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第三十五話

「着物、一人で着たのか?」

「あ、えっと……」

 コーヒーを淹れる竜杜(りゅうと)に見とれていた(みやこ)は、籐椅子の上であわてて姿勢を正した。

「帯と、最後のチェックは(さえ)さんに手伝ってもらったかな。外歩いたの初めてだから、緊張しちゃって。なんかいっぱい人に見られた。」

「似合ってる。」

「ほんと?」

「俺が嘘言ったことあるか?」

 ううん、と首を振る。

「黙ってたことは、いっぱいあるけどね。っていうかリュート、わたしのことかわいいって言わないよね。」

「言ってほしいか?」

 竜杜はリビングのコーヒーテーブルにアンティークカップを置いた。

 店から失敬したクッキーを持ってくると、そのまま都と向かい合う籐椅子に腰を下ろす。

「ううん。慣れてないから、どうしていいかわかんなくなる。似合ってるって言われるほうが、なんか嬉しい。」

 言いながら、すっかり馴染んだブラックのコーヒーに口をつけ「あ、」と呟く。

「すごく軽いけど、甘い感じ。新しいブレンド?」

「無限大からもらったサンプル。」

「わたし、好きかも。」

 一足先に飛んできたコギンが、他の銀竜(ぎんりゅう)と一緒に都の傍らに舞い降りた。

「一人で飛んでこられたね。ルーラも元気そう。フェスは……」言いさして、都は竜杜を見た。

「もしかして、リュート寝てないの?」

「二時間くらい、和室で仮眠した。」

「でも、フェスが心配してるよ。」

「ラグレスの家に戻ったら休む。」

「とか言って、また忙しくするんでしょ?」

「好きで忙しいわけじゃない。それに今回は完全に予定外だ。」

 あれ?と都は首を傾ける。

「面倒そうなの、なんか珍しい。そんなに大変な用事なの?」

 竜杜は一瞬、考える。

「……話すには遠いな。」

「へっ?」


「あ、のさ……」

「ようやく近くなった。」

「っていうか、近すぎ……」

 竜杜の膝の上で、都が頬を膨らませる。

 文庫結びの帯と和装を配慮して横向きに座っているが、足が床についてないので完全に抱っこ状態である。上手く言い含められたのが納得いかず竜杜を上目遣いに見るが、当の本人はそんな視線も意に介せず、むしろ満足そうに恋人を見下ろす。

「このくらいのほうが話しやすい。」

「目的違ってると思う。」

「気のせいだ。」

 もうっ!とむくれながらも、恋人に求められるまま唇を重ねる。

「しばらく向こうに戻ってなかったから、離れがたいな。」

「お仕事なら仕方ないよ。」

「仕事といえば仕事なんだが、今回は予定が立たない。なるべく早く戻る……と言いたいところだが、」

 つと、都は身体を起こした。

「やっぱり、いつものリュートらしくないよ。」

「一族長老の具合がよくない。」

「それ、前からだよね。」

 以前向こうの世界へ行ったとき、長老の見舞いに行く竜杜に同行したことを思い出す。当人と直接会ったわけでないが、彼の孫娘であるアニエと話をして、ずっと伏せっているというのは聞いてた。

「だから、後継者選びを行うんだ。」

「でも評議会は、議長さんがいるから別に困らないよね?」

「といっても、長老は一族と同胞を導く象徴的な役職だからな。」

「ええと……」

「こっちの世界だと王族や皇族のようなものだ。」

「いないと困る?」

「いるのが当たり前だ。」

 その当たり前の存在が弱ることで一族の結束も不安定になる、というのが聖堂の考えらしい。しかし任期が決まっているわけでないので、その交代は長自身、それと評議会議長に委ねるしかない。

 今回は、さすがにこれ以上トップの不在を続けるわけにいかないと判断した彼らが水面下で話を進めているのだと、竜杜は説明した。

「一つの家が代々継ぐんじゃない、っていうのは聞いたけど……」

 そこに明確な決まりはない。

 ただ一族の祖である英雄の家系に連なる者、そして同胞と深く関わる者を選出するることが多い。

「今の長老もそうやって親族から指名されたし、彼もまた、同じように指名する権利がある。」

「じゃあもし指名する前に、長老さんの具合がもっと悪くなったりしたら?」

「委任状もなければ、議会が決めることになる。」

 しかしそうやって決定した長が、門に理解を示す保障はない。最悪、もし議長の交代があれば門、そして門番のそのものの扱いが変わる可能性もある。

 そこまで聞いた都は、ようやく事の重大さに気づいた。

「それって……行き来できなくなるとか?」

「その可能性もある。」

「そんな!」

 泣きそうな表情の都に、竜杜は「大丈夫」と優しく笑う。

「長老も議長も、そんなことは望んでない。だから、同じ志を持つ後継者を指名しようとしてる。」

「でも……門のことわかってて、長老さんのお仕事もわかる人って、そんなにいないよね?」

「鋭いな。後継者候補は、都も知ってる人物だ。」

 んー、と都は考える。

 おそらく英雄の家柄。

 近親者に評議会関係者がいる。

 なおかつ、門のことを知ってる人。

「あ……」と声を出すが、すぐに「違うよね」と呟く。

「だってアニエさんが門のこと知ってるのは、みんなに内緒……」

「議長も長老もとっくに見抜いてる。」

「え、そうなの?」と言ってから、もっと重大なことに気づく。

「ええっ!後継者ってアニエさん?」

 竜杜は頷いた。

「えっと、でもでも……」混乱する。

「アニエさんの肩書きって長老さんのお孫さん?それでダールさんの婚約者……」

「英雄の血筋。父親も評議会議員。そして今は長老と議長の仕事を手伝ってる……秘書のようなものか。」

 しかも婚約者は由緒正しい竜騎士。

 経歴としては文句のつけようもない。他の誰かが立候補しても引けを取らないだろう、と竜杜は言った。

「ただし、女性が指名されるのは前代未聞だ。」

「もしかして揉める?」

「だろうな。」

「……アニエさんはオッケーしてるの?」

 さぁ?と竜杜。

「ただ、アニエが断るとは考えにくい。」

 確かにお嬢さま然としたところはあるが議会の仕事も、門のこともわかった上で、自分の意見を持っていた。何より竜のことを話しているときの彼女は本当に楽しそうで、その言葉通り、飛ぶことが好きなんだと真っ直ぐに伝わってきた。

 彼女に断る理由はなさそうだ。

「ダールさんは……それでいいのかな?」

「大丈夫だろう。」

「すごーくショック受けてるかもしれないよ?だって結婚する相手が、自分の上司になるんでしょ?」

「竜隊と評議会じゃ基本的に職場が違う。それになんというか……ダールは多分、俺と同じ考えだと思う。」

「どういうこと?」

「パートナーがやりたいことは、応援する。」

「あ……」

「だからあいつに関しては心配いらない。議長からの手紙には、むしろ自分たちを心配しろとあった。」

「だからリュート、向こうに戻るの?」

「父さんの代理、ラグレス家の当主として立ち会わなきゃいけない。それと門番の代理人としての仕事ができた。」

 都はハッとなる。

「まさか……リラントの瞳?」

「わずかだが、変化が現れたそうだ。このまま収束するか、もっと何か起きるか見極めなきゃならない。」

「見極めって……できるの?」

「感覚頼み。瞳は機密事項だから、他の誰かに頼むことはできない。」

「なんか……物凄いことになってたんだ。大丈夫?」

「それはこっちの台詞だ。」

「リュートが心配なのはあの人……だよね?」

 黒き竜を宿した男と瞳の変化に、どんな関係があるのか。それに彼が今どこで、何を企んでいるかわからないのが、気にかかる。

「嫌な気配を感じたら逃げろ。少なくとも、この家にいれば守られる。」

「わかってる。もうすぐ冬休みだし、そうしたらコギンも一緒にいるし。それよりリュートこそ、無茶しないで……」

「わかってる。」

「戻って……来るよね?」

「俺の居場所はここだと言っただろう。」

 竜杜は掌で都の頬を包む。

「でも……もしも本当に門の向こうとこっちに離れちゃったら……」

「都が見た夢みたいに?」

 こくんと都は頷く。

「夢は夢、そう言ったのは都だ。」

「でも……」と、言いかけた言葉が遮られる。

 優しい口づけ。

 支えてくれる手の温もりが心地よくて、ずっとそのまま時間が止まればいいのにと思う。

 都は恋人の広い肩に顔を埋める。

「……お正月、一緒に過ごせたらいいな。」

「そうだな。」

「ラグレスの家の人たちに、受験終わるまで行かれないって……」

「伝えておく。」

「今日の今日じゃネフェルに手紙書けないし……」

「彼女だって都が忙しいのはわかってる。それより都こそ、俺がいないからといって無理するな。試験も控えてるし……」

「なんか急に現実的。」

「だって現実だろう?」

 真顔で言う竜杜に、都はクスリと笑う。

「やっと、いつものリュートになった。」

「都に話したから、気持ちの整理がついた。」

「リュート、抱え込みすぎるから。」

「今回は情報が多すぎだ。でも都が聞いてくれて、助かった。」

 もう一度、キス。

「コギンと待ってるからね。」

 答えの代わりに竜杜は細い身体をぎゅっと抱きしめると、耳元で呟くように言った。

「もう一つ……都に話しておくことがある。」

「なに?」

「この家の守り神のこと。」

ちょっとばたばたしてますが、来週も火曜日更新予定。

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