第三十三話
「明日にでも、アデル商会に行くつもりだったんだ。」
キャデムは上着の懐に手を突っ込むと、引っ張り出した紙包みを差し出した。
「ついでがあったら、ラグレスのおじさんに渡して欲しい。」
「カズト伯父に?」
油紙に包まれた紙の束に、セルファは首をかしげる。
「こないだ頼まれた資料、って言やわかる。」
「わかりました。それで、レイユはどうでした?今まで相手をしてたのでしょう。」
夕刻の礼拝はとっくに終わったにもかかわらず、ばったり神舎の前で出くわした理由はそれ以外考えられない。
「なかなか利口だな。それに気立てがいい。オルフェル巡査長を傷つけたのが嘘みたいだ。」
「新しい主人のおかげでしょう。名付けした人の気質も影響するようですから。」
「へえ。でもマーギスさまの影響なら納得だな。」
そこまで言ってキャデムは、あたりをはばかるように素早くセルファに顔を寄せた。
「なぁ、一族の評議会が臨時招集されるって本当か?」
「公安に通達がありましたか?」
キャデムは頷く。
「明日からしばらく聖堂の警備になった。実は大変なことが起きてる……とか?」
「大変だったら竜たちが大人しくしてません。それに私は評議会の直接関係者じゃない。」
「まぁ、そっか。たしかに分隊も聖堂も、いつもどおり機能してるもんな。」
「ただ何かしらの決議がなされるのは確かです。リュートを連れて来るよう評議会から命令が下ってますから。人が多く集まるので、用心のために公安を要請したのかもしれませんね。」
「じゃあセルファの出張って、辺境の、リュートのとこか?」
「伯父上に渡す書状もあるので。これも、ちゃんと渡しますよ。」
「リュートも忙しそうだな。」
「あれでもラグレス家の当主ですから。」
「だな。あ、じゃあミヤコにも会うのか?」
「会えるかわかりませんが……できれば顔くらい見たいですね。」
「もし会えたらよろしく言っといてくれ。それとリュートに今度一杯やろうって。そんときゃセルファもな!」
じゃあ!と走り去る友人を見送ったセルファは、背後を振り返った。
薄暗がりにそびえる神舎の荘厳な入り口と、その上に繋がる塔を見上げる。
すでに礼拝の時間は終わっているが、祈りを捧げる人の姿がちらほら見受けられる。
ふと、セルファは自身のことを振り返る。
連日執務室に篭っていると無性に飛びたくなることがある。そんなとき、息抜きに飛ぶのは皆が眠っている夜明け前の時間。たった一人で空を飛ぶ優越感と、夜明けの冷たく張りつめた空気は、煮詰まった気持ちを透明にしてくれる。同時に思うのは、やはりこうして同胞と共に空を飛んだであろう英雄たちのこと。とりたてて崇めるつもりはないが、ごく自然に思いを馳せる。
あれは、自分にとって一種の祈りなのかもしれないと思う。ならば今、この静寂の時間に集う人も何か思いを馳せるために、この時間にやってきているのだろうか。
そんなことを考える。
奥に進み名前を告げると、すぐに司教の執務室に通された。
待ち構えていたマーギスと、挨拶抜きで本題に入る。
「この手紙を、カズトに渡してください。」
分厚い書状が渡される。
「今回のこと、私なりにまとめました。」
「お手数おかけします。きっと伯父も興味を持つでしょう。まさか墓だと思っていた石碑の下から、石版が出てくるとは……」
「まったく。カゥイ先生とシィガン氏のお手柄です。」
かの集落の墓地でトランとコンロッド、それにバセオが掘り出したのは木箱に入った石版だった。もっとも木箱はすでに朽ち果て、拾える破片もわずかだった。一方の石版は長い年月そこに埋まっていたため著しく汚れていたが、破損も割れた形跡もなく、洗浄すれば文字の判読ができるはずだとコンロッドが断言したのである。
ただその場では掘り起こし、現状を記録し、梱包するのが精一杯だった。
「彼は仕事の合間に計測や洗浄作業をしてます。明後日にトランがこちらに来れば、もっと作業が進むでしょう。もしあれが英雄時代の記録だったら、あの土地の歴史を考えればガラヴァルに関する記述が見つかる可能性もあるそうです。」
「セルファ坊ちゃんはガルヴァラにとても興味を示しておられるようですな。」どこか嬉しそうなセルファに、マーギスは首を傾けた。
「ですがアデル家は一族に名を連ねていませんよね?」
「ああ、」とセルファは苦笑する。
「ご存知のように母はラグレス家の人間ですし、父方の祖母も一族の血筋です。それに私と姉は幼い頃、何度もラグレス家に預けられましたから、ガルヴァラとリラントの話は小さい頃からいやというほど聞いて育ちました。」
「飛ぶことも?」
「だって目の前に竜がいたら、乗りたくなるでしょう。」
たしかに、とマーギスも微笑む。
「むしろ飛ばないほうがおかしいですな。」
「特にクラウディアはそう思ってるようです。それに飛んでいると、英雄の物語も聖竜の存在も全て本当だったと思えるんです。もちろん、それが一族の守ってきたものなんでしょうけれど。司教さまの前でこんなことを言ったら罰当たりかもしれませんが、もし今ガラヴァル自身の残した記録が見つかったとしたら、どんな手段を講じても読んでみたいと思いますよ。彼らがどんなことを感じて実際に何を成したのか……」
「その気持ちはわかります。これでも豊穣の姉妹の末裔ですから。」
ただし、とマーギスはそっと片目をつぶる。
「一介の聖職者として、神の砦の遺跡発見に立ち会った立場としては、学術的興味がある、とだけ申し上げておきます。」
ところで、とマーギスが身を乗り出した。
「一族評議会に召集がかかったそうですね。」
「さすがに早いですね。」
「実はちょっと探りを入れました。セルファ坊ちゃんが急にカズトのところに行くのは理由があると思ったので。」
「リュートはラグレス家の当主なので、こちらにいる必要があります。それと伯父の代理人としての役目も。」
「ひょっとして瞳、ですか?」マーギスが声をひそめる。
セルファは頷いた。
「ただし、ごくわずかな変化なので、管理者も判断に困ってるようです。」
「しかしそんな状況なら、むしろ向こうを……現場を離れる不安があるでしょう。」
それはセルファも感じていた。
もちろんリュートは拒否も文句も言わないが、ミヤコという半身を置いたままこちらに来るのは不安に違いない。
「ですが委任状を書くにしても、本人がこちらに来ないと話にならないので……」
「不便な物ですね。」
「まったく。聖堂もこういところは融通が利かなくて……と、すみません。」
「いいえ。セルファ坊ちゃんが愚痴を言うほど大変なのだとわかりました。」
それからしばし打ち合わせをした後、セルファは幼い娘たちが眠りにつく前にと家路に急ぐ。
と、家の前で不意に声をかけられた。
一瞬身構えたものの、聞き覚えのある声に脱力する。
「メラジェ?こんな時間にこんなところで、何をしてるんですか?」
「ああ、いや。もうちょい早く来るはずだったんだ。」
暗がりの中から、メラジェ・ヘザースが姿が現わした。
「聖堂での作業が思いのほかかかってしまって……」
「クラウディアなら聖堂に泊り込みですよ。」
「知ってる。今日はきみに用があって来た。違うな。頼みがあって来た。」
「私に?」
すっとメラジェは背筋を伸ばす。
「アデルの義父に、お目どおりを頼みたい。」
「いい香り……」
茶器から立ち上る湯気に、アニエはうっとり目を閉じた。
すでに夜もふけたワイラート邸の書斎の片隅で、彼女は婚約者と長椅子に並んで腰掛けていた。
「誰も休もうなんて言ってくれないんだもの。あなたが声をかけてくれて、本当に助かったわ。」
「膠着してると聞いて、さすがに心配になった。その……大丈夫か?」
ええ、とアニエは微笑む。
けれどさすがに疲れが隠せない彼女の肩を、ダールは優しく抱き寄せた。
アニエも茶器を置くと、安心して彼の広い肩に身体を預ける。目を閉じて、しばしその暖かさを享受する。
「明日……一度家に帰るわ。議長さまとグレング兄さまが一緒に行ってくれるって。」
「フィマージの母上を説得するために?」
「いいえ、父を説得するために。」
「えっ?」
アニエは身体を離すとダールを振り返り、小さく肩をすぼめた。
「話し合いが進まなかったのは、父が怒って退出したからなの。グレング兄さまが言うには、今回の人事に母は反対してないんですって。」
「意外だな。」
だがアニエは、母の気持ちがわかると言う。
ワイラート家は男児を幼いうちに亡くしているので、跡継ぎと呼べるのは彼女の母だけなのだ。けれど母はフィマージの家に嫁いで現在に至る。何度かフィマージの家から養子に出すと、アニエの父から提案したらしいが、ついぞ老ワイラートが首を縦に振ることはなかった。
「結局、兄でも弟でもなく娘のわたしがこの家に入るかもしれないことが、父は納得できないの。」
逆に母親にしてみれば、嫁にやるはずだった娘が実家を継ぐことに文句があるはずもない。
「そこまで話が進んだのか。」
「ごめんなさい。」アニエの空色の瞳が翳る。
「本当は、あなたも交えて話をするべきなのに……」
「そうなるだろうと、ケイリー書記官から聞いてた。」
だからアニエの口から聞いてさして驚かなかったし、すでに彼自身の気持ちは決まっていた。
ダールはアニエの白く細い手を取って持ち上げると、滑らかな甲にそっと口付けた。
「オーディ?」
「思う存分話し合って来い。どういう結果になろうと、おれはずっとアニエの傍にいる。」
「でも……」
「ワイラートの家に入れというなら、従うつもりだ。なに仕事でダールの名が使えりゃ、問題ない。親父も反対する理由はないと言ってるし、ダールの家はおれ一人じゃない。リィナも……それにショウもいる。」
「でもショウは、ダールの名を継ぐかしら?」
「別に一族として生きることを強いるつもりはない。おれだって好きで竜隊に入ったんだ。ショウもリィナも、好きなことをすればいいと思う。それにアニエも。」
深い青い瞳が、婚約者を優しく見下ろす。
「……いいの?」
「だって、飛ぶのを辞める気はないんだろう?」
「もちろんよ!」
「飛ぶには同胞と竜騎士が必要だ。」
「この先ずっとよ?」
「覚悟はできてる。」
アニエは身を乗り出すと、婚約者の首にぎゅっと抱きついた。
「ありがとう!オーディ!」
次回はこっちの世界になります(久しぶりに)。火曜日更新予定です。




