第四十話
「ご迷惑おかけしました。」
ぺこんと都は頭を下げる。
「小暮さんに連絡しなくて大丈夫ですか?」向かい合うマクウェルが眉を寄せた。
「ちょっと転んだだけですから。それに、応急処置してもらったし……」
そう言う都の手首と肘には、キャラクター柄の絆創膏が貼られている。
「大人向きのほうがよかったですね。」申し訳ない、と相手は恐縮した。
転んだ都を助けたのはちょうど改札から出てきたマクウェルで、大丈夫と言い張る都をセルフサービスのコーヒーショップに引っ張ってきたのも彼だった。
渡された絆創膏に思わず目が丸くなったが、娘のエリのためなのだろうと想像する。
「前も駅で転びそうになって、そのときはリュートに助けてもらったんです。」
「ナイト役がこんなオジサンで残念でした。」
「そんなことないです。わたしぼんやりしてるから、こういうの多くて……」助かりました、と改めて礼を言う。
「冴さんには自分で報告します。」
「必ずですよ。」
「それより不動産屋さんとの約束、キャンセルさせてすみません。」
「明日に延期しました。それにエリの迎えが遅くならずに済みそうで、逆によかった。」
「すっかり暗いから、エリちゃんお待ちかねですね。」
「私の生まれ故郷は冬至のとき、もっと早く暗くなります。」
「えっとイギリスって……東京より北だっけ。」
「スコットランドはイングランドより北です。都さんが保育園のときは、お母さんが迎えに来ましたか?」
「母は忙しかったから、冴さんがよく来てくれました。」
「そのときから一緒に暮らしてたんですか?」
「同居はその後だけど、わたしが赤ちゃんのときから手伝ってくれてたみたいです。」
もちろんその頃の記憶はないので、母と冴の受け売りにすぎない。
けれどマクウェルは「どうりで仲が良い」と納得する。
「私もエリのおかげで妻の実家と仲良くしてもらってます。日本の習慣や言葉、あと方言を教えてもらうこともあります。」
「マクウェルさん日本語上手いから、教わる必要なさそうだけど。」
駅で助けられたときも流暢な日本語だったので、まさか彼だと思わなかったのだ。
「私が日本語を勉強したのは、友達の影響です。前話した紅茶好きの男。」
「あ」と、都は思い出す。
「彼は日本で生まれて、十歳まで日本で暮らしました。」
「でもドイツの人ですよね?」
「母親は日本人で、父親はドイツと日本のハーフだったそうです。」
いわゆるクォーターになるのかと頭の中で考える。
「子供の頃に両親を亡くして、ドイツの親戚に引き取られたそうです。彼がスコットランドの大学にいたとき知り合って、それから日本のことをたくさん教えてもらいました。もちろん日本語も。」
そこから日本に関わる仕事をしたい、日本に行きたいと思うようになったのだと彼は言った。その後、輸出関係の仕事をしているときにエリの母親と知り合い、結婚し、日本にやって来た。やがてエリが生まれたものの彼女の病気が発覚し、治療と子育てのために妻の実家を頼ったらしい。
「クライアントの都合で東京に来ましたが、エリは妻の実家がホームタウンだと思ってます。もちろん私も。」
「マクウェルさんって、日本が好きなんですね。」
ええ、と彼は頷いた。
「日本に来て、友人に聞いたとおりサクラもモミジも美しいことを知りました。古い町並みも、里山の景色も、伝統的な風習も彼の言ったとおり自然と調和してる。なのに……」と彼の表情が曇る。
「それを教えてくれた友人はいません。彼ともっと話したかったのに、いろいろ聞きたかったのに。」
病気治療に専念する矢先にあっけなく逝ってしまったこと、なによりまだ若かったのが心残りで仕方ないと悔やむ。
その気持ちは都も痛いほどわかった。
昨日まで会えるのが当たり前だったのに、突然会えなくなる。たったそれだけのことが、どれだけ辛く悲しく空虚なことか。
「私はずっと日本で暮らすつもりです。それが妻と、彼の意思を継ぐことだと思うから。」
「意思?」
「はい。彼はジャーナリストで、日本を紹介する記事を雑誌に書いてました。取材のたび日本に来てましたが、いつか日本に住んで世界に日本のことを発信したいと言ってたんです。」
「はぁ……」
都がジャーナリストと聞いて思い出すのは学校の新聞部くらいで、発信といっても規模が違うのでピンと来ない。
「友人は旅行雑誌に記事を書いたり、本を企画したりしてました。」
何冊かガイドブックや紀行の類も出していたはず、と言う。
「もっと、書きたいことがあったんだと思います。」
「本当に発信する人だったんだ。」
「都さんも、そうですね。」
「へ?」
「フリューゲルにある写真は、都さんの作品でしょう。」
「ああ……えっとでもあれはマスターが勝手に……」
突然我が身に話を振られて、もごもごと言い訳する。
「わたしは発信とか、そんなこと全然考えてないし……」
「でも早瀬さんは、写真が素晴らしいから展示してるんでしょう。実際、たくさんのお客さんが見てるのだから、立派に発信してます。」
「でも……三芳さんみたいに仕事にしてるわけじゃないし……」
「先のことはわかりません。もしかしたら……」
「それはないです!」
「彼が反対してるのですか?」
「そうじゃないけど……そこまで自信ないっていうか……自分のできることがまだわからないっていうか……」
口ごもりながら、保護者の仕事相手になんてこと言ってるんだろうと激しく後悔する。
けれどマクウェルはにっこり笑い、
「悩むのは若い人の特権です。私は今でも悩みますけどね。」と片目をつぶる。
「そんなこと……」と言いながらも、彼が笑顔で流してくれたことにホッとする。
同時に、なぜかガッセンディーアの司教のことを思い出した。かの聖職者も、都がグチグチ言うことを笑顔で受け止め、適切な言葉を投げかけてくれる。容姿はまったく違うのに、どこか似てると思うのは気のせいか。
そんなことを考えていたら、ぼんやりしてたらしい。
名前を呼ばれて我に返る。
「傷が痛むなら送っていきます。」
「本当に、それは大丈夫です。」
「ならいいですが……妻もそうやって我慢して、病気の進行を早くしてしまいました。それに友人も……」
二人とも友達のことは気遣うのに、自分のことは後回しだったとこぼす。
「彼が亡くなってから、彼の恋人が日本にいることを知りました。たしかにその頃、私はとても忙しかった。でも……話して欲しかった。」
「その気持ち、わかります。母もそういう感じだったから。」
「彼が亡くなったあと、私ともう一人の友達宛ての手紙が見つかりました。」
内容は仕事や遺産の管理に関する事務的な依頼。件の友人は育ての親を亡くしてから、近しい身寄りがなかったらしい。
「手紙の最後に“彼女の力になって欲しい”とありました。」
「そっか。日本にいるんですよね、その人。会えたんですか?」
「いいえ。」
「名前とか住所とか……」
「わかっても、会うことはできません。なぜなら探し当てたとき、すでに亡くなっていたから。」
「そんな……」
「もっと早く探すべきだったと後悔してます。三年前に事故で亡くなっていたとは……」
「三年前?」
それに事故というフレーズが引っかかる。
いぶかる都をよそに、彼は言った。
「彼とその恋人は、彼が日本で仕事をしたときに知り合ったそうです。彼女は取材に同行したフォトグラファーでした。」
都は顔を上げる。
「写真家……?」
マクウェルは頷いた。
「それって……」
「友人の恋人の名前は木島朝子……」
「ええと……」都は必死で考える。
「同姓同名……とか……」
「いいえ。間違いなく、あなたのお母さんです。」
「でもそれ……昔のことですよね?」
少なくとも、母や冴からそんな思い出を聞いたことはない。
「それに……母がその人と付き合ってた証拠、あるんですか?」
「手紙があります。」
彼はカバンからクリアファイルを出すと都の前に滑らせた。
封筒のコピーだった。
宛名はたしかに木島朝子。
ご丁寧に漢字とローマ字、両方で書かれている。
そしてその下にもう一つの宛名。ブロック体の英語を目で追いかける都の耳に、マクウェルの声が聞こえた。
「さきほどの質問ですが友人があなたのお母さんと付き合っていたのは十九年前だと思います。彼は十八年前に亡くなったので。」
「十八……年前?」
言葉に出してからハッとなる。
それは自分の生まれた年……つまり母親が一人で自分を生んだ年。
「二人の関係は、その宛名を見ればわかります。」
「でも、これコピー……」
「実物は金庫に預けてます。」
「中身のコピーもないし……」
「封がしてあるのを勝手に開けることはできません。」
「だったら!証拠になってないじゃないですか!」
自分でもびっくりするほど大きな声だった。
隣のテーブルでヘッドホンを聞きながらレポートを書いている大学生がちらりとこちらを見た。
一瞬の間。
マクウェルが口を開いた。
「小暮さんにも同じことを言われました。」
都は目を丸くする。
「冴さん……このこと知ってるの?」
「はい。けれど彼のことは聞いてない。遺品に手がかりもない。だからわからない、と言いました。」
「だったら……」
「ですがここに間違いなく、彼の字で“娘へ”と書いてあります。」
ディア マイ ドーター。
その言葉の意味を理解したから、ひどく混乱してるのだ。
「あなたは彼にとてもよく似てる。」
「そんなの……」
「証拠になりませんか?でも見た目だけじゃなく、雰囲気も似てるんです。だから初めてあなたに会ったとき、間違いないと思いました。あなたは彼と木島朝子の……」
ガタン!と椅子を引く音。
都は立ち上がると、傍らに置いてあったカバンを掴んだ。
何も言わず一礼し、逃げ出すように店を出る。
悲しいでも腹立たしいでもない。
ただただ、わけがわからなかった。
どうやって家まで戻ったのかわからない。震える手でどうにか鍵を開けると、カバンを放り出し玄関にうずくまる。
背後でカチャン、と音がしたのはコギンが鍵を閉めてくれたのか。
耳元できゅうきゅうという鳴き声が聞こえる。鉤爪のついた小さな手が、都の耳を遠慮がちに引っ張った。
顔を上げると心配そうに覗き込む金色の瞳。
その瞳に、都は泣きそうな声で訴えた。
「コギン……わたし……どうしよう……」
次回の更新ですが4月12日火曜日@2016を予定してます。
いつもご覧になっている皆様には間があいて申し訳ありません。
決して書けなくなったわけでなく、本業が瞬間的に忙しいので来週は更新をお休みさせていただきます。
よろしくお願いいたします。




