第四十一話
「きみが悪名高き論文を書いた本人か。」
「悪名高いかわかりませんが……なにしろ聖堂に出入り禁止なって久しいので。」
自己紹介もそこそこ切り出したメラジェ・ヘザースに、トラン・カゥイは淡々と応える。
「学問なんてそんなものだ。常識といわれるものに異論を差せば、常識が替わるまで小言を言われる。」
「それは同意します。ですが教える立場では常識は大切です。もちろん、想像の余地は必要ですが。」
「同感だ。ところで、なぜここにいる?」
「応接室を手配してもらうべきだったか?」
二人のやり取りを傍観してたリュートが、部屋をぐるりと見回した。
三人が顔を突き合わせているのはガッセンディーア神舎にある、マーギス司教の執務室である。大きな黒光りのする机の傍らには聖典を含めた本と、書類を収めた棚。扉の近くには外套掛けと姿見が備え付けられた質素かつ、実用的な空間。三人が腰掛けている木の椅子も、机同様、年季が入っているようだ。
「これからトラン・カゥイ会いに行く」
聖堂でそう答えたリュートに、メラジェは同行させて欲しいと願い出た。もちろんリュートに断る理由はなく、途中、アデル商会にルーラを預けながら神舎にやって来たのである。道すがらリュートは、トランとマーギスが父の古い友人だと説明する。そしてその言葉に違わず、当然のようにマーギスの執務室に通されたのだが……
「もっと広い部屋がよかったか?」
「そうじゃない!」メラジェはぐっと身を乗り出し、
「トラン・カゥイは英雄と銀竜の研究者だろう。だがここはルァ神の神舎だ。」
「カゥイ先生には、私の故郷の話を聞いてもらってます。」
扉が開く音と共に、声がした。
「部屋の外から声が聞こえたもので……お久しぶりですね、ヘザース先生。それにリュート、お待たせしてしまいました。」
ようやく登場した部屋の主に、メラジェは立ち上がって挨拶をする。
「こちらこそ、神の砦に出向いた際のお手配、ありがとうございました。」
「不都合はありませんでしたか?」
「向こうの司祭さまも協力的で助かりました。」
それはよかった、とマーギスは微笑む。
「ところで今おっしゃった、司教さまの故郷とは?」
「南の山深くにある集落です。」マーギスは手にしていた経典を執務机に置いた。
「人は住んでいませんが、伝承が多く残っていましてね……ガラヴァルの父親の出身地だとか、豊穣の姉妹の末裔だとか。」
「それは……たしかに興味深い。」
「かつての村人も、私を含めて皆、老いてきました。伝承を記録するなら今しかないと思って、先生に協力をお願いしたんです。それと近頃は銀竜のことも、いろいろ教わっていましてね。」
「そういえば、リュートの銀竜はどうした?」
メラジェは辺りを見回した。神舎の入り口までリュートの肩にしがみついていたフェスが、いつの間にかいなくなっている。
と、開け放した窓から白い影が飛び込んできた。
影は二つに分かれ、一つはマーギスの執務机の上に、もう一つはリュートの膝の上に舞い降りる。
「お帰り、レイユ。」
「フェスも戻ったか。」
メラジェは目を丸くした。
「まさか……司教さまの銀竜?」
思わず立ち上がり、レイユと呼ばれた銀竜の様子を伺う。
「私が名付けた銀竜です。」
「俺も会うのは初めてだ。」
そう言ってリュートが差し出した手に、レイユが飛んで来た。
聞いていた通り羽根の一部が切れて古傷のようになってるが、それ以外、目立った傷跡は見当たらない。気性もすっかり落ち着いたのか、リュートが背をなでると目を細めた。
「フェスに神舎を案内してくれたのか。」
「くぅ」と喉を鳴らすと、レイユは再びマーギスの元へ飛んでいく。
「ラグレス家が斡旋したのか?」
「斡旋というか、父が仲介したようなものだ。」
「マーギスさまが名付けたとき、ぼくもその場にいました。だからガッセンディーアに来ると顔を見たくなって……」こうして様子を見に来るのだと、トランは言った。
「私も銀竜の主人になったのは初めてなので、カゥイ先生が立ち寄ってくれるのは心強いですよ。」
「そういうことなら、神舎にいるのも納得です。」
メラジェは頷くと、トランに問いかけた。
「英雄時代の文字は読めるな?」
「語り部ほどではありませんが。」
「結構。神の砦で起きたことはどこまで知ってる?」
「事件そのものはリュートとマーギスさまから聞いてます。なにしろ二人とも当事者ですから。」
「文字のことは?」
「見つけた経緯と、あなたが現地調査に派遣されたことと、あなたが専門家に声をかけてることくらいです。ぼくが知ってるのは。」
「それ以上のことは、まだしてない。」
「まだ?」
それには答えず、メラジェはリュートを振り返る。
「リュートはあれを見て、どう思った?」
「もし本当に英雄時代の記録なら大発見だろう。少なくとも一族にとっては。」
「それだ!」ぱちんとメラジェは指を鳴らす。
「あれは聖堂で調査すべきものだと思わないか?」
「いや……いきなり言われても……」
「だいたい、あれは神舎で扱えるものじゃない。」
「なぜでしょう?」と言ったのはマーギス。
その問いにトランが答える。
「英雄時代の文字の実物を保有しているのは、ガッセンディーアの聖堂しかありません。それを読むことができる人は、一族にかかわりのある場合がほとんどです。ゆえに、英雄時代の文字を研究するとしたらガッセンディーア以外ありえません。」
「つまり、よそに専門家はいない。それでも神舎は研究の主導権を主張してくるだろう。」
「なるほど」とマーギスは頷く。
「ヘザース教授が心配してるのは本舎ですね。もし本舎が“神の砦”ごと保護すると言い出せば、件の文字はその先開示されない可能性があります。」
「そんなこと……」
できるのか?と半信半疑のリュートにマーギスは苦笑した。
「本舎の融通の利かなさは、あなたも知っているでしょう。」
「ああ、まぁ……あの調子だったらそうなる可能性もあるか。」
メラジェは大きく頷き、
「だからそうならないよう、手を打つ必要がある。」
「でもぼくは、聖堂の書庫に出入り禁止になった男です。」どうすることもできないと、首を振る。
「それは前の前の司書官長が決めたことだ。彼は持病が悪化して引退した。」
「申し送りされてるはずです。」
「近々行われる一族長の交代に併せて、司書官長も新しく任命される予定でね。」
自信たっぷりのメラジェの言い方に、リュートは嫌な予感を覚える。
「ひょっとして、メラジェの知り合い?」
メラジェはにっこり微笑む。
「きみとオーディのような関係だ。」
やっぱり、とリュートは額を押さえた。
「別に無理難題を言おうとしてるんじゃない。理不尽がまかり通るほうがおかしいんだ!そもそもきみは、自分の書いた物がどれだけ影響を与えたかわかってるか?」
「考えたこともありません。」
「一学生の論文にもかかわらず、英雄時代の文字を学ぶ者にとって必読書になってる。」
ただし前の前の司書官長がご立腹したおかげで、皆、隠れて読んでいる、と付け加える。
「きみが出入り禁止になったのは、年寄りの感情論に等しい。あの頃は時期尚早だったかもしれないが、今の聖堂では一族の外から一族を論じる必要を唱える人もいる。それにきみは英雄時代の文字を理解し、考える知識を持った貴重な戦力だ。」
「ぼくは研究者じゃありません。」
「なら研究に戻れ。今のまま素人を名乗ったって、たかが知れてるだろう。きみは辺境の教師で終わる人材じゃない。」
「教師だって楽じゃありません。それにぼくの力量は、ぼく自身がわかってます。」
「それは間違いだ。間違いを正してわたしを手伝え。」
リュートはあっけにとられる。
メラジェとそれほど親しいわけでないが、こんな風に人を挑発する彼の姿を見るのは初めてだった。言われた方のトランも、さすがにむっとした表情を隠せない。
「あなたに命令される筋合いはありません。」
「命令?違うな。」メラジェはトランを見下ろす。
「これは遺言だ。」
「え?」とトランは目を丸くする。
「イグー教授が愛弟子にそうなってほしいと、最後に願ったことだ。」
「イグー先生?ちょ……ちょっと待ってください。」
恩師の名に、トランは混乱する。
「言っとくが、わたしはイグー教授の門下生じゃない。」
それはわかっている。目の前の歴史学者は自分と二つ三つしか年が違わないが、大学時代に見かけた記憶はない。
「きみがラグレス家と懇意なように、教授は一族であるわたしの父と親しかった。」
あぁ……と、トランは脱力する。
「わたしも小さい頃からかわいがってもらったし、研究の道に進んだのはイグーさんの影響が大きい。」
「では先生の最期も?」
「ああ。彼は病に倒れてもなお、愛弟子をかばい切れなかったことを悔やんでた。もし再起できる機会があれば、存分に研究の道を進んで欲しいと言っていた。後にも先にも、自分の後継者と思えるのはトラン・カゥイしかいなかったそうだ。」
そんな会話を交わして間もなく、老教授は息を引き取った。
それが五年前のこと。
「聞けばきみは、教授の墓参りにすら現われてないそうじゃないか。」
「ぼくにその資格はありません。だって先生にご迷惑ばかりかけて……」
「墓参りに資格も何もあるもんか!」
そう言われて、トランはがっくりと肩を落とす。
「メラジェは……最初からトランのこと知ってたのか。」それまで話を聞いていたリュートが口を開いた。
「名前と論文だけだ。」
クラウディアと一緒になって、アデル家の書棚にカズト・ハヤセとの共著を発見したが、それが随分前の物だと知って落胆した。
「なにしろカズト伯父に会うこともめったにない。本人に会いたくとも連絡先もわからん。」
しかし少し前にアデル家の前に二人がいるのを偶然見かけ、もしやと思ってリュートに声をかけたのだ。
「すぐにとは言わない。だが研究の主導権がこちらに来れば、戻る足がかりにはうってつけだろう。考えておいてくれ。」
まだ仕事があるので聖堂に戻る、と踵を返し、扉に手をかけようとしたそのとき。
激しく扉を叩く音。間髪いれずにマーギスの弟子のカフタが飛び込んできた。
「マーギスさま、来客です!」
その言葉を追いかけるように若い女性の声が続く。
「至急、お話したいことがあります。お時間は取らせません。」
切羽詰ったその声に、真っ先に反応したのはメラジェだった。
「ネフェルお嬢さん?」
「ネフェル?」マーギスも慌てて立ち上がると、若き語り部を部屋に迎え入れた。
「ヘザース先生……?どうして……」ここにいるのかと言い差して、ネフェルは緑の瞳を大きく見開いた。
「ラグレスさん!」
「元気そうだな。」
「いつガッセンディーアに?ああ、もしかして何かの会合だったのかしら?やっぱり私出直したほうが……」
「俺たちは、たまたま揃っただけだ。気にするな。」
「聞かれて困る話でしたら、ぼくらは席をはずします。」
我に返って立ち上がったトランを、リュートは「父の代からのラグレス家の友人」とネフェルに紹介した。
「ラグレスさんがお友達とおっしゃるなら、どうぞそのまま。本当に、すぐにお暇しますから。それにラグレスさんに聞いてもらえるなら、むしろ良かったのかも。」
ネフェルは意を決したように顔を上げ、そして言った。
「私、見たんです!ゼスィを……いえゼスィによく似た人かもしれない。でも彼にそっくりな人を!」
来週も火曜日更新予定。時間は未定です。




