間は未定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ