第三十六話
「クラウディア抜きできみと話すのは、二度目かな。」
「結婚前を入れたら、三度目です。」真面目な顔で、メラジェ・ヘザースは言った。
亜麻色の髪はいつもどおり綺麗に整ってるが、くすんだ青色の瞳はいささか疲れが浮かんで見える。
「本当にお茶でいいのかね?」
「エナの花のお茶は、気持ちを落ち着かせてくれます。」
向かいに座るボナゥン・アデルの気遣いに感謝し、「まだ仕事がありますから」と付け加える。
「きみも、たいがいな仕事好きだな。」アデルは娘婿に苦笑した。
日に焼けた顔は、買い付けであちこち飛び回っている現役の証。癖のある茶色の髪に、同じように茶色の瞳の面立ちは、どこか息子のセルファに似ている。ただし好奇心旺盛で行動的な性格は、娘のクラウディアが引き継いだらしい。
「カズトにきみの要望を伝えるよう、セルファに言っておいた。ただし、いい返事は期待しないでくれたまえ。」
「口添えいただけるだけで十分です。」
「きみの気が済むなら、お安い御用だ。それにわたしとてカズトが活躍できる場があるなら、取り持ちたいと思う。」
だが、と片目をつぶる。
「父親の遺した商売を守りたいという、彼の気持ちもよくわかる。それがきみの不満だということも。一族の血を引くとはいえ辺境の、そんな商売人がどうして竜隊に入ったのか……不思議に思っているのだろう?」
メラジェは目を丸くする。
今まで何度となく妻に聞き、そのたびにはぐらかされて疑問を、まさか義父があっさり持ち出してくると思わなかった。
「クラウディアが言いましたか?」
「聞かなくとも想像つくさ。それにエミリアとカズトが、契約を交わしていながら別居してるのも気になるんじゃないかね。」
「それについては、自分たちも人のことは言えません。」
「そうだったな。しかしまぁ、きみがガッセンディーアにいる間に話しておくのが好都合だと思ってね。カズトとエミリアは子供の頃、一度会ってるんだ。エミリアが十三の頃だと聞いている。」
「ではそれからずっと交流が?」
「いいや。二人が再会したのはそれから十三年後……エミリアが彼のところに家出したときだ。」
「そういえば、縁談がいやで逃げ出したとかなんとか……」
「それは表向きの理由だ。彼女たちが早くに両親を亡くしたことは聞いてると思う。」
病気で亡くなった母の後を追うように父親が亡くなったとき、エミリアは二十歳そこそこだった。妹のシーリアはまだ十代だったがすでにアデルと婚約しており、喪が明けるのを待って彼らは一緒になった。すると当然のように、一人になったエミリアに縁談が持ち込まれたのである。なにしろ若く美しく聡明な上に、ラグレス家の当主という肩書きまで持っていたのだから、その数は一つ二つではない。
だが当のエミリアは、イーサやビッドの手を借りて家を維持していくことに一生懸命で、結婚のことを考える余裕もなかった。
そんな姉を心配し足しげく実家に通っていたシーリアも、子供ができ、それが手のかかる双子だったので自然と足が遠のいていく。
同じ頃、勢いに乗って商売の規模を広げつつあったアデルは、一人の男と知り合う。
彼をアデルに紹介したのは今も付き合いのある大先輩で、アデルが南との取引に力を入れていることを知って引き合わせてくれたのだ。年も近く、同じ商売人として共感する部分もあったため、あっという間にアデルは男と意気投合した。
南のホルドウルでも海に近い場所の出身だという男は、陽気で酒好き、そして話好きだった。商売や南の風習、聞いたこともない町のことを話してくれた。楽しくも刺激的な時間の中、あるとき話の流れで銀竜のことが話題にのぼったのだ。
男は銀竜に「興味がある」と言い、アデルは「ならば」とラグレス家を紹介した。もちろん当主が未婚の女性ゆえ、訪問のときは逐一アデルが同行したが、あるときどうしても同行できず、書状を持たせて送り出したことがあった。すでに何度か訪れているし、ラグレス家には使用人と庭師、それに料理人がいるので妙なことにはならないと思ったのだ。
しかしそれは間違いだった。
アデル不在の訪問で気を大きく持った男が、その後勝手にラグレス家を訪れたのである。アデルに一言の報告もなく。
「最初からそれが目的だったのか……いまさら悔やんでも取り返しのつかないことだとわかっている。」
苦悶するアデルの表情に、メラジェもただならぬ物を感じ取る。
「いったい……何があったんです?」
「銀竜を盗んだんだ。ラグレスの家から。」
「何のために?」
「売るため。商売のためだよ。」
メラジェは信じられない、と呟く。
「銀竜は無理に手なずけるなんてできません!仮に売ることができたとしても……」
「客は必ずしも手なずたいわけじゃない。ただただ珍しい物を欲がる客もいる。商売人はその要望に応えるために手を尽くすだけ……と言っても奴のしたことは明らかに窃盗だ。」
その日、エミリアは生まれて間もない甥と姪に会うためにガッセンディーアのアデル家を訪れていた。そしてその予定を、アデルは彼に話していたのである。
本来なら数日アデル家で過ごすはずのエミリアが、早々に帰宅したのは胸騒ぎを感じたからか。とにかく予定より早く戻ったエミリアは、男が訪れた直後から銀竜の姿が見えないことを家人から知らされる。
「カルルという名の銀竜で、彼女たちの父親が名付けた、いわば形見。気が優しくて人懐こいのが災いしたのだろう。」
それとほぼ時を同じくして、アデルは男を紹介してくれた先輩から思いがけないことを聞かれた。
「件の男から怪しげな誘いを受けなかったか、と聞かれた。取引で南に行ったときに、芳しくない噂を耳に挟んだらしい。」
その筋の輩と繋がりがあり、違法な薬物を扱ったこともあるとか。
「わたしが危ない取引に手を出すんじゃないかと、心配してくれたんだ。もちろんそんな誘いはなかったし、あったとしても危険を犯すつもりはない。そう返事をしたよ。」
だがその日の夜、状況は一転する。
当時まだ現役だった、そしてラグレス姉妹の亡き父と懇意だったオーロフが、ラグレス家の銀竜を伴ってアデルの仕事場を訪れたのである。彼はひどく動揺し、エミリアが来ていないかとアデルに訊ねた。
「昨日、ラグレスの家に帰ったばかりです。いったい……」どうしたのかといぶかるアデルに、オーロフは銀竜を差し出した。
その口から流れてきたのはラグレス家の庭師、ビッドの慌てた声。
カルルがいなくなり、それを知ったエミリアがどこかへ行ってしまった。緊急事態を伝えるために、この銀竜をオーロフの元に送り出す、と。
すぐさまアデルはオーロフと一緒にラグレス家に赴いた。
そのときの光景は、未だ忘れることができない。
銀竜たちは怯え、庭師は泣きじゃくる妹をなだめるの必死だった。しっかり者のイーサが泣いているのを見たのは後にも先にも、あの時だけである。比較的冷静だった料理人のナセリから聞いてわかったのは、エミリアの不在にもかかわらず男がやってきたこと、彼が帰った後からカルルの姿が見えなくなったこと、それを知ったエミリアが別の銀竜を連れてカルルの行方を追いかけたこと。
「知ってると思うが、銀竜は互いの危機を知らせることができる。カルルはラグレス家の別の銀竜に危機を伝え、エミリアはその銀竜を伴ってカルルを追いかけた。」
「追いかけるって……」
「当時、彼女は竜を召喚し、一人で飛んでいたのだよ。」
初めて聞く話だった。
オーロフは何度も銀竜を使って声を送ったが、エミリアからの応答はなかった。そしてアデルは、赤ん坊を抱えた妻に真相を伝えるか否悩んだ。
そんな風に数日が過ぎた頃、エミリアと一緒に飛んでいった銀竜が自力でラグレスの家に戻ってきた。その銀竜を介してエミリアから声が届いたのは、さらに翌日。
「カルルが怪我をしているので、古い友人のところで療養している……といった内容だった。」
アデルは安心したが、夫から話を聞いたシーリアは、逆にひどくうろたえた。
「そこで初めて、カズトの名前を聞いたんだ。」
シーリアは姉が常々、同じ銀竜の主人であるカズトのことを「古い友人」と呼ぶのを聞いていた。だからきっと彼女はそこにいるに違いないと言い張ったのである。
「確かカズト伯父上の生国は、連合国とは国交のない地域でしたよね?竜で協定のない国外に出るのは……」
アデルは頷く。
詳細は違うが、国外も門の向こうも扱いは大差ない。
「だから、評議会は彼女を強引に連れ戻し、カズトはそれを追いかけてこの国に来た。その後はきみも知ってる通りだ。」
「しかし、なぜエミリア伯母は危険を犯してまで伯父上にところに?」
「覚えてないそうだ。ただ気がついたら国境を越え、カズトのところに行っていたらしい。実を言えば彼女がカルルを取り戻したいきさつを聞いたのは、つい先日でね。それも本人でなくカズトから聞いたんだ。」
それによればエミリアは取引される寸前でカルルを取り戻した。ただし、有り金と母親の形見の守り石、それと自身の髪と引き換えに。
「髪?」
「真っ直ぐな髪は南では珍しいので、重宝されるそうだ。」
年頃の、しかも一族という肩書きを持つ家柄の娘がそこまでするとは相手も思わなかったのだろう。男は渋々銀竜を返したがカルルは羽根を折られ、飛ぶことができなくなっていた。
「傷が癒えた今でも、カルルは飛ぶことができない。カズトが言うには、心を閉ざしてしまったんだそうだ。それにエミリアも……」
傷ついた銀竜を抱いた彼女の心が、どれほど安らげる拠り所を求めたことか。
「結果的にカズトが竜を召喚したことで二人は一緒になったが、それ以来、エミリアは竜で飛ぶことも、国外に出ることも禁じられている。だからカズトは、一人で故国に戻ったんだ。」
「待ってください。それはまるで人質……」
「その通り。」
「むしろ評議会との繋がりは強いような印象がありますが?罰則を受けているようには思えません。」
「異国人であるカズトが竜隊に入ったのは、当時としては異例中の異例だ。ガイアナ議長と内々に取引があったとしても不思議はない。もっともそれを罰則と感じさせないのは、カズトの人柄だろう。」
「義父上も、ですか?」
「うん?」
「アデル家は一族ではありません。なのに聖堂とカズト伯父を繋ぐ役目を担ってますよね。」
「それは罰でなく、罪滅ぼしだよ。あのときわたしが男を相手にしなければ、カルルとエミリアが傷つくことはなかった。それにカズトを一人で故国に帰すことも。彼らに対して無理強いさせたくないのも、同じ理由だ。」
メラジェは吐息のような声を漏らす。
「そういうこと……ですか。」
「そういうことだ。」アデルは頷いた。
「夫君は聖堂に戻って仕事だそうだ。」
夜半の仕事場で、机の上の書類に目を落としたままアデルは言った。
クラウディアは机の傍らに立つと「ありがとう」と言う。
「母さまに聞いたわ、彼に説明してくれたって。」
アデルは娘を見上げた。
「伯母さまとカルルのこと……初めて聞いた。だから母さま、伯母さまの具合が悪いと大騒ぎするのね。リュートもこのこと、知ってるの?」
「カズトが話してるはずだ。シーリアは今でも自分が力になれなかったことを悔やんでる。」
でも、とクラウディアは小首をかしげる。
「確かにカルルは今でも飛べないし、カズト伯父さまとは別居になってるけど、でも悪いことばかりじゃないと思うの。面倒を被ってるリュートには悪いけど、伯母さまの契約相手は伯父さま以外、考えられない。それにリュートの相手も、ミヤコでよかったと思ってる。リュートが伯父さまの息子じゃなかったら、二人は出会わなかったでしょう?」
「同感だ。」
そう頷く父親の笑顔に、クラウディアもつられて笑顔になる。
「聖堂が後継者を決めて一段落したら、あたしからも伯父さまにお願いしてみるわ。」
「確かに、カズト自身が悪いことをしたわけでないからな。それから、クラウディア。今日とは言わないが、もっとメラジェと話すことを薦めるよ。」
「彼、何か言った?」
「いいや。だがきみたちは契約に甘んじているように思えてね。直接交わす言葉も大切だ。お節介な父からの助言だ。」
「覚えておくわ。」にっこりとクラウディアは微笑んだ。
アデル父、フルネームの登場は初めてでしたね(^^;
花粉症がじわじわ来てますが、来週も更新します。




