第三十七話
「もー!何でそんなに聞き分け悪いの?」
腰に手を当て、ケィンは困ったように温室を見回す。
「出てこないと食事抜きになっちゃうよ!」
「朝から物騒だな。」
背後からの声に、ラグレス家の料理人は赤毛の三つ編み揺らして慌てて姿勢を正した。
「リュートさま、セルファさまおはようございます。銀竜たちが変なんです。」
朝から隠れて出てこないと、ケィンは窮状を訴える。
確かにいつも椅子の上や池の辺で思い思いに過ごしている小さい竜たちの姿が、今日はまったく見当たらない。
「昨日も外に出たと思ったら、すぐ温室に戻ってきちゃって……そうしたら今朝は全然。」そこまで言ってケィンは気付く。
「リュートさま、フェスは?」
「それが……ルーラもフェスも部屋から出たくないとごねてる。」
「それはおかしいですね。」セルファも首をかしげた。
「嵐でも近づいてるのか?」
「そんな予報、ありませんよぉ!」
「でも大気は重い感じがします。」
「やっぱりそうか……」と、リュートは唸る。
昨夜こちらの世界に戻ってから漠然と感じていたが、しばらく戻ってなかったので、気のせいと思ったのだ。
「気のせいじゃありません。だから昨夜は無理せず、厄介になったんです。」
確かに。時間が遅かったとはいえ、セルファからラグレスの家に泊まると言い出すのは珍しかった。
リュートは温室を見回す。
「銀竜のことは後で考えよう。先にこっちの朝食を頼む。」
料理人は了解すると、すぐ厨房に戻った。
二人が料理人自慢の朝食を済ませると、セルファはそのまま竜を召喚してガッセンディ―アに戻り、見送ったリュートは温室に向かった。
相変わらず銀竜たちは草葉の陰に潜んでいるらしく、エミリアが使用人のイーサと一緒に草花をかき分けて銀竜たちを探していた。
「リュートも手伝ってちょうだい。」
「どうするんだ?」
「使ってない部屋に移すんです。」見つけ出した銀竜を籠に入れながら、イーサが言った。
「明るい温室より、暗い部屋のほうが銀竜たちも落ち着くと思うの。皆がみな隠れてるのは大気が不安定なこともあるのでしょう。」
自然で暮らす銀竜たちは、そんなとき、岩場の陰や洞窟でじっと時が過ぎるのを待つのである。ならば家の銀竜たちも、明るい温室より暗く覆った部屋がいいに違いないというのだ。
庭師のビッドが追加の籠を手にやってきた。
「部屋を布で覆ってきました。鉢植えもいくつか移動させてあります。」
「都の部屋にある鉢植えも使ってくれ。植物が多いほうが銀竜も落ち着くだろう。」
リュートの言葉に庭師は頷いた。
二人は篭に銀竜たちを入れると、蓋をして一階の隅部屋に運んだ。
布で覆った暗い部屋に放すと、ようやく銀竜は水を飲んだり鉢植えの木に飛び移る。最後にエミリアがカルルを抱いて連れて来た。
「フェスとルーラはガッセンディーアに連れて行くのでしょう?」
本当はセルファがルーラを連れて行く手はずだったが、部屋の隅に隠れてしまい断念したのである。
フェスも乗り気でなさそうだが、置いていくわけにも行かない。
「こっちも、篭に入れて連れて行くのがよさそうだな。」
そう、とエミリアは頷く。
「母さん、もし銀竜に妙なことが起きたら……」
「あなたより先に、カズトに連絡しますよ。」
「まぁ……それが賢明だろうな。」
自分が助言するより確実だと、納得する。
部屋に戻ったリュートは、担いできた荷物を寝台の上に広げた。預かった書簡や書類を確認すると、次に書き物机の引き出しから必要なものを引っ張り出す。最後に机の上の小箱を開けて、ラグレス家の印が刻まれた指輪を手に取ると、認識票の鎖にそれを通した。首に下げ身支度を整え、最後にフェスとルーラを捕まえて蓋のついた籠に入れる。
荷物と銀竜入りの籠を手に階下に下りると、待ち構えていたエミリアにクリップで留めたコピーの束を渡した。
早瀬の家を出る間際に父親から追加で渡された、銀竜絡みの事件の一覧である。
「うちにも銀竜がいる以上、知っておいたほうがいいと思うんだ。エミリアが無理なら、ビッドに目を通すよう伝えて欲しい。」
そう父親に言われたと伝える。躊躇せずに、母親はそれを受け取った。
「大丈夫よ。この間は不意だったけど、今はもうなにを読んでも平気。」
「ならいいが……」
「信用なさい。」
「そうじゃなくて、本当に飛ぶことを禁じられてるのか?」
思いがけない質問にエミリアは目を丸くする。そして頷いた。
記憶を辿れば確かに、娘時代の彼女の武勇伝にはいつも竜が登場する。一人で門を通ってフリューゲルでお茶をした一件しかり。
けれどリュートは母が竜を召喚している姿を見たことがなかったし、それは単に年齢を重ねたからだと思っていた。
それが勝手に門を越えたことによる結果だったとは……。
「あなたには何の責任もないことよ。」
息子の心のうちを見透かしたように、エミリアは微笑んだ。
「それにあなたかカズトがいれば、今だって飛ぶことはできるのだし。」
「それで、満足なのか?」
「ときどき、自由に飛びたいと思うことはあるわ。でも私は翼の代わりに、大切なものを手に入れた。だから両方欲しいというのは我侭だと思っているの。」
「それ、本心なのか?」
ええ、と漆黒色の瞳が頷く。
「連れ戻されたとき、もう二度とカズトに会えないんだと覚悟した。それが契約を交わすことができたんだもの。罰を受けることくらい……」
「それは母さんのせいじゃない。」
「なにを怒ってるの?」
「父さんの部屋で写真を見た。母さんと笙子先生が写ってた。」
「ハヤセの義父さまが撮影してくれたものね、きっと。あの家にいたとき、ショウコは私とカルルの様子を毎日見に来てくれた。」
「その友達と会えなくなって、それでも良かったと言えるのか?それにあんな髪……」
そうね、とエミリアは同意する。
「シーリアには驚かれたわ。でもそれでカルルが戻ったのだもの。ケガの手当ても、カズトがいなかったらどうなってたかわからない。だから、あのときはあれでよかったの。」
「だとしても契約を交わしてから、何があったのか父さんに言うことはできただろう。」
「言えなかったの。あなただって言葉にしたくない、思い出したくないことがあるでしょう。」
「それは……」
「私にはそれだけの時間が必要だった。そういえば、このことミヤコにも話したの?」
いいや、とリュートは首を振る。
「彼女は今、自分の進路に関わることで精一杯だ。ルーラが早瀬の家に伝わる銀竜だってことは話はしたが、それ以上のことはまだ……」
「それでいいわ。いつか耳に入ることもあるでしょう。それから、カルルを盗んだ男の消息がわからなくとも、深追いするのはおよしなさい。」
「セルファとの話、聞いてたのか?」
まさか、とエミリアは笑う。
「あなたの考えることくらいわかります。彼が他の銀竜を犠牲にしてるのだとしたら、見過ごせない。それが銀竜を守る家の役目だと思っているのでしょう。だからセルファに彼の消息を調べるよう頼んだ。」
「……ひょっとして母さんも気にしてたのか?」
「私が彼の名を口すれば、シーリアに心配をかけてしまう。それにボナゥンもあれ以来、彼の名前すら聞かないと言ってるのよ。」
カルルの一件は盗難事件としてアデルが公安に届け出たので、もしかしたら手配書が回ったのかもしれない。だとしたら名前を変えて別の土地で暮らしている可能性もあると言うのが、アデルの見解らしい。
「だからセルファやキャデムが手を尽くしてもわからなかったら、追求するのはおやめなさい。またそれで、ミヤコに心配かけたくないでしょう。」
返す言葉もない。
結局、母親には太刀打ちできないのだと実感する。
母の小言を適当に切り上げ、イーサに大まかな予定を伝えると、リュートは竜を召喚し、ガッセンディーアに向かった。
いつもと同じルートを飛びながら、けれど竜がやけに高いところを飛びたがるのが気にかかる。
天気が悪く雲の上が安全というならわかるが、足元に広がる地上には陽の光が降り注いでいるし、風も弱すぎず竜が飛ぶにはちょうど良い。
にもかかわらず、くくりつけた篭の中のフェスとルーラもいつになく緊張しているのはどういうことか。
どうにか竜たちをなだめながら、ガッセンディーアの街外れにある、赤っぽい古い建物を目指す。
建物に囲まれた石畳の中庭に着地すると、ねぎらいを込めて竜の灰色の背を軽く叩いた。
「お帰り、ラグレス。」
竜の背から降りたリュートに制服姿の同期が声をかける。
発着を担当する整備兵が駆け寄り、くくりつけた荷物を降ろしてくれた。
リュートは風除けの帽子と眼鏡を外した。
「どうも今日は風が重いな。」
「やっぱり感じるか?」
「田舎から飛んできたから、よけい感じるのかもしれない。」
荷物を肩に担ぎ、リュートはたった今飛んできた空を見上げる。
きれいに晴れているのに、なんとなくすっきりしないように見える。
「昨日から応える竜も減ってるんだ。だから正直、街の外から飛んでくる同胞はありがたい。」
「気象変化か?」
「そういう報告は受けてない。そら、もう一人街の外から竜を連れて来た。」
見上げると、今まさに着地しようと降下を始めた竜の姿があった。
やがて目の高さに降りてくると、竜を御する姿に見覚えがあった。
「ホムスゥト、か?なんで制服じゃないんだ?」
「お前と同じ、今日は休暇なんだよ。」
「後ろに誰か乗ってるな。」
「アバディーアから人を連れてここに着陸する、と事前に届出があった。ま、こっからアバディーアの距離じゃ同胞の翼に頼るしかないし、さすがに街中で降ろすわけにも行くまい。」
「アバディーア?」無意識にリュートは眉を寄せる。
「ホムスゥトは南の国境近くの出身だろう?なんでアバディーアなんて北に知り合いがいるんだ?」
同期の男はひょいと肩を竦め、
「クラウディア・ヘザースの頼みだとさ。」
「おい!それ、まさか……」
リュートは慌てて着地した竜に目を向けた。
赤毛の若い乗り手が風除けの眼鏡を額に押し上げ、先に竜の背から飛び降りる。その手を借りてもう一人の人物が慎重に地面に降り立った。
彼は耳当てのついた帽子と風除けの眼鏡を外し、ホムスゥトに渡す。くしゃくしゃの癖のある髪を軽くなでつけると、懐から取り出した自前の眼鏡をかけ、あたりをきょろきょろと見回す。
思ったとおり。
トラン・カゥイだった。
次回、火曜日更新予定




