第三十四話
「ヒューゲイムもガッセンディーアに戻った頃か。とすると、いよいよ人事が発令されるな。」
顔を上げないまま、早瀬は言った。
「ダールの奴、混乱してなきゃいいが……」
こちらも書類に目を落としたまま竜杜が呟く。
「ヒューが同席してるなら大丈夫だろう。少なくとも奴が慌てたのは子供が生まれたときと、亡くしたとき。」
竜杜は顔を上げ、
「つまり、評議会では常に冷静?」
大きく早瀬は頷く。
「だから、僕の見張りに任命されたんだと思うよ。」
「おかげで俺とダールも、長い付き合いになったもんだ。」
時計を見ると、時刻はすでに丑三つ時。
セルファがフリューゲルにたどり着いたのは、日付が変わる少し前だった。それからつい先ほどまで、彼は持ってきた書類の説明を二人にしていたが、さすがに疲れを察した早瀬が、強制的に休ませたのである。
「きみに何かあればシーリアに申し訳が立たないからね。それにここでの責任者は僕だ。従ってもらうよ。」
そう言われたセルファは、渋々用意された部屋に銀竜たちと引き上げたが、しばらくして竜杜が覗きに行ったときは、すでに眠りに落ちていた。
「いくらセルファでも、体力の限界はあるさ。聖堂から連絡係を任命されてるからって無理していいわけじゃない。」
「その台詞、そっくり父さんに言ってもいいか?」
「うん?」
「手紙の量が半端じゃない。」
「これは手紙じゃない。連合国内で起きた、銀竜がらみの事件のリスト。」
「公安の扱った事件か?」
「銀竜がらみの事件は記録から拾うのが面倒らしくて、キャデムが専門家に問い合わせてくれたんだ。先方がわかりやすくまとめてくれたんだが……」
年号と場所、内容が簡潔に並んだ紙の束をめくりながら、早瀬はその情報量に唸る。
「確かに無理できない分量だな。それにこいつは、トランにも見せたほうがよさそうだ。」
「なら、あとで店のプリンターでコピーして来る。」
「だったら二部頼む。一部は竜杜が時間のあるときに目を通すのがいいだろう。」
「マーギスへの返事は?用件だけなら口頭で伝えることもできるが。」
「悩ましいね。とりあえずヒューへの返事は書くよ。ダール家の誰かに渡してくれればよし。しかしマーギスのところにはレイユもいるしなぁ……」
早瀬は腕組みをすると天井を仰ぐ。
「そんなにややこしい話だったのか?マーギスからの手紙。」
「ややこしいと言えばややこしいかな。」
早瀬は手紙を手に取ると、そこにしたためられた内容……マーギスの部下がゼスィに面会したが手がかりは得られなかったこと、故郷の集落で行方知れずとなった姪アンリルーラの形見が見つかったこと、そしてトラン・カゥイと彼の旧知の語り部が、集落の墓地で古い文字の刻まれた石版を発見したことを話した。
「それは……ずいぶん盛りだくさんだな。」竜杜も唸る。
「特に石版の発見は心引かれるね。」
「でもそれ、どこにも報告してないんだよな。」
「トランもその語り部も研究団体に属してるわけじゃないからね。暫定的にアデル商会がスポンサーになって、石版を保管してるらしい。」
できる限り検分した後、しかるべき処置が必要なら聖堂なり大学なりに任せることも検討しているらしい……というのはセルファの受け売りである。
「じゃあその石版はアデル商会にあるのか?」
「旧市街の倉庫とか言ってたな。」
「借りてる部屋の下か。」
えっ、と早瀬は驚く。
「あの部屋、まだ借りてるのかい?だったらガッセンディーアに行ったとき、泊まればよかったなぁ。」
「父さんがそれやったら、シーリア叔母が怒るだろう。」
「うーん、竜杜に苦情が行くのもまずいか。」残念、と肩を落とす。
「せめて次に行ったときは、石版だけでも見せてもらうとするか。」
「実は調べたら新しいものだった……ということもあるんだろう。」
「もちろんそういう可能性がないわけじゃない。でもあの集落の歴史を考えると、ひょっとしたらガラヴァル一族に関係する記録が見つかるかもしれない。」
「英雄の記、ってことか?」
「それを判断するのは聖堂だよ。もしそう判断されなくても、先人が遺したものだ。それだけでも貴重なお宝に違いない。もしかしたら、古い祈りの言葉かもしれないぞ。」
「……楽しそうだな。」
「わからないことを想像するのは楽しいよ。竜杜だって子供の頃、フェスの未知の能力を引き出すのに夢中になってた時期があっただろう。あれは……」
「だから昔話はいい。というかそんな余裕、今はないだろう。」まったく、と竜杜は大きなため息をつく。
「どうやら、僕たちも休憩が必要みたいだね。」
早瀬は立ち上がると、台所のコンロに薬缶をかけた。
「コーヒーか紅茶か……」
「うんと濃い緑茶にしてくれ。」
息子のリクエストを了解すると、真夜中のティータイムの準備をする。
しばし休憩を挟んで、再びそれぞれの書類に没頭する。新聞配達の音に我に返ったときには、すでに早朝の時間帯であった。とはいえ一年で一番昼の短い時期なので、雨戸を開けてもまだなお暗い。
「区切りがついたら父さんは休んでくれ。俺は書類をやっつけて、そのまま店を開ける。その代わり、きっちり午後は交代してもらう。」
「そうか……だとすると今のうちに話したほうがいいな。」
「なにを……」
「この間から話しそびれてること。たぶん、アデルの家に行けば話題に出るだろう。実はメラジェが僕とコンタクトを取りたいと、アデルの家に申し入れてきたらしい。」
「何のために?」
「神の砦の件で、銀竜の専門家である僕の意見を聞きたいんだそうだ。」
その話は、竜杜が来客用の寝床を整えているときに、セルファが早瀬に切り出した。
「学術的にそういうアプローチがあってもいいと思うけど、何しろ僕は一線を退いてるし、今はここを守るのが第一だ。それに正直言うと、今以上に聖堂と積極的に関わりたくなくてねぇ。」
「父さんらしい理由だな。」
「うん。そんなわけでセルファとクラウディアが防波堤になってたんだが、それが逆にメラジェに不信感を持たせたらしい。どうしてアデル家が早瀬の家を庇い立てし、セルファが聖堂との連絡係をしてるのか……」
「でもそれは……」
「もちろん門番のことは言えない。でもそのことを伏せてくれれば、うちとアデル家の関係を説明して構わない……そう返事をした。」
「関係?親戚以外何があるっていうんだ?」
いぶかる竜杜に早瀬は言った。
「見張り……あるいは罪滅ぼし……。」
「え?」
早瀬がその言葉の意味を説明し終えて仮眠についたのは、辺りがすっかり明るくなってからだった。
一人居間に残された竜杜は、淹れたばかりのコーヒーの香りが立ち上るマグカップを手に、朝日に照らされた庭を縁側から眺める。
「何かやらかしたのは父親だけじゃなかった、ってことか……」
まったく、と呟きながらマグカップをぐいと傾けた。
その日の午後。
都はフリューゲルの扉を開いた。
出迎えたのは、すっかりバイト姿が板についた栄一郎。
「電話、ありがとうございました。」
「こっちこそ、慌しいときにごめんね。」
朝一番で急なバイトを打診された栄一郎が、出勤後、最初に頼まれたのが「都に連絡を入れて欲しい」というリクエストだった。
しかし土曜日だけあって開店直後から席が埋まり、ようやく栄一郎が都に連絡できたのは竜杜が休憩に入る少し前。しかも電話を受けた都も取り込み中で、なぜか冴も交えたやり取りが繰り広げられた。
理由は一目瞭然。
「本当にスミマセンでしたっ!その……ちょうど練習してて手が離せなくて……着替えるより早いからこれで行きなさいって冴さんが言い出すから……」
どこか拗ねたような都の言い訳に、栄一郎は笑う。
「上手くできてるし、すてきだし、冴さんの判断は正しかったと思うよ。」
「でも歩きにくくて、よけい遅くなっちゃって……」
「逆にこのタイミングでよかったかも。ねぇ、早瀬さん。」
テーブルを片付けて戻ってきた早瀬が「ほう」と目を細めた。
「都ちゃん。それ……」
「あ、はい、いただいた銘仙です。」
都は肩にかけていたショールをするりと外す。
現れたのはピンクの地に幾何学模様の着物姿。
それは早瀬家の箪笥に眠っていた、竜杜の祖母の若かりし頃の着物。夏休みに大掃除をしたとき、他の着物と一緒に都が引き継いだ一枚だ。
それまで興味の欠片もなかった着物だが、せめて自分で着られるようになりたいと、冴の時間があるときに着付けを教わっていて、まさにその真っ最中に栄一郎から連絡が入ったのである。
慌てる都に冴は黒の半幅帯を締め、全体を整えて送り出してくれた。髪も編みこみにして肩から前に垂らすようにしたので、いつもと雰囲気が違う。
「大正ロマンぽくて、ぼく好きだな。」と、栄一郎が笑顔で言う。
早瀬も嬉しそうに頷き、
「そうやって着てるの見ると、着物だけよりずっと華やかでいいね。」
「ありがとうございます。それでリュートは?」
「母屋で待ってるよ。昼に早瀬さんと交代したから、一休みした頃だと思う。」
「何か……あったんですか?」
栄一郎から伝えられたのは、今夜竜杜がラグレスの家に戻ることだけ。そんなに急に戻るのもだが、店も慌しいのが気にかかる。
しかし早瀬はいつもの通りの優しい笑顔で「詳しいことは竜杜が話す」とだけ言った。
しかたなく都は店の裏口を抜け、母屋に向かう。呼び鈴をならすと、ややあって竜杜が扉を開けた。
「都?」
一瞬、驚いた表情。
「えと……栄一郎さんに連絡もらって……遅くなっちゃったけど……」
「いいや、急に呼び出したのはこっちだ。」
寒かったろう、と家の中に招き入れる。
三和土で草履を脱いでいると、別の足音。
「リュート、コギンが来てました。」
そう言いながら奥から出てきた人物に、都は目を丸くする。
「どうやら少し前に来て、二階でフェスと遊んでいたようです。」
「セルファさん!」
「ああミヤコ、久しぶりですね。」
「来てたんですか?」
「ええ、昨夜から。」そう言ってから、セルファは身を乗り出し、都の着ているものを凝視する。
「これは……初めて見る格好ですね。」
「着物。日本の伝統的な民族衣装だ。」竜杜が説明する。
「触ってもいいですか?」
「あ、はい。」
都は袂を手に取り、見やすいように差し出す。
「柔らかいですね。ところどころ光沢もあって……ふむ、素材は何でしょう?それにどうやって着てるですか?真ん中の織物は別ですよね?」
「セルファ!」
「ああ、つい。すみません。」商売人としての興味が先行してしまった、と詫びる。
「そのうち脱いで見せろと言い出すんじゃないだろうな。」
「それはリュートの役目でしょう。」
「安心しろ。今はそんな余裕ない。」
「へっ?」と言ってから意味を理解した都は、みるみる耳まで真っ赤になる。
その様子に、セルファがくすくす笑った。
「私は伯父上のコーヒーをいただいてきます。リュートはミヤコにきっちり説明して差し上げてくださいね。」
久しぶりにこちらの世界です。
次回も引き続き、こちらの世界を予定してます。来週火曜日更新予定。




